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科学と文芸を融合した仮説作品「風雅のブリキ缶」姉妹篇。街で撮った写真と俳句の取り合わせ。やさしい作品サンプルも追加。

映画『カルメン故郷に帰る』の浅間山を眺める

2022年08月04日 11時41分52秒 | Journal
 昨日まで二泊三日で軽井沢へ行ってきた。コロナ禍もあって旅行は久しぶりである。軽井沢行きは二度目であり、行く前から観光では浅間山を見るぐらいしか思い浮かばなかった。泊まったマリオットホテルがある中軽井沢から146号線で北上し途中から有料の鬼押ハイウエーとかで浅間山が一望できる展望地「鬼押出し園」までドライブした。駐車場に車を止め、軽井沢にしてはカンカンとした強い日差しに辟易(へきえき)しながら園に入ると、ここは溶岩がごろごろしていて少し興醒(きょうざ)めだったが、雄大な浅間山の迫力がある風景を眺めることはできた。





 この浅間山を眺めていて、子供のころテレビで観た『カルメン故郷に帰る』(1951)という木下惠介監督、高峰秀子主演の映画を思い出した。あの映画の背景にあった山は、この浅間山に違いないと。白黒テレビで観たから総天然色であったわけはないのだが、何故か、鮮やかなカラーフィルムとして記憶に残っているのも不思議。





 映画の中の軽井沢の村人同様、小生も子供心に東京から帰郷したストリッパー(高峰秀子)の圧倒的な明るさに圧倒されたものだ。メリナ・メルクーリ主演のギリシア映画『日曜はダメよ』(1960)に匹敵する天衣無縫(てんいむほう)な明るさである。差別とか何かと社会的な慮(おもんばか)りで今どき表現が難しくなってしまった明るさである。山田洋次監督のハナ肇主演『馬鹿まるだし』(1964)や柴又の団子屋の裏手にある印刷工場の職工を「労働者諸君」と小馬鹿にした初期の「寅さん」の的屋風(てきやふう)なセリフ、田舎者の意地の悪さを散々に揶揄(やゆ)した漱石の『坊つちゃん』にも、そして、魯迅の『阿Q正伝』にもこうした明るさがあった。いずれも常識外、規格外、社会のはみだしものが主人公である。迫害にめげない明るさだけが生きる力になっている。映画の舞台となった浅間山もこの手の屈強な明るさをあらわにした変った山である。

 『日曜はダメよ』


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