今日は長崎に原爆が落とされた日であることから、このテーマの映画をテレビで一つ観た。黒澤明監督の『8月の狂詩曲』(1991)だ。美しい映像の淡々とした映画だったが、一つだけ気がついたことがある。詰まらないことだが、それは、山田洋次監督によく使われてきた俳優が登場していること。吉岡秀隆、井川比佐志の両演技派俳優。想像するに、黒澤監督は、山田作品(寅さんのような娯楽作も社会派の作品も)をよく観ていて、自作に出演させたい役者の目星をつけていたのであろう。ところで、同じく長崎原爆がテーマの山田監督の『母と暮せば』(2015)は、先に映画館で観たが、好みでいえば、黒澤作品に軍配をあげたい。山の端に原爆雲と大きな眼がグロテスクにも映し出されたときは、本当にぞっと怖くなった。比べて、山田監督が撮影時に非常にこだわったピカドンの閃光に一瞬にして医学教室のすべてが掻き消されてしまうシーンは、原爆のことを思えば必ず想像がつくもので、その割に、映画での再現は予期ほどの衝撃性がなかった。母親が死んだ息子の幽霊と対話するシーンも、涙と笑いを誘っても、わざとらしい感は否めなかった。一方、8月の激しい風雨の中、婆さんが傘をしっかり握り持って、夫や子供が死んだ原爆雲ともおぼしき嵐に向かって駈けていくラストシーン(慌てて孫たちや息子娘が追いかける)、この方が人間の老いと哀れと強さが伝わり来る。諦めや慰めよりは我執だ。なお、『8月の狂詩曲』の原作者である村田喜代子は、自身の芥川賞受賞作「鍋の中」を黒澤監督が『八月の狂詩曲』として映画化した際には不満で、「ラストで許そう黒澤明」という感想文を『文藝春秋』に寄稿した。小説の難解な文章は完全には映像化できないということだろうが、黒澤監督には原作の小説を尊重する気は大してなかったかもしれない。映画シナリオでは実現できない世界を小説にしようとした村田氏は、映像世界の効果を知悉(ちしつ)した黒澤監督の大胆かつ改作的な脚色が大分嫌だっただったようである。原作は、祖母と孫たちの交情の機微を描いたもので長崎原爆について書いたのではなかったというから、それはそれで驚きだ。
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