Discover the 「風雅のブリキ缶」 written by tonkyu

科学と文芸を融合した仮説作品「風雅のブリキ缶」姉妹篇。街で撮った写真と俳句の取り合わせ。やさしい作品サンプルも追加。

我が家のスノーマン

2012年12月24日 10時23分14秒 | Journal


 クリスマスということで、我が家にもスノーマンが登場した。妻が買ってきてくれたのだ。
 「The Snowman」は、1978年に出版されたレイモンド・ブリッグズ(Raymond Briggs, 1934年1月18日 - )原作の絵本だそうで、あらすじは「一面の銀世界になった冬のある日、名もない少年は雪だるまを作る。その夜、時計の針が12時を指したとき、その雪だるまは命を得る。雪だるまと少年は大人を起こさないように気をつけながら家で遊ぶ。おもちゃなどでたくさん遊んだ二人は、外に冒険に出ることにし、オートバイに二人乗りして遊ぶ…」といったものらしい。ここで「名もない少年」というのは面白い。大抵、少年は名もないものであろう。逆に言えば、名もないから雪だるまと遊べる無垢な喜びがあるのだ。
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選挙速報を見る

2012年12月16日 21時55分15秒 | Journal
 


 古舘さんの番組で選挙速報を見た。自民党の大勝ということで、幹事長の表情も対照的だったが、自民党の政治に期待するというよりは、民主党がこのまま消えていくかもしれない点が気になる。保守とリベラルという2大政党の枠組みが結局、この国では根づかない可能性が出てきたからだ。民主党が現実に政権をとるとリベラルではなくなってしまった点に問題があったが、やはり地震に揺すられ、原発事故に恐怖し、中国の大国化に怯え、生活がぱっとしないとあって、国民の側もリベラルを本気では欲さず、一方的に保守化してしまったことが問題だろう。テレビでは、脂ぎった魚のような顔の幹事長が黒目を上辺に隠し、美男子はただただうなだれ、老骨は鞭打つまでもなく意気軒昂、中堅は中堅のままで小さく、琵琶湖の姫様は相変わらずおっとりであった。
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『熈代勝覧』(きだいしょうらん)のお江戸日本橋

2012年12月10日 21時21分36秒 | Journal


 『熈代勝覧』(きだいしょうらん)は、文化2年(1805年)のお江戸日本橋を描いた絵巻。ベルリン国立アジア美術館の所蔵とか。日本橋三越の地下道を歩いていたら壁に複製が掛けてあった。江戸の賑わいを伝える楽しい絵巻だ。今はお高くとまっただけの日本橋だが、二百年前は庶民の生活が溢れていたということであろう。
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晩秋の色が濃い日比谷公園

2012年12月06日 20時21分29秒 | Journal






 午後から経産省に取材で出かけ、日比谷公園を抜けて有楽町へ出て帰ってきた。晩秋の色が濃い、鮮やかな紅葉を楽しめた。こういう美しいときに余り人影もないのも面白い。師走に向かい、人々は忙しいのであろう。見かけたのは、一眼レフのカメラをぶら下げた元気なおばあさんばかりだ。
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東京スカイツリーの鉄を学ぶ、「上から見られると醜い東京という街」

2012年12月01日 21時57分09秒 | Journal
  

          
     

 今日、日本鉄鋼連盟が主催する鉄を学ぶ親子のための教室があって、北の丸公園の科学技術館へ取材に出かけた。鉄が炭素を含有すると硬くなり鋼と呼ばれるようになるところまでは知っていたが、その炭素の含有量によって火花の飛び散り量の大小が違うとまでは知らなかった。小生には、火花の量よりは第一色合いがぜんぜん違うように見えた。そのあとバスでベイブリッジ方面まで大いに寄り道して東京スカイツリーの見学に連れて行ってもらった。お蔭で噂の東京スカイツリーにも上ることができたが、まあ、高いところから眺めるならば飛行機からのほうがさらに雄大だし、こちらが風景に対して動いているから面白い、と感じた。あれだけの混雑や待たされる苦痛に耐えて止まった350メートルや450メートルの眺望ではとても割に合わない。ただし、この静止した眺望のなかに自分が住んでいる家やマンションが見えるのならば、それは一度ぐらいは確認に出かけるのは価値があるかもしれない。
 もう一つ家へ帰って疲れが多少とも癒えてから思いついた感想を追記しておくと、現代日本の建物は、もちろん東京の建物もその例外ではないが、上から見られると醜いことだ。屋根を欠いたビルの屋上などどれもこれも間抜けた空間を天にさらしている。かつての江戸もそうだし、北京などでも瓦屋根の建物は上から見られること、「天からの視点」を意識した建物となっていた。それに比べると、人間界の経済原理だけで敷き詰められた街が下から見上げている分にはそう思わなくても、上から覗き見ていかに見苦しいものであるかを、誰も気にかけてこなかった。スカイツリーから下界を見下ろして、あらためてそうしたことを実感できた。
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