インターネットによる株の取引が盛んになっている。ある取材先で雑談に、「おや、株をやっていないのですか。経済の勉強になるし、今は主婦でも気楽にやって、けっこう儲けている」と言われ、頭に残った。
株のトレンドを見ると、昨年夏からかなりの株が価格上昇に転じている。住金の広報担当者と話していたら、一時40円だった株価が400円を超え、10倍になった。企業業績の実勢よりも素人が飛びつくような情報でいっせいに株価が動く、と話していた。スレッドを眺めれば、年が明けてから500万円、種銭100万円から年間1億円まで増やしたとか、景気のいい儲け話が飛び交っている。投機とは「市場の心理を予想する活動」と定義づけたのはジョン・メイナード・ケインズだ。ケインズは、こうして抑制的理性の範疇を越えてしまう投機家心理を「アニマル・スピリット」とも称した。
今日、図書館でエドワード・チャンセラー著『バブルの歴史』を借りた。Edward Chancellorは、ケンブリッジ、オックスフォードで歴史学を学び、投資銀行ラザースに勤務した経歴のフリーランス・ジャーナリストだけに、執筆スタイルがオーソドックスだ。その中に、チャールズ・ディケンズの友人、チャールズ・マッケイが、投機(speculation)について、「対象は、小説家すら羨(うらや)むほどの興味をかきたてることができる。…人びとが一斉に理性のくびきを逃れ、黄金の夢を追い求めてがむしゃらに走りだし、それが夢にすぎない事実を認めることを頑迷に拒否し、まるで鬼火かなにかのように沼地に飛び込んでいくさまをみているのが、退屈だとか、なんの教訓も得られないとかいえるだろうか」(『常軌を逸した大衆の幻想と群集の狂気』、1841年)と書いたという記述がある。
ニッポンでは、俳諧による風雅の極みとこの「鬼火かなにかのように沼地に飛び込む」投機的な金融経済の萌芽が同じ時期、同じ場所に重なった。松尾芭蕉=写真が奇蹟のようなハイクを次々に生み出した元禄期に、穀物の先物取引が発生している。元禄七(1694)年に、芭蕉は、大阪の「御堂前花屋仁左衛門方」で亡くなっているが、その三年後、大阪の「堂島(どうじま)新地」に米のせり場が開設された。後に、このドウジマ米市場は、米価の安定のために先物取引(帳合米取引)を幕府から公認され、シカゴ商品取引所に一世紀以上も先駈けて金融デリバティブ市場の特性を持つに至る。
ところで、生前の芭蕉は、弟子の菅沼曲水に宛てて以下のような有名な文を書き送っている。風雅と金儲け、現代の株取引と生き方の問題にも通じる「点取り俳諧(はいかい)」=ギャンブル・ハイカイの流行についての感想として貴重。机上で、「芭蕉の風雅」と繰り返しても、損得勘定からなりたつ現世の処世方針として、どこまで通用するのか。芭蕉は懐広く、しかし厳しく「道のハイカイ」を言い放っている。
元禄五(1692)年、バショウ翁は、キョクスイ宛て書簡(二月十八日付け)に、いわゆる「風雅三等之文」として知られる次の文面を記している。(原文に手を加えてある)
――こちらより手紙を差し上げましたところ、あなたさまからもお手紙を頂き、かたじけなく思われました。実際に、あなたさまとお会いし対座しているような心持で拝見しました。いよいよご達者のむね、千万にめでたく存じます。
ご子息のタケスケ殿はいかにお暮らしでしょうか。さぞかし成長して腕白が日ごとに盛んになっていることと存じます。
わたしの元旦の愚句が、あなたさまの耳にとまれば甲斐ある心地がして、喜びに堪えません。以下、お手紙の趣旨にそって感じたところを書いてみます。
さて、幻住庵の屋根の葺きかえを命じられたよし、珍重に存じました。浮世の沙汰が少しでも遠きは幻住庵のあるコクブ山のみと、折々の寝覚め時に忘れがたく思い出されます。このはかない命を長らえましたら、再び薄雪の曙など見たいものだと存じます。
わたしの考えでは、風雅の道筋は、大方、三等級の者に分類できます。
一、賭事の点取りハイカイに昼夜を尽くし、いたずらに勝負を争い、道を見ずして走りまわる者がいます。彼らは、風雅のうろたへ者に似ています。点者の妻子はそれで腹を満たし、家主は店賃でお金が入るのですから、悪事を働くよりはましといったことでしょう。=ギャンブル・ハイカイ
二、その身は富貴にして、だからといって、目立つ道楽は世をはばかるし、他人の悪口や噂に時を送るよりはいいと、日夜、大量の句を採点して、勝っても負けても喜怒もそこそこに、「いざ、もう一巻」などと句作に励み、線香が五分まで燃える間に工夫をめぐらす者がいます。そんなのは少年のカルタに等しいでしょう。されども、そのために料理を整え、酒を飽くまで用意して、貧乏なハイカイ仲間に活躍の場を与え、点者を金儲けさせることは、これまた道の建立の一助となりましょうか。=パトロン・ハイカイ
三、志を勤め、情に慰め、むやみに他人の是非の評価を気にかけず、ハイカイによって実の道に入るべき者がいます。つまり、はるかに定家の骨をさぐり、西行の筋をたどり、白楽天の腸を洗い、杜甫の方寸に入る者は、都会も田舎も通じ、指折り数えるにわずかに十人とはいません。あなたさまもこの十人のなかに入るよう修行第一とお気張りなさい。=道のハイカイ
それにしても、ロツウ(路通)がオオサカにて還俗したとの噂は事実だろうと思われます。その傾向は、三年前から見えていたことですから驚くに足りません。ロツウには、とても西行や能因の真似はできません。普通の人が普通のことをなすに、なんの不審がありましょうか。拙者においては、ロツウは破門しません。俗になっても風雅の助けになるは、昔の乞食時代よりまさるとも言えましょう。
*参照→作中の「風雅三等之文」
株のトレンドを見ると、昨年夏からかなりの株が価格上昇に転じている。住金の広報担当者と話していたら、一時40円だった株価が400円を超え、10倍になった。企業業績の実勢よりも素人が飛びつくような情報でいっせいに株価が動く、と話していた。スレッドを眺めれば、年が明けてから500万円、種銭100万円から年間1億円まで増やしたとか、景気のいい儲け話が飛び交っている。投機とは「市場の心理を予想する活動」と定義づけたのはジョン・メイナード・ケインズだ。ケインズは、こうして抑制的理性の範疇を越えてしまう投機家心理を「アニマル・スピリット」とも称した。
今日、図書館でエドワード・チャンセラー著『バブルの歴史』を借りた。Edward Chancellorは、ケンブリッジ、オックスフォードで歴史学を学び、投資銀行ラザースに勤務した経歴のフリーランス・ジャーナリストだけに、執筆スタイルがオーソドックスだ。その中に、チャールズ・ディケンズの友人、チャールズ・マッケイが、投機(speculation)について、「対象は、小説家すら羨(うらや)むほどの興味をかきたてることができる。…人びとが一斉に理性のくびきを逃れ、黄金の夢を追い求めてがむしゃらに走りだし、それが夢にすぎない事実を認めることを頑迷に拒否し、まるで鬼火かなにかのように沼地に飛び込んでいくさまをみているのが、退屈だとか、なんの教訓も得られないとかいえるだろうか」(『常軌を逸した大衆の幻想と群集の狂気』、1841年)と書いたという記述がある。
ニッポンでは、俳諧による風雅の極みとこの「鬼火かなにかのように沼地に飛び込む」投機的な金融経済の萌芽が同じ時期、同じ場所に重なった。松尾芭蕉=写真が奇蹟のようなハイクを次々に生み出した元禄期に、穀物の先物取引が発生している。元禄七(1694)年に、芭蕉は、大阪の「御堂前花屋仁左衛門方」で亡くなっているが、その三年後、大阪の「堂島(どうじま)新地」に米のせり場が開設された。後に、このドウジマ米市場は、米価の安定のために先物取引(帳合米取引)を幕府から公認され、シカゴ商品取引所に一世紀以上も先駈けて金融デリバティブ市場の特性を持つに至る。
ところで、生前の芭蕉は、弟子の菅沼曲水に宛てて以下のような有名な文を書き送っている。風雅と金儲け、現代の株取引と生き方の問題にも通じる「点取り俳諧(はいかい)」=ギャンブル・ハイカイの流行についての感想として貴重。机上で、「芭蕉の風雅」と繰り返しても、損得勘定からなりたつ現世の処世方針として、どこまで通用するのか。芭蕉は懐広く、しかし厳しく「道のハイカイ」を言い放っている。
元禄五(1692)年、バショウ翁は、キョクスイ宛て書簡(二月十八日付け)に、いわゆる「風雅三等之文」として知られる次の文面を記している。(原文に手を加えてある)
――こちらより手紙を差し上げましたところ、あなたさまからもお手紙を頂き、かたじけなく思われました。実際に、あなたさまとお会いし対座しているような心持で拝見しました。いよいよご達者のむね、千万にめでたく存じます。
ご子息のタケスケ殿はいかにお暮らしでしょうか。さぞかし成長して腕白が日ごとに盛んになっていることと存じます。
わたしの元旦の愚句が、あなたさまの耳にとまれば甲斐ある心地がして、喜びに堪えません。以下、お手紙の趣旨にそって感じたところを書いてみます。
さて、幻住庵の屋根の葺きかえを命じられたよし、珍重に存じました。浮世の沙汰が少しでも遠きは幻住庵のあるコクブ山のみと、折々の寝覚め時に忘れがたく思い出されます。このはかない命を長らえましたら、再び薄雪の曙など見たいものだと存じます。
わたしの考えでは、風雅の道筋は、大方、三等級の者に分類できます。
一、賭事の点取りハイカイに昼夜を尽くし、いたずらに勝負を争い、道を見ずして走りまわる者がいます。彼らは、風雅のうろたへ者に似ています。点者の妻子はそれで腹を満たし、家主は店賃でお金が入るのですから、悪事を働くよりはましといったことでしょう。=ギャンブル・ハイカイ
二、その身は富貴にして、だからといって、目立つ道楽は世をはばかるし、他人の悪口や噂に時を送るよりはいいと、日夜、大量の句を採点して、勝っても負けても喜怒もそこそこに、「いざ、もう一巻」などと句作に励み、線香が五分まで燃える間に工夫をめぐらす者がいます。そんなのは少年のカルタに等しいでしょう。されども、そのために料理を整え、酒を飽くまで用意して、貧乏なハイカイ仲間に活躍の場を与え、点者を金儲けさせることは、これまた道の建立の一助となりましょうか。=パトロン・ハイカイ
三、志を勤め、情に慰め、むやみに他人の是非の評価を気にかけず、ハイカイによって実の道に入るべき者がいます。つまり、はるかに定家の骨をさぐり、西行の筋をたどり、白楽天の腸を洗い、杜甫の方寸に入る者は、都会も田舎も通じ、指折り数えるにわずかに十人とはいません。あなたさまもこの十人のなかに入るよう修行第一とお気張りなさい。=道のハイカイ
それにしても、ロツウ(路通)がオオサカにて還俗したとの噂は事実だろうと思われます。その傾向は、三年前から見えていたことですから驚くに足りません。ロツウには、とても西行や能因の真似はできません。普通の人が普通のことをなすに、なんの不審がありましょうか。拙者においては、ロツウは破門しません。俗になっても風雅の助けになるは、昔の乞食時代よりまさるとも言えましょう。
*参照→作中の「風雅三等之文」