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科学と文芸を融合した仮説作品「風雅のブリキ缶」姉妹篇。街で撮った写真と俳句の取り合わせ。やさしい作品サンプルも追加。

県立座間谷戸山公園の六地蔵さま

2006年01月03日 13時13分09秒 | note 「風雅のブリキ缶」
 甥が二人来て、車で南林間駅まで送りがてら、反対方向だったが、座間の谷戸山公園まで行く。ここには里山と古い村があったらしく、道祖神や地蔵さん、庚申塚のメッカだ。写真は、「伝説の丘」へ坂道を登る途中に見かけた一列に6つ並ぶ地蔵さま(六地蔵)。その向こうに連なるのは丹沢山系だ。これら地蔵さんの脇(左上)に小さな墓の一角があるのもなんとなく目を惹いた。
 地蔵については、『柳田国男・南方熊楠 往復書簡集』に講釈がある。日本を代表する大学者二人が、地蔵さまについて、こんな試行錯誤のやり取りをしていた事実だけでも興味深い。
 ミナカタ・クマグスからヤナギダ・クニオに宛てた書簡(明治44年8月12日付け)には、「地蔵という語は大乗経蔵中に始めてあらわれ、小乗経律等に見るところは、みな地中に財貨を蔵蓄せることを申し候」とある。また、やはりミナカタからの同年10月10日付けには、「拝啓。貴下の『地蔵木』の考に、地蔵は他の諸菩薩とかわり支那でできた物ならんというようのことあり。しかるに、小生、往年『ダルマ・サングラハ』(ネポール国の仏教用語義集)より書き抜きおきしものを只今見るに、…地蔵(クシチガールブハ)…とあり。故に、とにかくネポール等に存するところを見れば、支那でできしにあらず。大乗教発展の際できし菩薩と存ぜられ候」とある。
 以下の少々長めの厄介なコメントを最後まで我慢して読むと、上の記述についてなるほどと理解が届くはず。

 *参照→「地蔵さま」の詩がある作中の文章

COMMENT:公園のHPによれば、「伝説の丘」とは、その昔、この丘の上にお寺の本堂があったが、武田信玄が小田原攻めの時に、のろし代わりに火を放ち、燃やしてしまった。ここには里山本来の植生が見られるとも。でもなぜ、伝説の丘なのかは不明のまま。寺の本堂が信玄の兵によってのろしとして燃やされたことが伝説なのだろうか? むしろ、地蔵さまの由来を知ることで、作品に応用できそうな新しい伝説がもこもこと小生の脳裏に浮かんできた。地蔵さまは、地蔵菩薩の略。田圃の脇など方々に気楽に座しておられるので軽んじがちだが、調べてみれば、地蔵菩薩は大変な菩薩さまである。*なお、本ブログでも漱石の句で触れた建長寺の本尊は、地蔵菩薩である。

 Wikipediaによると、地蔵菩薩は、仏教の信仰対象である菩薩の1つ。サンスクリットではクシチガルバ(Kstigarbha)という。これは「大地」という意味の語と、「胎内、子宮」という意味の語の合成語で、意訳して「地蔵」と称する。釈迦の入滅後、56億7000万年後に弥勒菩薩が出現するまでの間、現世に仏が不在となってしまうため、その間、六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)を輪廻する衆生を救う菩薩であるとされる。
 地蔵像は、密教では、胎蔵界曼荼羅地蔵院の主尊として菩薩形(有髪)に表されるが、一般には比丘形(僧侶の姿)で袈裟をまとい、左手に宝珠、右手に錫杖を持つ形、または左手に宝珠を持ち、右手は与願印(掌をこちらに向け、下へ垂らす)とする形の像が多い。
 地蔵とは、大地があらゆる命を育む力を蔵するがごとく、苦悩の人々をその無限の大慈悲の心でつつみ、救うがゆえについた名といわれる。
 「六地蔵」――日本では、地蔵菩薩の像を6体並べて祀った「六地蔵」像が、全国至るところに見られる。六地蔵は、仏教の六道輪廻の思想(あらゆる生命は地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道の6種の世界に生まれ変わりを繰り返すとする)に基づき、六道のそれぞれを6種の地蔵が救うとする説から生まれたものである。
 六地蔵の個々の名称については一定していない。地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道の順に檀陀(だんだ)地蔵、宝珠地蔵、宝印地蔵、持地地蔵、除蓋障(じょがいしょう)地蔵、日光地蔵と称する場合と、それぞれを金剛願地蔵、金剛宝地蔵、金剛悲地蔵、金剛幢地蔵、放光王地蔵、預天賀地蔵と称する場合が多いが、文献によっては以上のいずれとも異なる名称を挙げているものもある。いずれにしても、像容のみからそれぞれの地蔵がどれに当たるかを判別することはほぼ不可能である。
 日本では、六地蔵像は墓地の入口などにしばしば祀られている。中尊寺金色堂には、藤原清衡・基衡・秀衡の遺骸を納めた3つの仏壇のそれぞれに6体の地蔵像が安置されているが、各像の姿はほとんど同一である。
 【地蔵菩薩に関する伝承】過去久遠の昔、インドに大変慈悲深い2人の王がいた。一人は自らが神となることで人を救おうと考え、一切智威如来という神になった。だが、もう一人の王は神になる力を持ちながら、あえて神となることを拒否し、自らの意で人の身のまま地獄に落ち、すべての苦悩とさ迷い続ける魂を救おうとした。それが地蔵菩薩である。
 地蔵菩薩の霊験は膨大にあり、人々の罪業を滅し成仏させるとか、苦悩する人々の身代わりになって救済するという説話が多い。
 菩薩は、如来に次ぐ高い見地に住する仏であるが、地蔵菩薩は「一斉衆生済度の請願を果たさずば、我、菩薩界に戻らじ」との決意でその地位を退し、六道を自らの足で行脚して、救われない衆生、幼くして散った子供や水子の魂を救って旅を続ける。特に、生前の功徳が足りないことから、賽の河原から先へ進めず、石の塔婆作りを永遠に続けなければならない水子の魂を救うため、賽の河原に率先して足を運んでは、仏法や経文を聞かせて水子らに徳を与え、成仏への道を開いていく水子救済の功徳は余りに有名。このように地蔵菩薩は最も弱い立場の人々を最優先で救済する菩薩であることから、古くから絶大な信仰の対象となった。
 また後年になると、地蔵菩薩の足下には餓鬼界への入口が開いているとする説が広く説かれるようになる。地蔵菩薩像に水を注ぐと、地下で永い苦しみに喘ぐ餓鬼の口にその水が入る。仏教上における餓鬼は、生前嘘を他言した罪で燃える舌を持っており、口に入れた飲食物は炎を上げて燃え尽き飲み食いすることは出来ないが、地蔵菩薩の慈悲を通した水は餓鬼の喉にも届き、暫くの間苦しみがとぎれると言われている(その間に供養を捧げたり得の高い経文を聞かせたりして成仏を願うのが施餓鬼の法要の一端でもある)。これは六道全てに隔てなく慈悲を注ぐと言われる地蔵菩薩の功徳を表す説であり、施餓鬼法要と地蔵菩薩は深い関係として成立していった。
 ところで、仏教上の非道者を指す一闡提という言葉があるが、これには単に「成仏しない者」という意味もあることから、地蔵菩薩のように一切の衆生を救う大いなる慈悲の意志で成仏を取り止めた仏を「大悲一闡提」と称賛し、通常の一闡提とは明確に区別する。
 先に述べた「六地蔵」とは、六道それぞれを守護する立場の地蔵尊であり、他界への旅立ちの場である葬儀場や墓場に多く建てられた。また道祖神信仰と結びつき、町外れや辻に「町の結界の守護神」として建てられることも多い。道祖神のことをシャグジともいうことから、シャグジに将軍の字を当て、道祖神と習合した地蔵を将軍地蔵(勝軍とも書く)とも呼ぶようになった。
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