Discover the 「風雅のブリキ缶」 written by tonkyu

科学と文芸を融合した仮説作品「風雅のブリキ缶」姉妹篇。街で撮った写真と俳句の取り合わせ。やさしい作品サンプルも追加。

安保法制について(1) 政府の薄ら笑い、お坊ちゃんの慢心

2015年06月26日 17時29分52秒 | Journal
 前日、BSプライムニュースで、石川健治という東大の憲法学者のロジカルな話を聞いていて、急に自分にとっても深刻なことが日本の政治の中で進んでいると自覚した。なるほど自分は鈍いのである。つまり、そもそも違憲な法律を政治的な解釈によって成立させようとしている状況と、憲法によって守られた個人の自由が交換(バーター)関係にあり、今後は、戦前のように、こうした軍事の都合に配慮した法制が成立してしまえば、それは個人の自由が大いに抑圧される可能性が出てきたことに、そして、それが自分という存在の意義を消しかねないことに、やっと気がついた。




 今日の衆議院平和安全法制特別委員会のNHK国会中継を見ていると、野党の質問中、安倍首相と、中谷防衛大臣、岸田外務大臣の三者がときどき見せた薄ら笑いがなんとも気にかかった(掲載した写真は、薄ら笑いの瞬間を撮り損ねた)。最後の共産党の質問は、これから出撃する戦闘機への給油や空中給油が戦争行為との一体化につながるのではないかという内容だったが、政府のはぐらかしでまともな質疑応答になっていなかった。給油は戦闘行為ではない、だから非戦の憲法に抵触しない、という政府のロジックだが、燃料の切れた爆撃機は戦場に出撃できないのだから、燃料補給がなくても戦闘機の長距離飛行が可能ならば航空母艦も必要としなくなるのだから、戦時の給油活動は戦闘行為と一体化しているのは当然である。そんな当たり前を無視して、官僚がこしらえたような文書答弁を飽きずに(丁寧至極に)リピートし、時折、野党の追及に席でうんざりしたとばかりニヤニヤと薄ら笑いを交わしている政府要人の態度は、なんとも嫌な感じだった。これが自分が生きている国の最高決定機関なのかと、愕然とする。あんな理の何たるかを解しない連中は要人でもなんでもない。日の丸をかざして戦争ごっこをする二代目三代目のただの坊ちゃん愚連隊だ。その御しがたい慢心ぶりを問うために、憲法違反で逮捕して拘置所で反省文を書かせたほうがいい、と言いたくなる。この日は、さらに、自民党若手議員の勉強会「文化芸術懇話会」で安倍首相とも仲がいい作家が沖縄の二紙をつぶしてしまえと発言したことが追及された。文化芸術を軍事政治的な事柄に結びつけるのは、歴史的には、ナチスがやったことである。

 かく大いなる憤(いきどお)りを込めながら国会中継を平日から自宅で熱心に見ていられるのは、小生が、来週にもサラリーマンを引退するため有給を消化しているからである。国会内の茶っぽくくすんだ色調から物憂い目を転じて、数か月前に引っ越してきたマンションの窓から外を眺めると、細い雨に濡れる新緑の濃さが目にしみた。政治は真実の色合いを失い、形骸化・希薄化している。もっとも、この国の政治は、代々の能なしを見透かされないために冠や髷を頭にのせていた時代からそんなものだったかもしれないが、自由主義というイデオロギーを理解しなくなった自由民主党のような党が、国政で形式的にお坊ちゃん芸として世襲されていくことに、危惧はつのる。

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