早朝、海岸へ出た。パタヤの浜辺はそんなに奇麗でないことで有名だ。浜辺の美しさではプーケット(Phuket)の方が数段上らしい。まあ、湘南海岸といいとこ勝負だ。しかし、朝に海辺を歩けば、やはり気分が好いのは共通。
白人の男たちはビールを飲みながら、赤ら顔にワイワイと女の子と話して時間をつぶすのが嬉しいらしい。小生は、そうした趣味がないので、ビール一杯飲んだら早々にホテルへ戻ることを考えた。バンコクの女の子(素人の女性だが)は、パタヤは「コマーシャル(commercial)だ」と形容した。商業主義的、俗化しているといった意味だろう。夜もふけて、その商業主義にも隠微な陰が落ちたところで座をあとにした。
海岸通りに沿って、ニッポンで言えばピンクサロンが立ち並ぶ通りを過ぎてしばらく歩くと、今度はパタヤ名物のゴー・ゴー・バーが軒を並べる通りにさしかかる。バンコクのナナ・プラザと比べても規模は大きいが、踊り子の質はいま一つのような気がした。女の子は店外ばかりたくさんいて、中で踊っている子は数えるほどしかいない。
腹ごなしももかねて海岸通りを歩いていたので、ホテルのオープンレストラン脇にあった売り物の海の幸を眺めても、ああ、新鮮で旨そうだなと思うぐらいであった。なんだかニッポンの魚屋の店先にあるような奇麗な魚なり。刺身で喰えそうだ。
まさか、パタヤで寅さんに会うとは思わなかった。葛飾柴又の寅は今やアジアの寅かと思った。寅さんのような「男はつらいよ」風のキャラクターは、案外、汎アジア的なのかもしれない。こうしたビジネスにうといオジサンは、背広を着て仕事とエッチだけの生産的なオジサンよりも、支持はされなくても心情的に受けがいいのは当然だ。
パタヤの売春街の通りではさまざまの物売りがある。縫ぐるみをどっさりと満載した荷車もあれば、ニッポンの祭りでも見かけるような写真のキャラクターグッズを載せた荷車も。これも一晩に一つ二つ売れたらいい方だろう。
パタヤは夜ともなれば売春の街と化す。もともとベトナム戦争の米軍基地が「慰安所」として使ったことで知られる。多様性の点では新宿歌舞伎町にかなわないだろうが、その売春窟街の量的規模は想像を絶する。これだけの女が一夜はおろか一週間でも客につけるはずがないと思うほど、うじゃうじゃといる。彼女らがどうやって日々を食いつないでいるのか、まったく分からないが、悲しい顛末(てんまつ)も予想できないわけではない。
パタヤでは、テーラーと並んで深夜まで営業の美容院も多い。これはくどくど憶測を述べるまでもなく分かりやすい。街の女たちにご用達だ。また深夜まで営業していないと薄利で喰っていけないのだろう。そうした観点からは、タイの人は実によく働く。気の毒なぐらい朝から晩まで働く。