Discover the 「風雅のブリキ缶」 written by tonkyu

科学と文芸を融合した仮説作品「風雅のブリキ缶」姉妹篇。街で撮った写真と俳句の取り合わせ。やさしい作品サンプルも追加。

ほととぎす今は俳諧師なき世哉(芭蕉)

2006年02月05日 15時02分06秒 | note 「風雅のブリキ缶」
 図書館で借りた『芭蕉全句』(袖珍版、監修・堀信夫)という句集で、これまでに見落としてきた芭蕉の句を拾っていて、創作年次未詳の上記の句が目に止まった。芭蕉の時代にも、そう感ぜられたのだなと。
 写真は、句集の表紙にあった小杉放庵筆の「合歓(ねむ)の雨」で、「象潟(きさがた)や雨に西施(せいし)がねぶの花」の場面とか。教養が足りず意味を探すに、芭蕉が雨煙る象潟(秋田)入りしたところ、合歓の花の風情に感じ、美人の西施が物思わしげに目をつむっているようだと、蘇東坡(そとば)の詩を踏んで吟じたそうだ。
 もう20年近く前、自宅の庭にも杜鵑(ほととぎす)がやってきていて、朝などそのホーホケキョの鳴き声で目を覚ます風流もあった。周囲にマンションや戸建て住宅が建ち尽し、それがすっかりなくなって、味気ない。
 俳諧とは、杜鵑の美声に負けない人間の心味なり。今回拾った芭蕉の句に、それを感じてみよう。

 ●夕皃(ゆうがお)にみとるるや身もうかりひよん  (1666年夏)

  *実は、夕顔からは瓢(ひさご)の実がとれるそうな。花に見惚れて、うっかり時を過ごしてしまう。

 ●あさがほに我は食(めし)くふおとこ哉  (1682年秋)

  *近江の出身ながら、宵っ張りの朝寝坊、都会人になりきって派手な句風を興している弟子の宝井其角(たからい・きかく)に対して、我は、早寝早起きで、朝顔を眺めながら朝食を食べるような男であるよ。

 ●馬ぼくぼく我をゑに見る夏野哉  (1683年夏)

  *中国の画にあるように、夏野で馬に揺られる自分を想像する楽しさ。

 ●山路来て何やらゆかしすみれ草  (1685年春)

  *大津へ出る山路にて。解説の要らぬ分かりやすさ。

 ●花の雲鐘は上野か浅草か  (1687年春)

  *ご当地ソングの究極。朧(おぼろ)な花霞の春気色に、鐘の音の出処も定かでない。

 ●冬の日や馬上に氷る影法師  (1687年冬)

  *豊橋辺りを旅のとき、馬上の寒さに凍えながら詠んだらしい。

 ●五月雨(さみだれ)にかくれぬものや瀬田の橋  (1688年夏)

  *以前、大津へ行って、義仲寺に寄った後、ぶらぶらと石山寺に行く途中、この由緒ある川に架かる由緒ある橋を眺めたことがある。今も、マラソン中継を見ながら思い出すことが…。

 ●夕がほや秋はいろいろの瓢(ふくべ)かな  (1688年夏)

  *『源氏物語』に出てくる品のある夕顔も、秋には大小の瓢となるのだからと、おかしがる。

 ●鐘つかぬ里は何をか春の暮  (1689年春)

  *今の世に、鐘を聴くのは除夜の鐘のみなり。どこぞの晩春に、鐘を聴きながら暮らしてみたい。

 ●我に似るなふたつにわれし真桑瓜(まくわうり)  (1690年夏)

  *若い頃の自分を彷彿する俳諧師希望の青年に向かって、温かい訓戒の句なり。

 ●名月や門(かど)に指(さし)くる潮頭(しおがしら)  (1692年秋)

  *堤防のない当時、深川の庵へは満ち潮が門先まで寄せてきたのであろう。

 ●青くても有(ある)べき物を唐辛子  (1692年秋)

  *言われてみれば、秋になって真っ赤になる唐辛子は、それだけ季節に必死なのであろう。

 ●年どしや猿に着せたる猿の面  (1693年春)

  *正月の猿回し、猿に猿の面では代わりばえもない。去年と新年、猿が猿の面を外すだけか。

 ●さみだれの空(そら)吹(ふき)おとせ大井川  (1694年夏)

  *天地俳諧の気宇壮大。

 ●鶏頭(けいとう)や雁(かり)の来る時なをあかし  (元禄年間・秋)

  *中国原産で、「韓藍(からあい)」とも。なんとなく不気味な赤だ。 
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