Discover the 「風雅のブリキ缶」 written by tonkyu

科学と文芸を融合した仮説作品「風雅のブリキ缶」姉妹篇。街で撮った写真と俳句の取り合わせ。やさしい作品サンプルも追加。

迷子になった姫路城

2010年07月07日 22時24分35秒 | 四国の旅
 小3ぐらいのときだった。当時、父親の転勤で尼崎の塚口に住んでいて、横浜からお婆さんが一人で来たので、母親と三人で姫路城へ観光にでかけた。観光客にまざって城内の回廊のような廊下を歩いていて、私は母親とお婆さんからはぐれてしまった。この荘麗な天守閣に登ることもなく、一人でバスまで戻って泣きべそをかいていた。四国の帰り、この思い出の姫路城を訪れ、今度は天守閣登りを果たした。かれこれ45年ぶりに少年時の恨めしさを解消したわけだ。
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道後温泉本館2 夢に出る建物と品のあるお湯

2010年06月06日 18時56分40秒 | 四国の旅
 大方の建物は死んでいる。生きている建物は世に稀で少なかろうと思う。この道後温泉本館は、幾晩も連続して夢の中に怪異な印象とともに登場しそうなほど、小生にとってリアルな建物であった。高々、温泉場の遊興施設がそこまで強い印象を与えるのは、この建物が温泉場として人間の欲望や便益に対して放恣一途にもこもこと発展したもので、余計な社会的規範や使命を持たなかったからではないかと考えた。
 ちなみに、ここの湯は最高だった。世の中に温泉通は多かろうが、小生は、まったく関心がなくて、どこの湯はどうだのと講釈はできないが、入湯して、さらさらと湯の滑りがよく、透明感のある湯質である。さすがに、聖徳太子が先生と湯治にはるばる来た、漱石が松山市街からぶらぶらと来ただけのことはある、品位と魅力を秘めた名湯だ。いい湯は多かろうが、裸になっても心地に品のある湯は少なかろう。
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道後温泉本館1 看板を見て

2010年06月06日 18時50分30秒 | 四国の旅
 四国へいって城をたくさん見たが、それほど驚くことはなかった。しかし、松山へ到着し、夕刻に路面電車で道後温泉にやって来て、土産物屋が両側に並ぶアーケードを抜けて、正面に道後温泉本館の看板を眼にしたときは、突然、浮き浮きした感情にとらわれて思わず駆け出しそうになった。
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松山全日空ホテルの窓から萬翠荘を見る

2010年05月05日 21時53分18秒 | 四国の旅
 松山全日空ホテルの窓から裁判所の向こう側、松山城の山の緑にはめ込まれたような萬翠荘(ばんすいそう)が見えた。旧松山藩主の久松伯爵が1922年に別邸として建てたのだとか。贅沢なものだ。
 窓辺の花々は、高松城址で買った。右手のピンクの花を咲かせるのは木瓜(ぼけ)である。そして、漱石の句を思い出した。

   木瓜咲くや漱石拙(せつ)を守るべく

 『草枕』に、こんな拙なる木瓜へ寄せた一文がある。――ごろりと寝る。帽子が額をすべって、やけに阿弥陀となる。所々の草を一二尺抽いて、木瓜の小株が茂っている。余が顔はちょうどその一つの前に落ちた。木瓜は面白い花である。枝は頑固で、かつて曲った事がない。そんなら真直かと云うと、けっして真直でもない。ただ真直な短かい枝に、真直な短かい枝が、ある角度で衝突して、斜に構えつつ全体が出来上っている。そこへ、紅だか白だか要領を得ぬ花が安閑と咲く。柔かい葉さえちらちら着ける。評して見ると木瓜は花のうちで、愚かにして悟ったものであろう。世間には拙を守ると云う人がある。この人が来世に生れ変るときっと木瓜になる。余も木瓜になりたい。
 写真では陰になって見えないが、萬翠荘の裏側には、漱石が松山時代に下宿した愚陀佛庵(移築)もある。小生も漱石の拙を見学に、木瓜を残してホテルをあとにした。
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内子の町並み

2010年05月03日 10時29分31秒 | 四国の旅
 内子の町並みといってもおみやげ買いものがてらの短い滞在で、当てになることも言えないが、古いものをムリして保存していないところが、かえって普通の田舎町らしくていいのではないかと思った。景観というものも使われている景色でないと感じる価値がない。
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禅寺らしい内子は高昌寺の山門

2010年04月22日 21時30分53秒 | 四国の旅
 内子の曹洞宗の禅寺、護国山高昌寺は、1441年の創建、現在の場所への移築は1533年というから、なかなかの古刹(こさつ)だ。山門も古いものらしい。形が今の建築の感覚と違う。素朴かつ剛毅である。いまどきの建築に「素朴で剛毅」はないであろう。
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内子、涅槃仏の足の裏と女の子

2010年04月20日 22時09分46秒 | 四国の旅
 内子に大きな涅槃仏があるとは知らなかった。高昌寺という寺のものらしい。小生は、タイのバンコクはワット・ポー寺院で黄金に燦然と輝く大きな涅槃仏を見ているから、ニッポンの寺院の門前に大きな仏さまが寝そべっていても別段驚きはしない。ただ、静かな四国辺りの田舎で、その仏さまの足の裏をあどけない女の子が走り抜けていくと、眠っていた大仏さまがふと目を覚まして起き上がるのではないかと、夢想はできる。
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内子のかんきつ類販売所

2010年04月20日 20時51分09秒 | 四国の旅
 愛媛といえばミカンでしょ。内子の町を歩いていると、かんきつ類の販売所を見かけた。この中で小生の一押しは200円の「はるみ」である。このはるみ、ここでは買わなかったが、四国からの帰路に立ち寄った小生の母親の郷里、愛知県の蒲郡(がまごおり)の三河三谷(みかわみや)の八百屋で妻がたくさん買って、小生もお相伴(しょうばん)にあずかった。とにかくジューシーで、こんなに旨いミカンを喰ったのは初めてだった。
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内子、白壁の町並み

2010年04月20日 20時40分12秒 | 四国の旅
 内子の八日市護国の通りには、白漆喰の家々が立ち並ぶ。その通りの先には「内子座」なる大正5年に建てられた古風な木造の劇場もあったらしいが、見なかった。見ればよかった。みやげものを買って、ざっと流して観光しただけで、今回の内子見物は終わった。
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内子町のみやげもの屋「内乃子屋」

2010年04月19日 21時31分39秒 | 四国の旅
 内子町の古い街並みが残っている通りに入ると、最初に「内乃子屋」という屋号のみやげもの屋がある。観光地のみやげもの屋は同じような安物を並べてなんとなく辟易(へきえき)だが、ちょうど旅行のみやげを買いたいと考えていたので、妻と入った。入って、けっこうな買い物をした。伊予柑(いよかん)入りのバウムクーヘンだとか羊羹(ようかん)。これらがなかなか品よく旨い。宅配便で各所に送ってもらうことにした。
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