趣意画廊のフロアに鉢が置かれているので、覗き込むと、金魚が泳いでいた。ニッポンの金魚と別種の北京金魚かは知識がなくて分からないが、こうした意匠の金魚鉢の中に泳いでいるのを眺めると、いかにもニッポンの金魚の扱いとは違う風雅な北京的金魚である。金魚も棲む環境によって風雅の等級が変わってくるのである。
南池子大街に「趣意画廊」という画廊を見つけた。古典を現代アート風にアレンジした画を眺める。小生の趣味としては、古典は古典風のままの方が好きだ。しかし、それでは骨董屋になってしまいますな。みやげ物にけっこう良さそうなのがあったが、買わなかった。こういうところに画廊を経営して成り立つのか、よく分からないが、店員の態度も悪くなかった。
冬の胡同には、野菜がストックされている。ある家の玄関にはニンニクが干してあった。「回季長春」なのか「四季長春」なのか分からないが、めぐり来る季節の風雅への憧れを玄関に掲げる人士が住んでいるのであろう。入口にニンニクをぶら下げるのは、ドラキュラではないが何か厄除けの意味もあるのだろうか。ニンニクの語源が、困難を耐え忍ぶという意味の仏教用語の「忍辱」というのも知らなかったな。この家の住人も春まで長い冬を耐えなければなるまい。
故宮の脇に、こんな胡同(フートン)のたたずまいが残っている。ニッポンで言えば、かつてあった長屋の風景だ。けっして文明的でも文化的でもないが、強いて言えば、生活的である。明らかにスラムではない。貧しいが、最低のものはあって、それを日々大切に使う生活だ。
高い壁をめぐらすということは、要人が住む屋敷なり、庶民が覗き見てはいけない何らかの場所ということになろう。この陽射しを受けた赤い高壁には、北京の屋根が映っている。こちらのほうが要人のひそひそ話よりも北京の歴史を物語っている気もする。
天安門からぐるっと廻って四合院風なホテルのある南池子大街に戻ってきたところ。中華風な赤というとニッポンの中華街にも多用される真っ赤を思い浮かべるが、さすがに本国の中国人はあそこまで趣味が悪くない。あれは外人用の赤だ。北京でも、大体、この門に使われるような赤を使っている。
四合院ホテルの方角へ戻ろうと、正義路なる通りを北進すると、「北京市人民政府」なる建物の門を見かけた。東京でいえば、都庁のようなものか。行政府にしてはなかなか風雅な門である。守衛が厳重に警戒しているのが余計だ。役所は誰でも気楽に入っていける雰囲気がなければならぬ。
天安門から毛主席紀念堂の方へ歩き、毛主席の遺体を見ようかと思ったが、朝から建物をぐるっと取り巻いて長蛇の列。仕方ないから、左手にそれて、テレビドラマ「大地の子」で養父が陳情に通った公証処の一帯を歩いた。ニッポンでいえば、免許試験場へ行く通りのように訴状の代書屋みたいな店が何軒もあった。