久保田城から坂を下りてきて、まだ時間があるのと、昼を食べていなかったので、空腹を抱えてぶらぶらと歩いた。ガランとした街で、東京ならば1分歩けば2、3軒はラーメン屋か蕎麦屋にぶつかるところ、20分歩いても何もない。結局、40分近く歩いて、まずい味噌ラーメンと餃子を食べた。その店の向かいが、旧秋田銀行本店の「赤れんが郷土館」で、館内で、勝平徳之(かつひら・とくし)という版画家の企画展(別館として勝平徳之記念館も併設されている)を見た。この人が、1935年に秋田を訪れた建築家ブルーノ・タウトと知り合い、友情を育んでいたとは、二重の驚きだった。タウトが、当時の秋田まで行っていたとは。タウトは、桂離宮の感想を述べた亡命建築家として、第1巻(Bookmark)でも扱った。タウトが、たまたま泊まった旅館の壁に勝平の版画がかかっており、タウトが作者に会いたいと連絡を取ったのだという。郷土・秋田の庶民の生活を版画に刻んだ地方的な作家と、ナチスを批判した世界的な建築家の出会いは、まったくの偶然だったのである。タウトは、自著『日本の家屋と生活』の巻頭口絵に勝平の手刷木版画を使った。