Discover the 「風雅のブリキ缶」 written by tonkyu

科学と文芸を融合した仮説作品「風雅のブリキ缶」姉妹篇。街で撮った写真と俳句の取り合わせ。やさしい作品サンプルも追加。

2つの『狂人日記』(ゴーゴリと魯迅)と植松被告

2020年01月24日 21時04分47秒 | Journal
 ゴーゴリの『狂人日記』(1831、横田瑞穂訳)と魯迅の『狂人日記』(1918、竹内好訳)を読んだ。同じタイトルなのは偶然だろうか?それはともかく、小生としてはゴーゴリの『狂人日記』に軍配をあげたい。岩波文庫の『狂人日記』には、他に「ネフスキイ大通り」と「肖像画」の二篇が収録されている。いずれも若いゴーゴリがペテルブルクに住んでいた時代の作で「ペテルブルク物語(もの)」と呼ばれるらしい。三篇とも作風はまったく違うが、多少の欠点はあっても読ませる力がすごい。天才という言葉は余り使いたくないのだが、やはりゴーゴリは小説家として天才だったと思わざるを得ない。三篇の中でも『狂人日記』は、一番冒険的な作品で、ロシアの下級役人が病的な自己肯定の末に自分自身をスペインの王位継承者と思い込む最後の件(くだり)は、強くドン・キホーテを連想させる。考えてみると、自分なども頭の中でスケールは小さくとも同じような滑稽をやらかしていることがあるような気がする。はためには笑止千万でも自分では大真面目に。そうした意味で、小生もまたゴーゴリ的な「狂人」なのかもしれない。一方、魯迅の『狂人日記』は、多分読むのは二度目だと思うが、魯迅の処女作ということもあり、どこか彼の文章が空疎に響いて頭にぴたりと入ってこない。人間が人間を喰うという話も、何を象徴して魯迅が書いているのか分かるようでわからない。伝わってくるものがない。中国で社会の旧弊に苦しんだ当時の新世代に衝撃を与え、近代文学の出発点になった作品とされるが、内容の激しさはそうでも文章はそれほどでもない気がした。あるいは翻訳のせいで、中国語では違った印象なのだろうか?なお、19人もの人を刺殺した相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」の事件(2016)で、今日のニュースに、植松聖被告は、犯行直前まで大麻を吸っており、これをもって弁護側は責任能力はなかったとして無罪を主張しているが、本人は「自分は責任能力を争うのは間違っていると思う。(自分には)責任能力があると考えている。責任能力がなければ即死刑にすべきだ」などと述べた。彼などは魯迅の描いた「狂人」と似たところがあるかも。ゴーゴリの狂人には自己に対する現実離れしたロマンチシズムがあるが、魯迅の狂人には社会の現実への強い思い込みはあってもロマンチシズムは欠けている。そんな印象もある。植松被告の場合は、本当はどうなのであろうか?アメリカのトランプ大統領を大いに買っているところなどからも、弱者に対する社会の本音がどこにあるか、彼なりに分析判断して確信犯的に殺人に及んでいる。ただ、不思議なほど自分がないのだ。自我、社会思想から天然の自分を守る被膜(ひまく)のようなものがない。この資本主義的弱肉強食、競争社会の本音、それが彼にそのまま一字一句バージョンを変えずに乗り移っているとしか思えない。そこが狂人の狂人たる所以(ゆえん)なのだろう。

 
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江の島詣で

2020年01月15日 10時55分18秒 | 「ハイク缶」 with Photo
 天気もよかった3連休の最終日、一昨日の昼頃、急に思い立って、江の島へ向かった。近場のバーミヤンで昼食、大和までは246号、その先はひたすら藤沢街道(467号)を下って藤沢市街地で渋滞があったので車で3時間近くかかり、着いた時は4時半になっていた。日が暮れる前に急ぎ富士山を撮る。それから宿探しだが、慶長年間というから江戸時代初期の創業、HPにある350余年どころか400年余の「恵比壽屋」という古い旅館が参道の入り口付近にあって、意外にも宿泊できるというので泊まることにした。この老舗旅館、「島に弁天、旅館は惠比壽」のキャッチコピーで知られるそうで、明治の元老・伊藤博文や桂小五郎も泊ったという。2階建てになった公共の駐車場から旅館の駐車場へ車を移動させてから江の島観光をした。若い人を中心に人出はかなりのものだ。日没後にもかかわらず、なぜ、こんなに人が多いのか、すぐに理由は分かった。坂の宿道から急な階段を上って、神社を過ぎると、なかなか豪華なイルミネーションの畑や林である。展望台もライトアップされている。ああ、キレイ、キレイと帰ってきてから、旅館の晩飯を食べた。献立に「弁天」(料理長・山中広充)とある。さざえの壺焼きや河豚刺しなど海の幸が豊富にあるが、汁にあった大きな鮟肝(あんきも)ばかりは痛風を怖れて箸(はし)にとることを辞退した。翌朝、朝湯につかり朝食を食べてから、参道の紀の国屋本店(1789‐)で作りたての江の島名物「女夫饅頭(めおとまんじゅう)」を「こりゃうまいな」と頬張(ほおば)ってから帰ってきた。


初富士を仰いでいるは弁天様






竜宮へ山のぼるは江の島














海の朝見やる先には富士の峰
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正月の昭和記念公園

2020年01月04日 14時45分15秒 | 「ハイク缶」 with Photo
 シックハウスの家で正月も家内に閉じ籠っているのも我慢ならないので、昨日、川崎の家から車で1時間半ほどの東京立川の国営昭和記念公園へ妻と行ってきた。一種憧(あこが)れの地である東京の国立が比較的近いことに感慨があった。昭和記念公園はだだっ広く、しかもよく管理された自然公園風の公園であった。まず、ソシンロウバイという早咲きの黄金色の梅を見に行った。ソシンロウバイ(素心蝋梅)は、中国中部原産で、日本には江戸時代に入って後水尾天皇の時代(1611から1629)に渡来したロウバイの変種だそうだ。黄金の花に顔を近づけて嗅ぐとなんとも好い香りがする。それからぐるりと周遊していろいろ撮ったが、どの風景も冬の木漏れ日に素晴らしい。立川駅前でインドカレーを食べ、それから公園の駐車場に向かったが、出る時は夕暮れていた。天気もよく陽射しも暖かいので、正月の暢気(のんき)な目出度さを満喫できる散策となった。


冬日差し素心蝋梅枝降(くだ)る








冬の日侍(さむらい)乗せた江戸の舟




弱りゆく日射しに笑う冬木立






年越えて黄昏(たそがれ)時に鴨が居る


鴨鍋を厭(いと)いて鯉に恋する哉

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