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民主党の野田政権については、オスプレイの沖縄配備の一件ですっかり嫌気がさした。たぶん、次の選挙では自民党が政権をとる。その際、この国の首相になるのは自民党総裁となるが、たぶん、安倍晋三君が明後日の決選投票で国会議員票をまとめて勝つことになる(と思う)。当然、いずれは解散が入り、安倍新政権の組閣人事が始まる。そのときの参考のために、小生が一案をまとめた。テーマは、中国と戦争しない内閣である。組閣の条件は理由は定かでないが、今回、総裁選に立候補した5名を入閣させることで、この点がなかなりの苦肉となる。
◎内閣総理大臣 安倍晋三君(日本の太子党として、習近平氏と堂々渡り合ってもらいたい)
○外務大臣 町村信孝君(今回は安倍君とは同一会派で総裁選に遺恨が残ったが、そこは我慢である。かつて安倍首相自身が町村君の外相就任にこだわった経緯がある。なかなかの対中強硬派だが、外交政策に具体性がある。中国人にはその方が分かりやすい。車椅子で北京へ乗り込んで中国人民に真心をアピールしてもらいたい)
○財務大臣 林芳正君(5人のなかで一番頭が良さそうだし、会社経営の経験を本人も強調しているから、その頭を国の大切なお金の平和利用につかってもらう)
○防衛大臣 北野武君(タレント、映画監督。エリート意識から妙に凝り固まった人格よりもこういう繊細で本音キャラクターの方が中国では通用する。なぜならば、中国政権は軍も含めある意味、圧倒的な官僚エリート集団で、こういう人たちとやり合うには、田中角栄のように東大法学部卒の官僚を手なずけられる勘働きのある人物が必要。現役の政治家にそうした人材は見当たらない。また、欧米人にも強い個性なので、日米安保のアメリカ軍に対しても有効な人選)
○原子力防災担当大臣 石破茂君(原発対応や防災が我が国最大の国防である)
○復興大臣 石原伸晃君(ぺらぺらと空っぽに喋っていないで、被災者のために汗水ながして働いてもらう)
○内閣官房長官 国谷裕子さん(僕のあこがれのニュースキャスターだが、ジャーナリストが政治家になって期待通り活躍できるかは未知数。温家宝氏がお気に入りだったとか)
とりあえず、ここまで決めて、官邸から本人たちに打診する。北野君の返事は分からないが、国谷さんは必ず固辞するだろうから、安倍君には三顧の礼を尽くしてもらう。
最近は、寺田寅彦とジョン・グリシャム(John Grisham)を読んでいる。両者は、科学者・随筆家と弁護士・小説家で、寺田はとっくに亡くなっているが、グリシャムは小生と同世代のアメリカの流行作家。共通点が何もない。寺田は、熊本で高校教師をしていた漱石に俳句を学び、ニュートン(牛頓)という大それた俳号をもっていたが、やはりベースは漱石が猫や三四郎に描いた東大の物理研究者の姿であった。そして、教授となり学者としての生活に味気なさを感じながら科学と俳諧文学の融合を数々の随筆に書き綴った。寺田は日中、日米の関係がおかしくなりだしていた昭和10年に転移性骨腫瘍によって57歳で病没した。彼の随筆は、病床からその戦争の陰を描き出している。グリシャムは苦学して弁護士になり、個人事務所で貧乏人のために公費弁護のような金にならない仕事をしていた。その経験から今も弁護士小説を書き続けている。よく飽きないものだと思うぐらい、弁護士の視点から数々のストーリーを編み出している。どちらも、世俗的な専門性から分かりやすく親しめる文学(エンターテイメント)への転化が見られる。そう類似性を取りだしても、この二人の作家を同時並行して愛読する理由には足りない気がする。確実な専門的な経験があって、それを拡張して大まかに英雄的な見識表明になるよりは小市民の眼の穴で社会の事象を仔細に見て映しとっている――多分、両者にはそんなところがあろう。戦後、一世を風靡し、小生もよく読んだ司馬遼太郎のように、天下の英雄を好んで描き、ある側面を戯画的に拡大して書いた作家もいたが、段々、そういうのがうっとうしくなってきた。やはり、この世に生を受けても大した活発さを発揮できずに擬古してため息をついている、そんなつまらないとされる存在に宇宙を発見するのが作家の一仕事ではないか、と思う秋である。
粟一粒秋三界を蔵しけり 牛頓
中国の北京へは年2回、冬と夏に行くことが恒例となっている。北京生まれの妻の里帰りに同伴するから必然的にそうなっている。これが北京でなくニューヨークやパリだったらどんなだろうかとは考えないことにしている。別に、北京で構わない気もする。それにしても、今回は尖閣諸島(釣魚島)の日中問題が浮上し、丹羽大使が乗る車が止められて日の丸が持ち去られるという一件があったから、多少、緊張した気分が働いた。結果的には、日本で日本の報道を見て考えたよりは中国は冷静な感じを受けた。東京都が調査に入ったとか、国有化するとか、北京滞在中も日本側の動きばかりが目立ったが、別段、日本人(リーベンジェン)だからと恐ろしい思いをしなかった。これから追々、写真を挿入しながら話を進めるとしよう。…なお、8日に日本に帰国してから、日本政府が尖閣諸島の国有化を実行したことで、情勢は一気に悪化した。こうなると北京滞在は下記のようにはいかなかっただろう。国有化で、一線を越えてしまったのである。中国は中国で釣魚島は自分たちの固有の領土だと信じている。日本はその島を不法に占拠し、今度は「国有化した」というのは、彼らからすれば盗人猛々(ぬすっとたけだけ)しいと映る。日清戦争以来の歴史が繰り返され、中国はまた帝国主義の日本に侵略されたのだと映る。そんなまじに怒っている相手が見えずに「冷静かつ毅然と…」と国内向けに態度論を言っている愚かな日本の政治家の判断の甘さは、まったく修正されていない。原発事故のときと同じで、落ち着き払っているようで実は認識が足りないのだ。まさかと思った戦争も小競り合い程度かもしれないが、実際あり得る事態になってきた。犬養毅のような器の政治家はもういないのか。
まず、羽田空港の国際線が完成してはじめての旅となるので、その様子を妻が撮ってくれたのを含め3枚。住んでいる港北ニュータウン最寄りの駅からリムジンバスで1時間というのは、やはり有り難い。
2012.8.31(金曜日)、昨日から妻の小妹(シャオメイ)と北京へ来ている。昨夜来、泊まっているのは、朝阳門の中国外交部(外務省)の裏側にあるCROWNE PLAZA(悠唐皇冠假日酒店)。日本ならば大使館が多い赤坂といった立地のためか、なかなか高いホテルだが、部屋は価格に比して狭く、衣服をしまう引き出しのある箪笥のような物入れが少なく、いちいち荷物をトランクに仕舞うのも面倒だし、片付かない。それに、二、三日の印象だが、宿泊客にアラブ系が多く、もしかしてホテル自体、アラブ資本が入っているのかと思った。プールで泳いでいると、毛むくじゃらのアラブ人が何人か大人しくプールに浸かっている。ロッカールームでしまい忘れた耳栓を盗まれた(盗んだのはアラブ人とは限らない。念のために)。朝の料理に鶏肉が多い。鶏肉のソーセージはあるが、豚肉は見当たらない。第一、ホテル名のCROWNEという表記が分からない。なぜ、英語のCROWN(王冠)の語尾にEが付くのか、不気味な気がする。もしかしてここは遊牧の民がオイルマネーでつくった蜃気楼ホテルかもしれないと疑う。あとで調べると、このホテルは世界でけっこう手広く展開しているらしい。アラブ系の宿泊客を多く見かけたのも、たまたまアラブの国から団体客が押しかけていたかららしい。
ところで今日は朝から、ホテルからタクシーならばさほど遠くもない建国門内外街の中国社会科学院へでかけて、日本学術振興会との共催シンポジウム、日中国交正常化40周年記念事業の「グローバル化の中の社会変容―新しい東アジア像を形成するために―」を傍聴した。一応、東日本大震災についても東北大学の先生が発表するとあったので、建築鉄骨の雑誌を出す自分の会社の仕事にこじつけて、取材としてシンポジウムに申し込んだのだが、日本側も中国社会科学院の出席者も社会学者が多く、いつも仕事で聞くような建築系の話とは異なっていた。日本側の基調講演は、テレビでもときどき見かける早稲田大学の天児慧教授。あり得るシナリオの一つとして「今後の日中関係は不定形なものとなり、米中の接近が進んで、日本が孤立化する可能性もある」と述べた。私は知らなかったが、中国知識人としてメディアへの発言も多い、中国社会科学院の孫歌研究員は「中国ドラマから中日関係を考える」として、最近の「南京!南京!」なる映画に触れ、非情で無表情なステレオタイプだったこれまでの日本軍人像が中国人と同じように人情味ある姿に描かれていた事実を指摘し、「日本はもはや単一の人格化された国としてのオブジェではなく、多元化されて描かれるようになっている」として、1970年代以降に生まれた新しい世代のドラマディレクターは日中の歴史を知らない分、新しい日本人像を描けるが、歴史を知らないで描く分、「民族同士の怨みを晴らすには不十分だ」と、歴史が風化する可能性もあると述べた。確かに、中国のテレビをあれこれ視聴していると、朝でも昼でも夜でも、必ず軍服を着た日本軍人が登場して、えばりくさっているドラマがどこかのチャネルで放映されている。われわれもお馴染みの頭の硬直した陸軍将校が、中国人をまったく人間扱いにしていない内容だ。つまり、中国人の潜在意識にある日本人とは、軍国主義にこりかたまった、人殺しを苦にしない日本軍人の姿と言ってもよい。これに対して、出席した川島真・東大教授が「日本のドラマでは、中国における日本軍人ほどにも中国人像は意識化されてこなかった」と質問、孫歌研究員は「それはずっと残念に思っていた。日本のエンターテイメントにおける中国人の不在は、背景に、日本社会が今日の中国に対してコンプレックスを持っていることがある」と分析した。「支那だから支那でいいじゃないか」などと強面(こわもて)に当たり前の顔をしてしゃべる日本の政治家も、発展した中国人像を持っていない(持ちたくない)のは慥かであろう。
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日米の太平洋戦争では、アメリカは真珠湾攻撃で戦艦を沈められたリベンジを焼夷弾の雨を降らせた東京大空襲、広島・長崎の原爆投下というナチスのホロコースト(holocaust)に匹敵する冷酷非情なやり方で、何十万人の一般市民を焼き殺すことで果たした。日本に侵略された中国や韓国は、国を乗っ取られ何十万何百万の人命を失ったが、アメリカの占領・安保下に復興を遂げた日本に対して戦後何年たってもリベンジの機会はなかったのである。自分らの父母や祖父母を日本兵の銃剣に刺し殺された生々しい記憶は世代を越えてもそう簡単に消え去るものではあるまい。尖閣諸島や竹島(独島)は、その歴史的恨みに対する戦後賠償としては余りに微々たるものであることは自覚しておかなければならない。
9.1(土曜日)、正午、以前泊まった地下鉄2号線の東四十条駅の真上にある「北京港澳中心瑞士酒店(Swissôtel Hotel)」のロビーで妻の教え子だった娘さんと待ち合わせ、まず長安街の名店「鴨王」で北京ダックを食べる。それから北海公園(ベイハイパーク)へ行く。タクシーの運転手が「これから北海に行くなんて変わっているね。3時から、この前(7月の死者も出た大雨)のような、暴雨になる」と言う。その予言の通り、一人20元の入場券を買い北海公園に入ったところで、3時になってほどなく雨が小雨ながら降りだす。中国の天気予報もすごい的中精度だ。このまま豪雨になるかと傘もないものだから湖畔のレストランに避難した。ガラスのコップに入った熱いインスタントコーヒーを啜りながらしばらく待っていると、雨はやんだ。寺に参り、その寺の裏から石段を上って白塔が立つ丘に立った。以前、景山から眺めた白塔がこの北海公園の白塔だったのだ。その景山も霞んで見えた。さらに濡れた石段を用心深く下って湖畔を散策。遊覧の舟で湖を対岸へ渡り、ダンスを踊る人々を撮り、九龍のモニュメントを眺め、そこの主のような白猫を写真に収めた。なお、真ん中あたりの湖の写真に「305医院」が映っているが、ここは政府の要人が入院する病院で、一時、習近平氏もここに入ったと噂になった。
そこからタクシーを拾って三里屯(さんりとん)へ出る。三里屯へは、妻の古い友人のアパートを訪ねたことはあったが、三里屯SOHOの賑やかな一帯は初めてだった。表参道か原宿か、ともかくそんな感じだが、別段、この程度の超モダンに驚くこともなかった。妻と娘さんがハーブと漢方を使った化粧品を買っているあいだに、向かいの日本のラーメン屋の繁盛ぶりを眺めていた。日本人と同じようにラーメンを食べ、焼き餃子(中国人は通常、焼き餃子を食べない)をうまそうに頬張っている。尖閣諸島の衝突もなんのその、三里屯に集まるような中国人も若い世代は日本好みである。少し古い三里屯のバーに入るが、ステージに男一人と女二人の歌手が立って順ぐりに唄う。もちろん、中国の知らない曲ばかりだ。うまいのか下手なのかもよく分からない。そのうちに、アメリカ人らしい初老の男が中年の中国女性と入ってきて、歌手が歌うステージの真ん前の席に陣取って、1本だけだと念を押すように指を1本突きだしてビールを注文すると、それを一口ラッパ飲みしてから、やおら女を誘って踊りだした。お蔭でステージが邪魔されて見えなくなる。チークダンス風の卑しい踊りっぷりだ。吝嗇(けち)な癖に図々しい奴だ。店に1時間我慢して、山盛りの果物とピーナッツの皿、ジントニック1杯、マルガリータ2杯に700元余(1万円近い)を払い、9時すぎに店を出る。外は雨が本降りになっていた。20元で折りたたみ傘を買って、三里屯の路上にタクシーを探して暗い雨のなかを帰路につく。最初に娘さんが泊まる天壇公園そばのホテルへ、それから朝阳門の我々のホテルへ。天壇公園がある南のエリア(崇文区)は、北京城(現在の北京市街地)のなかでも明代に開発された後発部分で、職人が移住させられ、生活困窮者が多く、昨今の急激な開発ブームから取り残された地域となっている。朝阳門一帯や三里屯のいかにも金まかせで薄っぺらな開発主義にショックを受けた妻は「南にホテルを探してもいいかも」と感想をもらした。妻は、これまで北京の南側を文化程度が低いとなんとなく軽くみていた。ただし、崇文区の西隣になる宣武区は文化地域として知られ、瑠璃廠(ルーリーチャン)のような骨董の街区もある。
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9.2(日曜日)、昨夜来の雨で、今日は涼しいし、何より空気が奇麗だ。クラウンホテルを去って東の、今年の正月にも泊まったホテルへ引っ越してきた。ここからは妻のお母さんが住む老人ホームも近い。道幅120メートルという長安街のまっすぐな道を、天安門を抜けて走ってくるとき、妻が「雲が見える」と言ったが、なるほど昨日までは空の雲も見えないような、もやっと霞んだ気候だった。移ってきたホテルは、北京市西城区北礼士路98号にある假日酒店(Holiday Inn)だ。小スイートルームでクラウンホテルと同じ1泊1100元程度の部屋代。妻の3番目のお兄さんが車で送迎してくれた。なんとなく懐かしい安心できるホテルに帰ってきたような心持ちがする。プールがないのが残念だが、まあ、それはいいとした。クラウンホテルのプールで10年ぶりぐらいに泳ぎ、筋肉がほぐれるようなほどよい疲労感があったのだ。新しいホテルのそばにある「行きつけ」のうどん屋でうどんを食べる。そのうどん屋「康師伝」の店内に添加物の使用を制限する旨の北京市衛生局の掲示を見つける。中国も食の安全に取り組もうとしているのだ。
午後、ホテルの部屋でテレビを観ていると、CCTV13のニュースに、東京都が非法に釣魚島へ調査に入ったというニュースが流れる。アメリカに居るらしい石原都知事が右翼の「旗手」として繰り返し画面に登場し、一周年で内外政で「失敗」となった野田首相の国会答弁の姿、島周辺で調査活動を行う東京都の映像と「東京都がこうした挑発的な行為に出た目的は何なのか」という字幕、日米同盟によるアメリカの軍事的動向への分析などが15分間以上にわたって詳しく報道される。中国では、アメリカに対する警戒感が強い。日本はアメリカの手先になって尖閣諸島に突撃しているだけに見えるのだ。
夜、北京から北へ270キロ離れた海辺の避暑地から帰ったばかりの4番目のお兄さんも合流して、今年の冬、行ったことがある国家統計局に近い月壇南街の「居」という山東省料理の店に出かける。雨後の北京には、これが「北京の秋」と言わんばかりに涼しい風が心地よく吹いて、空気が澄んでいる。街々も生き返ったようだ。前に唐山に行って以来、山東省料理がうまいことは分かっている。「そういえば、日本には山東省料理の店がないな」と感想を言うが、大した反応はない。日本人の中国理解には偏向がある。あの素朴な山東省料理も知らないで、中国は語れない。4番目のお兄さんは「今朝、起きたときは上天気だったが、そのあと大雨になった。北京は大丈夫だったか」と話した。なぜか遠く離れた島のために中国との「居」を拒否する東京都が釣魚島に調査に入ったニュースの次には、各地での暴雨とその救援活動の話題が流れた。暴雨が日本だけ神風になるとは限らない。アメリカの救援を頼ってアジアに強敵をつくってはならない。
9.3(月曜日)、ホリデイ・インの小スイートに一晩泊まっても幾つかの点で不満が出てきた。その2部屋から成る小スイートというのが、寝室の1部屋と洗面所は建て増しにしたような印象を受けるのだ。第一、部屋と部屋を仕切るドアがうまく閉まらない。しかも、そのドアの裏側に洗面所に通じるドアがあるのもいかにも不自然だし来客があった場合、いちいち寝室の開いたままのドアをどけて、また裏側の洗面所のドアを開けて入ることになるから、その出入りの度に見たくなくても寝室の一部始終をいちいち眺めることになる。いくらなんでも、当初からこうした部屋の配置を設計したとは思えない。高価なスイートではないが、シングルルームでない2部屋の需要があって、改築したのであろう。廊下の突き当たりの角部屋なので、昔は倉庫か何かに使っていたのを客室に変えたのではないか。それに、前に泊まったときはエグゼクティブの1部屋だったが、冷蔵庫の飲み物が無料で飲めるとか、洗濯代が無料とか、特典付きだったが、この小スイートにはそうしたメリットが何もない。考えるに、エグゼクティブのサービスは、他のホテルとの競争に打ち勝つため、顧客獲得上、戦略的に必要なものだが、数も少ない小スイートはそれほどのものではないということだろう。今朝、朝食のバイキングへ行くと、今冬のときに比べ、メニューが明らかに少なくなっていた。これも経費節減の一環であろう。中国経済は、昨今のヨーロッパの不調でかなりダメージを受けているのだ。ビジネスを含め、北京への旅行客も減少し、ホテル経営も難しくなっているようだ。ホリデイ・インはアメリカ式にコストダウンを図っている。「次は、中国系のホテルにしようか」と妻とも話した。
午後から建国門にある日本鉄鋼連盟の北京事務所を取材。その後、百貨店で妻のお母さんのズボンやセーターを探すが、手頃なものが見当たらない。4番目のお兄さんとその奥さんと合流し、私が腹を弱らしていることから「天府山珍」というきのこ料理の店に連れて行ってくれる。運ばれてきた鍋のなかに羽をむしりとられた鳩ほどの大きさの黒い鳥が入っていたので驚く。中国では、妊娠のあとなどにこの黒い鳥で滋養をつけるのだそうな。うまいスープがでたところに、松茸やさまざまなきのこ類を入れて煮て食った。うまいが、腹が不愉快にごろごろ鳴って困った。
9.4(火曜日)、朝の11時すぎに4番目のお兄さんが迎えに来て、車で妻のお母さんが入る老人ホームへ行く。「銀齢老年公寓」へ着いたとき、お母さんは食事中で、一人でテーブルの下に身を屈めて必死に食べていた。その間に、お兄さんと妻はフロアの管理者を探し、話し込んだ。お母さんの部屋に同居して、介護してくれている陳さんという女性の待遇についての相談だった。天邪鬼なところがあるお母さんの介護人はこれまでなかなか居つかず、何人も交代してきてきたわけだが、今の陳さんは、人間ができた人で、うまくお母さんと付き合っている。この陳さんに辞められると、お母さんにとっても不幸なので、長く居てもらいたいが、低い給料と休暇が問題になっていた。給料は、雇用者である老人ホームを通して支払われるが、本来、陳さんの給料として支払っている額より300元低い1800元しか彼女に渡っていない。陳さんは、同僚との話から自分の給料が一番低いと知り(相場は2000~2200元)、賃上げを要求している。老人ホームが賃上げに同意しなければ、独立して直接家族から賃金をもらうかたちにしたいと申し出た。ちなみに、北京市統計局が公表した全従業員の平均賃金は月当たり4201元(約5万円)で、2012年の最低賃金基準だと1260元(約1万6000円)だから、陳さんの給料は平均の半分だが、最低よりは高い額となる。また、中国人ならば皆、休暇をとって故郷に帰る春節に今年は帰らなかったので来春は帰りたいと希望しているが、お兄さんたちは、帰れば帰ってこないケースが多いと、彼女が帰郷することをなかなか許そうとしない。陳さんの高校生になる二人の娘さんは寄宿舎生活で、春節以外は会う機会はないという。管理者との話し合いで、陳さんが一定期間独立し、賃上げが可能になった時点で、老人ホームと契約し直すことが可能と分かった。ただし、今、老人ホームから出されている食事は、これまでとは別の場所で食べることになり、しかも主食やおかずの量を半分にするという。また、ベッドや作業着も自前で調達しなければならない。妻は、自分がお金を出して、春節のあいだ夫と娘二人を北京に呼び寄せて10日ほど一緒に暮らせるようにしてはどうかと私に言った。私は「そりゃ、良い案だ」と頷いたが、そのように事が運ぶかは心のなかで危ぶんだ。いずれにしても、陳さんのような農民工の存在は、世界2位の日の当たる経済大国にしては、余りにも暗い闇である。
遅い昼飯を食べてから、4番目のお兄さんの細君も合流して、妻が所有するマンションへ行き、管理費を払うと同時に、借主に面会した。現われた借主は女性の芸術家で、壁に油絵、床に裸体少年の彫刻が置かれていた。彫刻の足元には白い金魚鉢が置かれて金魚が泳いでいる。書棚を覗くと、芸術書に挟まれて村上春樹の『海辺のカフカ』の中国語版が置かれていた。余程、感想を訊こうかと思ったが、思いとどまった。
そのあと、4番目のお兄さんの職場があったビジネスの集積地CBD(Central Business Ditrict)へ行く。そこに、最近「世貿天階」という空間が出来て、天体ショーが大屋根を流れながら映し出される仕掛けがある。ビジネス街のオアシス演出といったところだ。こうした人工的ものはなかなか感動しにくい。
9.5(水曜日)、妻のお母さんと介護の陳さん、それに3番目、4番目のお兄さんとで、中山公園へ行き、中山先生こと孫文の銅像を撮る。やはり、なかなかの美男子だ。そのあと、江南料理の老舗「松鶴楼」で昼食を食べる。この店は、乾隆帝の時代、1757年の創始というから古い。以前、国営だった頃に比べ料理の値段は2倍になっている。ただ、味はさすがに一流だ。特に、最初に出てきた泥鰌(どじょう)がうまかった。最期に「松鼠桂魚」というこの店の名物料理を食べる。乾隆帝が江南の地に来たとき、このグロテスクな料理を食べてうまさに絶句したほどだから、見かけによらずうまいことはうまいが、泥鰌のほうがもっとうまかった。
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夕刻、妻がハーバード大学で研究生活を送っていた時期に知り合った中国人女性とその最近結婚した旦那と会食。女性は北京大学卒、男性は清華大学卒(ともに30代)のエリートカップルだが、それが鼻に突くことのない、大人しいカップルだった。今はニューヨークにあるアメリカの大手投資銀行で二人とも働いている。アメリカのライフスタイルが気に入っているようで、近い将来、「ストレスの多い」中国へ戻ることはないそうだ。私が「その中国よりもっとストレスが多いのが日本だ」と言ったら頷きながら大笑いしていた。日本がストレス社会であることは諸外国で有名なようだ。学校や職場でのいじめ問題とかいろいろあっても、日本人だけが日本はとてもリラックスできる人間に対して優しい社会だと信じ込んでいるのも奇妙な話だ。
9.6(木曜日)、昼、建国門で、妻の友人である社会科学院の女性研究員、陳さんと会食。陳さんは月曜と木曜が出勤日だそうだ。彼女が誘ってくれたレストランは、三日前に取材した日本鉄鋼連盟の北京事務所が入る同じビルだった。偶然だが、彼女は日本人が脂っこい中国料理に疲れてくるとそのレストランのあっさりした調理が気に入ると知っていたのだろう。国際金融が専門の彼女は、数日来、共同通信の取材を受け、このレストランで日本銀行の人と会食したそうだ。尖閣諸島の問題で、中国国内で日本製品のボイコット運動が盛り上がる兆候があるが、「中国における身分証のICチップはすべて日本製だから、所詮、日本製品のボイコットなんてムリなのだ」とコメントした。いずれにしても、中国での釣魚島問題の報道での取り上げ方は、日本ほどかっと一点集中的ではなく、情勢をマクロで見ている気がする。日本の報道はとかく扇情的になり、分析はあとまわしになる。また、中国では、役人の公用車(黒のアウディが圧倒的に多い)購入で22万元(国産車の2倍)を上限とし制限する、フカヒレ料理など高価な接待は禁じられることが話題になった。
そのあと、すぎ近くの北京同仁堂(1669年創始)で漢方医・袁先生(北京中医大学の院長)の診断を受け、山ほどの漢方薬を買った。「気が働いていない」とかで、長年のストレスがすべて発散されずに内向して、肝臓など内臓を傷め、不眠症を起こし、それらが胃腸の不調にもつながっているとかで、22種類の薬草を30袋に小分けしてもらった。家でこれを鍋にぐたぐた煮込んで、そのエキスを飲むのだそうだ。ものすごく苦いに違いない。妻の分も合わせると、60袋、大きなトランクが漢方薬で一杯になる量だ。羽田空港で、検疫の犬が嗅ぎ分けて漢方を麻薬と間違えなければいいがと思う。そのときは「世界の同仁堂の薬だと言えばいい」と言われた。小雨が降りだし肌寒くなるなか、なんとかタクシーをつかまえ、渋滞のなかホテルへ戻る。
9.7(金曜日)、昨夜は雨だったが、今朝は薄曇りだが、まだ暑そう。午前、妻のお母さん、王順存さんが居る老人ホームを訪ねる。母子の写真をたくさん撮る。介護人の陳さんの話ではすでに30名以上が独立して、老人ホームに雇われているのは数名に過ぎないという。妻がフロアの看護主任と話し合うと、「介護人の給料は多い人で2700元。われわれ看護人の給料よりも多いケースもあり、看護人の生活も苦しい。そうしたことから簡単に介護人の給料をアップするわけにはいかないのだ」と語ったそうだ。妻は帰ってくると、介護の女性にいくらかお金を渡した。最初にも渡してあるので、合計すると心づけとしてはかなりの額になった。娘が明日、日本に行ってしまうと知って、お母さんはかなり動揺していた。
正午ごろ、3番目のお兄さんがホテルに迎えに来て、漢方の薬草を持って同仁堂へ出かける。妻が羽田の検疫で確認すると、薬草は検疫に引っかかるので、最初は薬草名が記されている処方箋を事前にファックスで羽田の検疫へ送ろうとなったが、液体にすれば問題がないということなので思い直して、同仁堂へもう一度持ち込んで煮立てて液体にしたのを持っていこうとなったのだ。持っていくと、煮立てる薬草の量が多いが、店には小さい釜が2つしかないので、出来上がりは夜の8時半になるということだった。私がホテルの床屋で髪を刈ったりして遅れた上に、ホテル前でタクシーを20分近く待たされたので慌てた。妻が行先の「建国門」を言い忘れたようで、タクシーはいつものように長安街に入らず脇道を走ってしまい、8時40分に着く。それでも、60袋分を煮込んで液体化し、ビニール袋120袋に封入するのに時間がかかったようで、閉店の9時近くにやっと間に合った。液体は出来立てでまだ熱い状態だった。液体にしても量はかなりなもので、ホテルに戻ってからそれらの袋が万一、壊れても中の液体が出ても被害が小さくなるように3袋ずつ小分けにして近くのスーパーで買ってきたビニールに入れてトランクに収めると、2つのトランクは一杯いっぱいになった。荷造りに目途が立ったのは深夜の1時半だった。
9.8(土曜日)、雲南で大きな地震があったと、ドアのノブに引っかけてある新聞で知る。テレビでは、温家宝首相が夜行バスのようなものに大いに揺られて現地へ向かう映像が流れている。とにかく現場主義でフットワークよく素早く動く首相である。この温首相が東日本大震災当時、日本の首相だったら、やはり大地震のあった日の深夜か遅くとも翌朝のうちに現地へ赴いたであろう。そうした政治パフォーマンスが少し懐かしい気もする。
まず、羽田空港の国際線が完成してはじめての旅となるので、その様子を妻が撮ってくれたのを含め3枚。住んでいる港北ニュータウン最寄りの駅からリムジンバスで1時間というのは、やはり有り難い。
2012.8.31(金曜日)、昨日から妻の小妹(シャオメイ)と北京へ来ている。昨夜来、泊まっているのは、朝阳門の中国外交部(外務省)の裏側にあるCROWNE PLAZA(悠唐皇冠假日酒店)。日本ならば大使館が多い赤坂といった立地のためか、なかなか高いホテルだが、部屋は価格に比して狭く、衣服をしまう引き出しのある箪笥のような物入れが少なく、いちいち荷物をトランクに仕舞うのも面倒だし、片付かない。それに、二、三日の印象だが、宿泊客にアラブ系が多く、もしかしてホテル自体、アラブ資本が入っているのかと思った。プールで泳いでいると、毛むくじゃらのアラブ人が何人か大人しくプールに浸かっている。ロッカールームでしまい忘れた耳栓を盗まれた(盗んだのはアラブ人とは限らない。念のために)。朝の料理に鶏肉が多い。鶏肉のソーセージはあるが、豚肉は見当たらない。第一、ホテル名のCROWNEという表記が分からない。なぜ、英語のCROWN(王冠)の語尾にEが付くのか、不気味な気がする。もしかしてここは遊牧の民がオイルマネーでつくった蜃気楼ホテルかもしれないと疑う。あとで調べると、このホテルは世界でけっこう手広く展開しているらしい。アラブ系の宿泊客を多く見かけたのも、たまたまアラブの国から団体客が押しかけていたかららしい。
ところで今日は朝から、ホテルからタクシーならばさほど遠くもない建国門内外街の中国社会科学院へでかけて、日本学術振興会との共催シンポジウム、日中国交正常化40周年記念事業の「グローバル化の中の社会変容―新しい東アジア像を形成するために―」を傍聴した。一応、東日本大震災についても東北大学の先生が発表するとあったので、建築鉄骨の雑誌を出す自分の会社の仕事にこじつけて、取材としてシンポジウムに申し込んだのだが、日本側も中国社会科学院の出席者も社会学者が多く、いつも仕事で聞くような建築系の話とは異なっていた。日本側の基調講演は、テレビでもときどき見かける早稲田大学の天児慧教授。あり得るシナリオの一つとして「今後の日中関係は不定形なものとなり、米中の接近が進んで、日本が孤立化する可能性もある」と述べた。私は知らなかったが、中国知識人としてメディアへの発言も多い、中国社会科学院の孫歌研究員は「中国ドラマから中日関係を考える」として、最近の「南京!南京!」なる映画に触れ、非情で無表情なステレオタイプだったこれまでの日本軍人像が中国人と同じように人情味ある姿に描かれていた事実を指摘し、「日本はもはや単一の人格化された国としてのオブジェではなく、多元化されて描かれるようになっている」として、1970年代以降に生まれた新しい世代のドラマディレクターは日中の歴史を知らない分、新しい日本人像を描けるが、歴史を知らないで描く分、「民族同士の怨みを晴らすには不十分だ」と、歴史が風化する可能性もあると述べた。確かに、中国のテレビをあれこれ視聴していると、朝でも昼でも夜でも、必ず軍服を着た日本軍人が登場して、えばりくさっているドラマがどこかのチャネルで放映されている。われわれもお馴染みの頭の硬直した陸軍将校が、中国人をまったく人間扱いにしていない内容だ。つまり、中国人の潜在意識にある日本人とは、軍国主義にこりかたまった、人殺しを苦にしない日本軍人の姿と言ってもよい。これに対して、出席した川島真・東大教授が「日本のドラマでは、中国における日本軍人ほどにも中国人像は意識化されてこなかった」と質問、孫歌研究員は「それはずっと残念に思っていた。日本のエンターテイメントにおける中国人の不在は、背景に、日本社会が今日の中国に対してコンプレックスを持っていることがある」と分析した。「支那だから支那でいいじゃないか」などと強面(こわもて)に当たり前の顔をしてしゃべる日本の政治家も、発展した中国人像を持っていない(持ちたくない)のは慥かであろう。
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日米の太平洋戦争では、アメリカは真珠湾攻撃で戦艦を沈められたリベンジを焼夷弾の雨を降らせた東京大空襲、広島・長崎の原爆投下というナチスのホロコースト(holocaust)に匹敵する冷酷非情なやり方で、何十万人の一般市民を焼き殺すことで果たした。日本に侵略された中国や韓国は、国を乗っ取られ何十万何百万の人命を失ったが、アメリカの占領・安保下に復興を遂げた日本に対して戦後何年たってもリベンジの機会はなかったのである。自分らの父母や祖父母を日本兵の銃剣に刺し殺された生々しい記憶は世代を越えてもそう簡単に消え去るものではあるまい。尖閣諸島や竹島(独島)は、その歴史的恨みに対する戦後賠償としては余りに微々たるものであることは自覚しておかなければならない。
9.1(土曜日)、正午、以前泊まった地下鉄2号線の東四十条駅の真上にある「北京港澳中心瑞士酒店(Swissôtel Hotel)」のロビーで妻の教え子だった娘さんと待ち合わせ、まず長安街の名店「鴨王」で北京ダックを食べる。それから北海公園(ベイハイパーク)へ行く。タクシーの運転手が「これから北海に行くなんて変わっているね。3時から、この前(7月の死者も出た大雨)のような、暴雨になる」と言う。その予言の通り、一人20元の入場券を買い北海公園に入ったところで、3時になってほどなく雨が小雨ながら降りだす。中国の天気予報もすごい的中精度だ。このまま豪雨になるかと傘もないものだから湖畔のレストランに避難した。ガラスのコップに入った熱いインスタントコーヒーを啜りながらしばらく待っていると、雨はやんだ。寺に参り、その寺の裏から石段を上って白塔が立つ丘に立った。以前、景山から眺めた白塔がこの北海公園の白塔だったのだ。その景山も霞んで見えた。さらに濡れた石段を用心深く下って湖畔を散策。遊覧の舟で湖を対岸へ渡り、ダンスを踊る人々を撮り、九龍のモニュメントを眺め、そこの主のような白猫を写真に収めた。なお、真ん中あたりの湖の写真に「305医院」が映っているが、ここは政府の要人が入院する病院で、一時、習近平氏もここに入ったと噂になった。
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そこからタクシーを拾って三里屯(さんりとん)へ出る。三里屯へは、妻の古い友人のアパートを訪ねたことはあったが、三里屯SOHOの賑やかな一帯は初めてだった。表参道か原宿か、ともかくそんな感じだが、別段、この程度の超モダンに驚くこともなかった。妻と娘さんがハーブと漢方を使った化粧品を買っているあいだに、向かいの日本のラーメン屋の繁盛ぶりを眺めていた。日本人と同じようにラーメンを食べ、焼き餃子(中国人は通常、焼き餃子を食べない)をうまそうに頬張っている。尖閣諸島の衝突もなんのその、三里屯に集まるような中国人も若い世代は日本好みである。少し古い三里屯のバーに入るが、ステージに男一人と女二人の歌手が立って順ぐりに唄う。もちろん、中国の知らない曲ばかりだ。うまいのか下手なのかもよく分からない。そのうちに、アメリカ人らしい初老の男が中年の中国女性と入ってきて、歌手が歌うステージの真ん前の席に陣取って、1本だけだと念を押すように指を1本突きだしてビールを注文すると、それを一口ラッパ飲みしてから、やおら女を誘って踊りだした。お蔭でステージが邪魔されて見えなくなる。チークダンス風の卑しい踊りっぷりだ。吝嗇(けち)な癖に図々しい奴だ。店に1時間我慢して、山盛りの果物とピーナッツの皿、ジントニック1杯、マルガリータ2杯に700元余(1万円近い)を払い、9時すぎに店を出る。外は雨が本降りになっていた。20元で折りたたみ傘を買って、三里屯の路上にタクシーを探して暗い雨のなかを帰路につく。最初に娘さんが泊まる天壇公園そばのホテルへ、それから朝阳門の我々のホテルへ。天壇公園がある南のエリア(崇文区)は、北京城(現在の北京市街地)のなかでも明代に開発された後発部分で、職人が移住させられ、生活困窮者が多く、昨今の急激な開発ブームから取り残された地域となっている。朝阳門一帯や三里屯のいかにも金まかせで薄っぺらな開発主義にショックを受けた妻は「南にホテルを探してもいいかも」と感想をもらした。妻は、これまで北京の南側を文化程度が低いとなんとなく軽くみていた。ただし、崇文区の西隣になる宣武区は文化地域として知られ、瑠璃廠(ルーリーチャン)のような骨董の街区もある。
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9.2(日曜日)、昨夜来の雨で、今日は涼しいし、何より空気が奇麗だ。クラウンホテルを去って東の、今年の正月にも泊まったホテルへ引っ越してきた。ここからは妻のお母さんが住む老人ホームも近い。道幅120メートルという長安街のまっすぐな道を、天安門を抜けて走ってくるとき、妻が「雲が見える」と言ったが、なるほど昨日までは空の雲も見えないような、もやっと霞んだ気候だった。移ってきたホテルは、北京市西城区北礼士路98号にある假日酒店(Holiday Inn)だ。小スイートルームでクラウンホテルと同じ1泊1100元程度の部屋代。妻の3番目のお兄さんが車で送迎してくれた。なんとなく懐かしい安心できるホテルに帰ってきたような心持ちがする。プールがないのが残念だが、まあ、それはいいとした。クラウンホテルのプールで10年ぶりぐらいに泳ぎ、筋肉がほぐれるようなほどよい疲労感があったのだ。新しいホテルのそばにある「行きつけ」のうどん屋でうどんを食べる。そのうどん屋「康師伝」の店内に添加物の使用を制限する旨の北京市衛生局の掲示を見つける。中国も食の安全に取り組もうとしているのだ。
午後、ホテルの部屋でテレビを観ていると、CCTV13のニュースに、東京都が非法に釣魚島へ調査に入ったというニュースが流れる。アメリカに居るらしい石原都知事が右翼の「旗手」として繰り返し画面に登場し、一周年で内外政で「失敗」となった野田首相の国会答弁の姿、島周辺で調査活動を行う東京都の映像と「東京都がこうした挑発的な行為に出た目的は何なのか」という字幕、日米同盟によるアメリカの軍事的動向への分析などが15分間以上にわたって詳しく報道される。中国では、アメリカに対する警戒感が強い。日本はアメリカの手先になって尖閣諸島に突撃しているだけに見えるのだ。
夜、北京から北へ270キロ離れた海辺の避暑地から帰ったばかりの4番目のお兄さんも合流して、今年の冬、行ったことがある国家統計局に近い月壇南街の「居」という山東省料理の店に出かける。雨後の北京には、これが「北京の秋」と言わんばかりに涼しい風が心地よく吹いて、空気が澄んでいる。街々も生き返ったようだ。前に唐山に行って以来、山東省料理がうまいことは分かっている。「そういえば、日本には山東省料理の店がないな」と感想を言うが、大した反応はない。日本人の中国理解には偏向がある。あの素朴な山東省料理も知らないで、中国は語れない。4番目のお兄さんは「今朝、起きたときは上天気だったが、そのあと大雨になった。北京は大丈夫だったか」と話した。なぜか遠く離れた島のために中国との「居」を拒否する東京都が釣魚島に調査に入ったニュースの次には、各地での暴雨とその救援活動の話題が流れた。暴雨が日本だけ神風になるとは限らない。アメリカの救援を頼ってアジアに強敵をつくってはならない。
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9.3(月曜日)、ホリデイ・インの小スイートに一晩泊まっても幾つかの点で不満が出てきた。その2部屋から成る小スイートというのが、寝室の1部屋と洗面所は建て増しにしたような印象を受けるのだ。第一、部屋と部屋を仕切るドアがうまく閉まらない。しかも、そのドアの裏側に洗面所に通じるドアがあるのもいかにも不自然だし来客があった場合、いちいち寝室の開いたままのドアをどけて、また裏側の洗面所のドアを開けて入ることになるから、その出入りの度に見たくなくても寝室の一部始終をいちいち眺めることになる。いくらなんでも、当初からこうした部屋の配置を設計したとは思えない。高価なスイートではないが、シングルルームでない2部屋の需要があって、改築したのであろう。廊下の突き当たりの角部屋なので、昔は倉庫か何かに使っていたのを客室に変えたのではないか。それに、前に泊まったときはエグゼクティブの1部屋だったが、冷蔵庫の飲み物が無料で飲めるとか、洗濯代が無料とか、特典付きだったが、この小スイートにはそうしたメリットが何もない。考えるに、エグゼクティブのサービスは、他のホテルとの競争に打ち勝つため、顧客獲得上、戦略的に必要なものだが、数も少ない小スイートはそれほどのものではないということだろう。今朝、朝食のバイキングへ行くと、今冬のときに比べ、メニューが明らかに少なくなっていた。これも経費節減の一環であろう。中国経済は、昨今のヨーロッパの不調でかなりダメージを受けているのだ。ビジネスを含め、北京への旅行客も減少し、ホテル経営も難しくなっているようだ。ホリデイ・インはアメリカ式にコストダウンを図っている。「次は、中国系のホテルにしようか」と妻とも話した。
午後から建国門にある日本鉄鋼連盟の北京事務所を取材。その後、百貨店で妻のお母さんのズボンやセーターを探すが、手頃なものが見当たらない。4番目のお兄さんとその奥さんと合流し、私が腹を弱らしていることから「天府山珍」というきのこ料理の店に連れて行ってくれる。運ばれてきた鍋のなかに羽をむしりとられた鳩ほどの大きさの黒い鳥が入っていたので驚く。中国では、妊娠のあとなどにこの黒い鳥で滋養をつけるのだそうな。うまいスープがでたところに、松茸やさまざまなきのこ類を入れて煮て食った。うまいが、腹が不愉快にごろごろ鳴って困った。
9.4(火曜日)、朝の11時すぎに4番目のお兄さんが迎えに来て、車で妻のお母さんが入る老人ホームへ行く。「銀齢老年公寓」へ着いたとき、お母さんは食事中で、一人でテーブルの下に身を屈めて必死に食べていた。その間に、お兄さんと妻はフロアの管理者を探し、話し込んだ。お母さんの部屋に同居して、介護してくれている陳さんという女性の待遇についての相談だった。天邪鬼なところがあるお母さんの介護人はこれまでなかなか居つかず、何人も交代してきてきたわけだが、今の陳さんは、人間ができた人で、うまくお母さんと付き合っている。この陳さんに辞められると、お母さんにとっても不幸なので、長く居てもらいたいが、低い給料と休暇が問題になっていた。給料は、雇用者である老人ホームを通して支払われるが、本来、陳さんの給料として支払っている額より300元低い1800元しか彼女に渡っていない。陳さんは、同僚との話から自分の給料が一番低いと知り(相場は2000~2200元)、賃上げを要求している。老人ホームが賃上げに同意しなければ、独立して直接家族から賃金をもらうかたちにしたいと申し出た。ちなみに、北京市統計局が公表した全従業員の平均賃金は月当たり4201元(約5万円)で、2012年の最低賃金基準だと1260元(約1万6000円)だから、陳さんの給料は平均の半分だが、最低よりは高い額となる。また、中国人ならば皆、休暇をとって故郷に帰る春節に今年は帰らなかったので来春は帰りたいと希望しているが、お兄さんたちは、帰れば帰ってこないケースが多いと、彼女が帰郷することをなかなか許そうとしない。陳さんの高校生になる二人の娘さんは寄宿舎生活で、春節以外は会う機会はないという。管理者との話し合いで、陳さんが一定期間独立し、賃上げが可能になった時点で、老人ホームと契約し直すことが可能と分かった。ただし、今、老人ホームから出されている食事は、これまでとは別の場所で食べることになり、しかも主食やおかずの量を半分にするという。また、ベッドや作業着も自前で調達しなければならない。妻は、自分がお金を出して、春節のあいだ夫と娘二人を北京に呼び寄せて10日ほど一緒に暮らせるようにしてはどうかと私に言った。私は「そりゃ、良い案だ」と頷いたが、そのように事が運ぶかは心のなかで危ぶんだ。いずれにしても、陳さんのような農民工の存在は、世界2位の日の当たる経済大国にしては、余りにも暗い闇である。
遅い昼飯を食べてから、4番目のお兄さんの細君も合流して、妻が所有するマンションへ行き、管理費を払うと同時に、借主に面会した。現われた借主は女性の芸術家で、壁に油絵、床に裸体少年の彫刻が置かれていた。彫刻の足元には白い金魚鉢が置かれて金魚が泳いでいる。書棚を覗くと、芸術書に挟まれて村上春樹の『海辺のカフカ』の中国語版が置かれていた。余程、感想を訊こうかと思ったが、思いとどまった。
そのあと、4番目のお兄さんの職場があったビジネスの集積地CBD(Central Business Ditrict)へ行く。そこに、最近「世貿天階」という空間が出来て、天体ショーが大屋根を流れながら映し出される仕掛けがある。ビジネス街のオアシス演出といったところだ。こうした人工的ものはなかなか感動しにくい。
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9.5(水曜日)、妻のお母さんと介護の陳さん、それに3番目、4番目のお兄さんとで、中山公園へ行き、中山先生こと孫文の銅像を撮る。やはり、なかなかの美男子だ。そのあと、江南料理の老舗「松鶴楼」で昼食を食べる。この店は、乾隆帝の時代、1757年の創始というから古い。以前、国営だった頃に比べ料理の値段は2倍になっている。ただ、味はさすがに一流だ。特に、最初に出てきた泥鰌(どじょう)がうまかった。最期に「松鼠桂魚」というこの店の名物料理を食べる。乾隆帝が江南の地に来たとき、このグロテスクな料理を食べてうまさに絶句したほどだから、見かけによらずうまいことはうまいが、泥鰌のほうがもっとうまかった。
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夕刻、妻がハーバード大学で研究生活を送っていた時期に知り合った中国人女性とその最近結婚した旦那と会食。女性は北京大学卒、男性は清華大学卒(ともに30代)のエリートカップルだが、それが鼻に突くことのない、大人しいカップルだった。今はニューヨークにあるアメリカの大手投資銀行で二人とも働いている。アメリカのライフスタイルが気に入っているようで、近い将来、「ストレスの多い」中国へ戻ることはないそうだ。私が「その中国よりもっとストレスが多いのが日本だ」と言ったら頷きながら大笑いしていた。日本がストレス社会であることは諸外国で有名なようだ。学校や職場でのいじめ問題とかいろいろあっても、日本人だけが日本はとてもリラックスできる人間に対して優しい社会だと信じ込んでいるのも奇妙な話だ。
9.6(木曜日)、昼、建国門で、妻の友人である社会科学院の女性研究員、陳さんと会食。陳さんは月曜と木曜が出勤日だそうだ。彼女が誘ってくれたレストランは、三日前に取材した日本鉄鋼連盟の北京事務所が入る同じビルだった。偶然だが、彼女は日本人が脂っこい中国料理に疲れてくるとそのレストランのあっさりした調理が気に入ると知っていたのだろう。国際金融が専門の彼女は、数日来、共同通信の取材を受け、このレストランで日本銀行の人と会食したそうだ。尖閣諸島の問題で、中国国内で日本製品のボイコット運動が盛り上がる兆候があるが、「中国における身分証のICチップはすべて日本製だから、所詮、日本製品のボイコットなんてムリなのだ」とコメントした。いずれにしても、中国での釣魚島問題の報道での取り上げ方は、日本ほどかっと一点集中的ではなく、情勢をマクロで見ている気がする。日本の報道はとかく扇情的になり、分析はあとまわしになる。また、中国では、役人の公用車(黒のアウディが圧倒的に多い)購入で22万元(国産車の2倍)を上限とし制限する、フカヒレ料理など高価な接待は禁じられることが話題になった。
そのあと、すぎ近くの北京同仁堂(1669年創始)で漢方医・袁先生(北京中医大学の院長)の診断を受け、山ほどの漢方薬を買った。「気が働いていない」とかで、長年のストレスがすべて発散されずに内向して、肝臓など内臓を傷め、不眠症を起こし、それらが胃腸の不調にもつながっているとかで、22種類の薬草を30袋に小分けしてもらった。家でこれを鍋にぐたぐた煮込んで、そのエキスを飲むのだそうだ。ものすごく苦いに違いない。妻の分も合わせると、60袋、大きなトランクが漢方薬で一杯になる量だ。羽田空港で、検疫の犬が嗅ぎ分けて漢方を麻薬と間違えなければいいがと思う。そのときは「世界の同仁堂の薬だと言えばいい」と言われた。小雨が降りだし肌寒くなるなか、なんとかタクシーをつかまえ、渋滞のなかホテルへ戻る。
9.7(金曜日)、昨夜は雨だったが、今朝は薄曇りだが、まだ暑そう。午前、妻のお母さん、王順存さんが居る老人ホームを訪ねる。母子の写真をたくさん撮る。介護人の陳さんの話ではすでに30名以上が独立して、老人ホームに雇われているのは数名に過ぎないという。妻がフロアの看護主任と話し合うと、「介護人の給料は多い人で2700元。われわれ看護人の給料よりも多いケースもあり、看護人の生活も苦しい。そうしたことから簡単に介護人の給料をアップするわけにはいかないのだ」と語ったそうだ。妻は帰ってくると、介護の女性にいくらかお金を渡した。最初にも渡してあるので、合計すると心づけとしてはかなりの額になった。娘が明日、日本に行ってしまうと知って、お母さんはかなり動揺していた。
正午ごろ、3番目のお兄さんがホテルに迎えに来て、漢方の薬草を持って同仁堂へ出かける。妻が羽田の検疫で確認すると、薬草は検疫に引っかかるので、最初は薬草名が記されている処方箋を事前にファックスで羽田の検疫へ送ろうとなったが、液体にすれば問題がないということなので思い直して、同仁堂へもう一度持ち込んで煮立てて液体にしたのを持っていこうとなったのだ。持っていくと、煮立てる薬草の量が多いが、店には小さい釜が2つしかないので、出来上がりは夜の8時半になるということだった。私がホテルの床屋で髪を刈ったりして遅れた上に、ホテル前でタクシーを20分近く待たされたので慌てた。妻が行先の「建国門」を言い忘れたようで、タクシーはいつものように長安街に入らず脇道を走ってしまい、8時40分に着く。それでも、60袋分を煮込んで液体化し、ビニール袋120袋に封入するのに時間がかかったようで、閉店の9時近くにやっと間に合った。液体は出来立てでまだ熱い状態だった。液体にしても量はかなりなもので、ホテルに戻ってからそれらの袋が万一、壊れても中の液体が出ても被害が小さくなるように3袋ずつ小分けにして近くのスーパーで買ってきたビニールに入れてトランクに収めると、2つのトランクは一杯いっぱいになった。荷造りに目途が立ったのは深夜の1時半だった。
9.8(土曜日)、雲南で大きな地震があったと、ドアのノブに引っかけてある新聞で知る。テレビでは、温家宝首相が夜行バスのようなものに大いに揺られて現地へ向かう映像が流れている。とにかく現場主義でフットワークよく素早く動く首相である。この温首相が東日本大震災当時、日本の首相だったら、やはり大地震のあった日の深夜か遅くとも翌朝のうちに現地へ赴いたであろう。そうした政治パフォーマンスが少し懐かしい気もする。