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科学と文芸を融合した仮説作品「風雅のブリキ缶」姉妹篇。街で撮った写真と俳句の取り合わせ。やさしい作品サンプルも追加。

ラフカディオ・ハーン『東の国から』について

2006年04月16日 09時45分26秒 | note 「風雅のブリキ缶」
 先々週ぐらいだったか、岩波文庫のリクエスト復刊でラフカディオ・ヘルンの『東の国から――新しい日本における幻想と研究(上下)』(平井呈一訳)を読む。初め、八重洲ブックセンターで見たとき、ヘルンとあるので、おかしいな、これってハーンじゃないかと首を傾げたが、解説文など読むと、やはりハーン、小泉八雲だ。訳者がドイツ語読みでもしたのであろう。
 主に、他の本と同じく朝の通勤電車の中で日課のようにして読んだこの本に、自作をこれからどう書けばいいのか、少しヒントをもらった気がした。哲学的な思索をどう物語世界に融合させるか、ハーンの作品群の中には、実にうまくこの課題をこなした逸品がある。写真は、熊本時代のハーンとセツ夫人(明治25年5月撮影)。ハーンは小男なり。あるいはセツが大女なり。

 上巻最初の「夏の日の夢」は、松江から熊本へ、人力車に乗った旅の途上での浦島太郎の伝説をもとにしたまことにうっとりとする美しい文章である。小生も、こうした美しい旅をしてみたい。乙姫(おとひめ)のような宿屋のおかみに会ってみたい。
 この作によって、浦島伝説が『日本書紀』にある由緒ある話だったと初めて知る。「雄略天皇二十二年、丹後国餘社郡水ノ江の浦島子、漁舟にのりて蓬莱山に赴く」とあり、また「淳和天皇の御宇、天長二年、浦島子帰る。再びまた行く。その行方を知らず」とか。

 下巻最初の「石佛」も印象的。ハーンは、熊本の高等学校の後ろにある肥後平野を見渡せる岡に、一体の石佛を見つけた。「この仏像は、加藤清正時代から、ここにずっとこうして坐っているのであって、じっと瞑想にふけっているようなそのまなざしは、はるか脚下の学校と、その学校のそうぞうしい生活とを、半眼にひらいたまぶたのあいだから、しずかに見下ろしながら、身に傷をうけながらもそれになにひとつ文句を言えない人のような、莞爾(かんじ、にこやか)とした微笑をたたえている」。
 そして、岡に立った眼前の風景と日本の伝統的な絵にちなんだこの卓越した日本人論。「日はしりえに高く、眼前にある風景は、さながら、日本の古い絵本にあるとおりである。いったい、日本の古い錦絵は、物に影がないということが、原則になっている」「色そのものの価値をはっきり見分けて、そうしてそれを縦横に駆使している、驚くべき技巧によるのである」「風景ぜんたいが光線にひたされているようなぐあいに描かれている」「白日のもとに万象のすがたを暗くし、その美観をそこねる物の陰影というものを、日本人は、いっさい好まなかった」。
 以下の決め台詞(ぜりふ)は圧倒的。「日本人にとっては、外的世界がそのように明るいのとひとしく、内的世界――心の世界も、やはり、そのように明るいものだったのである。心理的にも、日本人は、影のない人生を見ていたのであった」。 
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