Discover the 「風雅のブリキ缶」 written by tonkyu

科学と文芸を融合した仮説作品「風雅のブリキ缶」姉妹篇。街で撮った写真と俳句の取り合わせ。やさしい作品サンプルも追加。

プラハのカフカ-58 プラハとレクイエム

2008年06月29日 11時19分03秒 | プラハのカフカ
 聖ニコラス教会のモーツァルト『レクイエム』(Requiem, KV626)を指揮したのは、写真で左から三番目の女性指揮者ミリアム・メンコバさんだった。演奏はプラハ・シンフォニア・オーケストラ。歌手4名の名はチェコ語なのでよく分からない。皆、うまかった。歌手の掛け合いに陶然とした。良い演奏であったな。それに、教会建築の音響効果がここまで素晴らしいとは思わなかった。
 ところで、以下のWikipedia情報によれば、このレクイエム作曲の経緯とプラハには深い因縁がある。
 ――1791年、モーツァルトはウィーンの聴衆の人気を失い苦しい生活を送っていた。旧知のシカネーダー一座から注文を受けたジングシュピール『魔笛』K.620の作曲をほぼ終えたモーツァルトは、プラハでのボヘミア王としての皇帝レオポルト2世の戴冠式で上演するオペラ・セリア『皇帝ティートの慈悲』K.621の注文を7月末に受け、これを優先して作曲する。ジュスマイアにレチタティーヴォの部分を手伝わせてようやく完成の目処がたち、8月末にプラハへ出発する直前、見知らぬ男が彼を訪ねた。男は匿名の依頼主からのレクイエムの作曲を依頼し、高額な報酬の一部を前払いして帰っていった。作曲の依頼時期は伝記などでは7月説もある。本稿ではより合理的なH.C.ロビンズ・ランドンの説を採用した。9月中旬、プラハから戻ったモーツァルトは『魔笛』の残りを急いで書き上げ、9月30日の初演に間に合わせる。その後レクイエムの作曲に取りかかるが、体調を崩しがちとなり11月20日ころには床を離れられなくなってしまう。12月になり病状はさらに悪化して、モーツァルトは再び立ち直ることなく12月5日の未明に他界する。
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プラハのカフカ-57 驚天動地の聖ニコラス教会内部

2008年06月29日 11時02分16秒 | プラハのカフカ
 写真からも想像できるだろうが、聖ニコラス教会の内部には驚いた。ただただ見上げて唖然(あぜん)としながらも、礼拝席を足早に通り越して、前に置かれた折りたたみ椅子に腰掛けた。同じ入場料ならば、できるだけ前の席で演奏を聴きたかったのだ。
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プラハのカフカ-56 いざ、コンサートへ

2008年06月29日 10時54分43秒 | プラハのカフカ
 待つこと5分ぐらい。開場となったので聖ニコラス教会の小さな入口へ階段を上った。こうして写真を見ると、教会の紋章(?)がいかめしい。モーツァルトの『レクイエム』は、小生が一番好む楽曲だ。特に、死にたいような気分のときは必ず聴きたくなる。いかめしい紋章の下を教会の中に入った。
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プラハのカフカ-55 青空にプラハ城の尖塔

2008年06月29日 10時43分39秒 | プラハのカフカ
 聖ニコラス教会に着いて、開場を待っている間、広場の上の青空にさっきまで時を過ごしたプラハ城の、聖ヴィート大聖堂の尖塔が見えた。カフカもコンサートを待つ間、同じように尖塔を見上げたことであろうな。
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プラハのカフカ-54 クネドリーキとビール

2008年06月29日 10時37分29秒 | プラハのカフカ
 レストランで『レクイエム』の公演の前に食べたのは写真のような料理。ぼってりしている。チェコ名物のクネドリーキ(蒸しパンのようなもの)は味がない。有名なビールもただの生ビールだ。鶏はうまかった。鶏で胃袋を空きを満たし、赤ワインを追加したほろ酔いに機嫌よくチップを残してコンサートに向かった。
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プラハのカフカ-53 レクイエムとレストラン

2008年06月29日 10時28分03秒 | プラハのカフカ
 聖ニコラス教会でのコンサートの題目はモーツァルトの『レクイエム』だった。考えるまでもない。入ることにして切符を購入した。公演まで1時間ぐらいあったので腹ごしらえにレストランを探して先の小路を行くと、写真左のようなレストランがあった。
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プラハのカフカ-52 聖ニコラス教会でコンサートが

2008年06月29日 10時22分27秒 | プラハのカフカ
 この日は日曜日である。方々の教会でコンサートが開催される。プラハ城(Prague Castle)の坂をおりたところの広場に聖ニコラス教会(St. Nocolas Church)があり、そこでも入場券を買う列ができていた。題目によっては入ってみようと近づく。
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プラハのカフカ-51 山吹のような花

2008年06月28日 17時36分49秒 | プラハのカフカ
 山吹とは日本と中国に咲く東洋の花らしいから、まさかチェコのプラハの赤いレンガ屋根を背景に咲いているとは考えにくい。プラハ城のプラッチャニ広場から下る坂道で撮った。こうして撮っても、なかなか東洋的な花の風情である。やはり山吹かな。
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プラハのカフカ-50 プラハ宮殿と法隆寺

2008年06月28日 15時04分15秒 | プラハのカフカ
 これはプラハ城の宮廷の外を歩いているとき撮った。多分、王宮の執務室などがあったのだろう。かなり整然とした、色調も落ち着いてシックな建築だ。この色はチェコ人好みなのだろうか。かつて、奈良の斑鳩・法隆寺わきにも聖徳太子の執務室があった。教会と宮廷が半々に接合されたプラハ城は、政教融合建築として法隆寺の伽藍に通じる。
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プラハのカフカ-49 チューリップとプラハ市街

2008年06月28日 14時57分42秒 | プラハのカフカ
 これはプラハ城の側壁にそって歩いているとき、やはりロマネスク調というのか、塔の形が面白いのと、チューリップを合わせて、プラハ市街地を撮ったもの。東欧プラハの若干暗い感じが出ている。チュウリップの向こうにある植木鉢をひっくり返したようなものも、城壁のところどころに置かれていたな。
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