Discover the 「風雅のブリキ缶」 written by tonkyu

科学と文芸を融合した仮説作品「風雅のブリキ缶」姉妹篇。街で撮った写真と俳句の取り合わせ。やさしい作品サンプルも追加。

表参道のイルミネーションとクリスマス人形

2010年12月25日 14時45分12秒 | Journal


 23日の天皇誕生日の夕刻、表参道へでかけた。この時期にしては寒くもなく、妻と会社の青年と、原宿駅から表参道までイルミネーションを眺めながら歩いた。綺麗といえば綺麗、美しいといえば美しい。ただ、群衆の中に入ってそれを眺めれば少しものさびしいものがある。それからヒルズの予約をとっておいたレストランで食事をとった。同潤会青山アパートを建て替えたこの建物は、安藤忠雄氏の設計だとかで、なるほど同氏の設計になる松山の坂の上の雲ミュージアムと似て、なだらかなスロープの回廊を登っていくといつの間にか上の階まできている工夫だ。館内にクリスマスツリーが飾ってあり、記念撮影のスポットになっている。地階には、人工のスケートリンクがあった。滑る人は限られている。ヒルズをでると、同潤会アパートの生き残りがくっついていると知る。表参道駅までの帰路、横道にそれてショーウインドウのクリスマス人形と対面した。愛嬌のあるマネキンたちだ。
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初冬の風景――日建のスカイツリー、抵抗する老人、紅葉の池の鶴、首かけイチョウ

2010年12月18日 15時36分24秒 | Journal


 別に意図もない冬の風景の羅列である。まず、取材で訪れた日建設計の玄関ホールで東京スカイツリーの模型を写真に撮った。それから取材帰りに経済産業省から銀座へ出る途中、日比谷公園の前の交差点で後期高齢者医療制度の廃止を訴える老人方を撮った。さらに、日比谷公園内を抜けながら、池の紅葉と鶴の噴水、松本楼の大きな銀杏の樹の根元を心配げに眺める人々を撮った。この大木には「首かけイチョウ」という名がある。明治32年頃、本多静六という日比谷公園の生みの親が、道路拡張のために伐採されそうになっていた銀杏の樹を政治家にかけあってここへ移植してきたのだが、そのとき静六氏が「首をかけても移植させる」と粘ったことに由来するのだとか。そんな一徹な根性で運んできた樹であるから、根が腐ったら大変である。
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村上春樹、レイモンド・チャンドラー、老舎を読む。

2010年12月12日 18時31分40秒 | Journal


 最近、また小説を少し読んでいる。めまいが襲うから、余りたくさんは読まない。集中力も長続きしないので、ゆっくりページをめくって読む。村上春樹は『1Q84』を、これは3冊を回転性めまいの発作前に読んだ。その後、村上氏が訳したレイモンド・チャンドラーの『ロング・グッドバイ』を読み、訳者には悪いが、小説世界の成熟度として大人と子供の差があるなと感じた。小生には、村上ワールドは子供ぽく、私立探偵フィリップ・マーロウのハードボイルドの世界はいかにも大人ぽく映った。おそらく、村上氏本人もこうした比較にさほど怒らないであろう。村上氏というよりは、日本社会そのものが子供っぽいのだ。その子供社会に生起する人間をいくら巧みに描いても、どうしても大人に見えてこない。小説の中で子供が大人の服を着て、大人を演じている。それから、数日前、さて次は何を読もうかと日本橋の丸善に立ち寄って、『海辺のカフカ』を手にとってしばらく眺めていたが、「そのうちにまたお会いしましょう」と丁重に元の棚に戻して、「そうだ、老舎の作はあるかな」と岩波文庫のコーナーを探した。妻が以前『茶館』をほめていたのを思い出したのだ。そして今、老舎の『駱駝祥子(ロート・シアンツ)』を読みだしたところだ。老舎は、驚くべき達者な作家であった。文体はまるで英語で書いたようにインターナショナルであり、物語を仕立てる想像力は天性なのか、自然でかなりのものがある。これほどの作家が文革で凌辱され入水自殺したのは気の毒としか言いようがない。彼が作品にいとおしく描いた北京庶民の幼児的態度が彼を死に導いたのだから、これは歴史が人間に対して下した大いなる皮肉である。ロート・シアンツは、立間祥介氏の平易な訳も良く、今はゆっくりしたペースだが楽しくページをめくっている。不思議と疲れない。妻に何を読んでいるかと訊ねられ、文庫を示すと、「立間先生!」と小さく叫んだ。かなり前だが、同じ大学で親しく話したことがあるのだとか。
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ボブディランが気になりだしている。

2010年12月04日 11時30分09秒 | Journal
 Bob Dylan

 「風に吹かれて」のボブディランが急に気になりだした。今までは、ときどきラジオで流れてくる彼の古めかしい唸っているような歌声とハーモニカを少しこちらも気恥ずかしいようなニヤニヤとした思いで聴いているだけだったが、「もしかしたら彼がオレの原点かもしれない」とにわかに思いつめている。ボブディランは今年69歳になるそうだ。しかし、その青春的な魂はそう簡単に老けないということであろう。いや、彼とともにある自分の老いがどこか揺さぶられて魂の震撼を呼び起こしているのかもしれない。
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上智大学の冬枯れの桜

2010年12月02日 21時57分15秒 | Journal
 麹町で取材を終え、昼時の四谷まで戻る途中、上智大学の土手の上にのぼって桜並木を少し散策した。ここは春ともなれば一つの桜の名所である。しかし、天気は好くてもこうした秋深まったころに訪れる人はまばらである。小生は、染井吉野の開花もよいが、奇麗な秋空をキャンパスに黄色い葉っぱが落ちかけて梢に残る晩秋の桜の樹を眺めるのも風情があると思う。第一、秋は雑念が春より少ない。爽快である。透明になれる。
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