これは故宮の御花園で撮った写真だったか。小型のカメラで撮った。牡丹だろう。Wikipediaに――原産地は中国。元は薬用に栽培されていたが、則天武后も牡丹を愛でたという唐代以降、牡丹の花が「花の王」として他のどの花よりも愛好され、様々に詠まれ、描かれてきた。 清代以降、1929年までは中国の国花でもあった。1929年、当時の中華民国政府は国花を梅と定めた。中華民国政府が台湾に去った後、公式の国花は定められていなかった。中華人民共和国政府は現在「牡丹、蓮、菊、梅、蘭」の中から新しく国花を制定する作業中と伝えられる――とある。
中国史上唯一の女帝となり武周を立てた則天武后については――王氏(前皇后)と蕭氏(前淑妃)は武后により罪に問われ、四肢切断の上酒樽に漬けられ、また遺族の姓を侮蔑的な意味を込めた字である「蟒」(ウワバミ、蛇の一種)と「梟」に改称された。この際武后は「骨まで酔わせてやる。」と言ったと伝えられ、彼女の残虐さを強調するために好んで言及されるが、この刑は彼女の独創ではないようだ。蕭氏は「武照よ、お前は鼠に生まれ変われ。私は猫に生まれ変わって食い殺してやろう」と呪いながら死んだとされ、このため後年の武則天は宮中から猫を排除したとされる――と、すごい逸話が残る。
閻王(えんおう)の口や牡丹を吐かんとす 蕪村
則天武后の猫隠す緋牡丹かな 頓休
中国史上唯一の女帝となり武周を立てた則天武后については――王氏(前皇后)と蕭氏(前淑妃)は武后により罪に問われ、四肢切断の上酒樽に漬けられ、また遺族の姓を侮蔑的な意味を込めた字である「蟒」(ウワバミ、蛇の一種)と「梟」に改称された。この際武后は「骨まで酔わせてやる。」と言ったと伝えられ、彼女の残虐さを強調するために好んで言及されるが、この刑は彼女の独創ではないようだ。蕭氏は「武照よ、お前は鼠に生まれ変われ。私は猫に生まれ変わって食い殺してやろう」と呪いながら死んだとされ、このため後年の武則天は宮中から猫を排除したとされる――と、すごい逸話が残る。
閻王(えんおう)の口や牡丹を吐かんとす 蕪村
則天武后の猫隠す緋牡丹かな 頓休