Discover the 「風雅のブリキ缶」 written by tonkyu

科学と文芸を融合した仮説作品「風雅のブリキ缶」姉妹篇。街で撮った写真と俳句の取り合わせ。やさしい作品サンプルも追加。

上海浦東国際空港から帰路につく

2007年01月08日 18時12分34秒 | 上海百景
 こんなところで、上海旅行は、終わりを告げ、小生は2007年の正月1月2日、JALの朝8時50分の便で、上海浦東国際空港から成田へ飛び立った。機内でシーフードカレーが振る舞われて感激するが、味はいまひとつだった。
 考えてみると、4泊5日の旅の記録に撮った写真(計135枚)をこのブログで使い切るために、同じ日数を要した。一文にもならないのに、自分にご苦労さまな話ではある。
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結婚総合雑誌ゼクシィの広告、缶ビールを買う日本の老夫婦

2007年01月08日 18時01分58秒 | 上海百景
 料金問題で不満はあっても、なんとなくリラックスした身体をホテルに向けて歩いていると、売店わきに写真の広告を見かけた。ZEXYって、たしかあのリクルートが出している結婚雑誌の名前ではなかったかと思った。はは~ん、上海の結婚ブームを当て込んで、進出しているのかと、その商魂に感心した。上海人がどう思っているかは知らない。
 ところで、ホテルでもう一杯、風呂上りに青島ビールが飲みたくなるだろうと予期して、コンビニのようなところに寄った。すると、日本人らしい老夫婦がやはり棚のビールを探していて、小生が脇を通る際に「失礼」と声をかけたことで日本人と知り、どんなビールがいいかと訊(き)かれたから、「この青島ビールが一番旨いですな」と太鼓判を押すと、それを2缶持ってレジの前までいくが、そこでなにやら困っている。奥さんの方が、小生をわきへ引っ張っていき、100元札がいっぱい入った両替の袋を示しながら、「どのお金を出したらいいか分からない」と言う。小生が、その中から10元札1枚取り出し、「これで払っておきなさい」と助言。夫婦は大いに有り難がって店を出ていった。それにしても、あそこまでまごついていて大丈夫なのかと心配になる一方、ああして外で購入した缶ビールで安くすませるために、老人が暗いなかを見知らぬ異郷の街のコンビニに出てくる様に、一種切なさを感じた。ただ、それを言えば、小生も同じだが。
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マッサージ体験

2007年01月08日 17時33分50秒 | 上海百景
 朝、ホテルを出るとき、日本の旅行会社提携のカウンターで、こうした雨の日の上海観光について助言を求めたら、マッサージを提案された。これもガイドブックで、マッサージはなかなか良いと書いてあったから予約を頼んでもよかろうと判断。足裏と全身で200元ずつ、〆(しめ)て400元だという。帰る間際に日本円をくずすのが嫌だから、この400元をもう一度確認してからOKを出した。近所のホテルに評判の良いマッサージ屋があるという。夜の7時に予約を入れた。
 それで8時からの和平飯店のオールドジャズも諦(あきら)めて、蟹もコースを諦めて、地下鉄に乗って急いでホテルへ戻ったのである。帰宅するカウンターの女性と連れ立って、そのホテルへ行き、マッサージを体験した。まあ、インチキでもないが、それほど感心するものではない。第一、料金の話が違う。
 通された部屋で、日本語のテレビが見れるというので見た番組は、NHK制作の英語版の教養番組で、小生は英語が多少はできるから文句もないが、普通の日本人のオジサンは不平だろう。さらに飲み物を頼めと勧めるので、また小さな青島ビール缶を飲んだ。これが10元。店で買えば1缶4.5元程度か。まあ、これもいいだろう。足裏マッサージが始まった。マッサージの娘が、笑いながら、「耳ほじくりは気持ちいいよ。50元だよ。とっても気持ちいいよ」と言う。仕方なくOKを出す。やがて男が変な機械を抱えて入ってきて、「皇式采耳」なる手法で耳ほじくりを始める。ほじくり棒だけで20本以上ありそうな本格的なものだ。終わりの間際に、いきなり耳元で鐘を大きく鳴らす。これには驚かされた。こんなのを左右の耳にやられて、通りはよくなったかというと前と左程変わらない。足裏の方は、覚悟はしていたが、ひどく痛かった。「胃腸問題ね」と言われた。
 別室の、青のイルミネーションが天上を走るような、やや怪しい暗室に通された。ここで全身マッサージを行うという。早く始めればいいものを、女は、パンツをベッドに投げ出して、これに着替えろと言う。「全身ローション・マッサージの方が気持ちいいね。170元出せ」と言う。俺は全部で400元の約束でこの店に入ったから、残りの200元分の全身マッサージで十分だと断った。すると店主に相談に行ったり、なかなかゴネル。ようやく全身マッサージが始まっても、「ローションでないと10元しか稼ぎにならない」とこぼすから、「よし、あとでチップやるから、しっかりやれ」と督促する始末。結局、30元渡したら、大喜びだった。てなわけで、400元の約束料金がすこしばかり嵩(かさ)んだのが不満だった。
 マッサージといえば、特別料金で本番行為のあるマッサージ店もあるとか。それに比べれば、品行方正なマッサージ体験であったと思う。
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日本人ばかりだった蟹の店

2007年01月08日 16時51分57秒 | 上海百景
 入るとレジの女からして、日本語を話す。すぐに日本人観光客ばかりが大挙して蟹を食いに来る店だと勘づく。なかなか混み合っていた。コースでオーダーをするには時間が足りなく、3品ばかり適当な蟹料理を頼み、青島ビールを飲んだ。困ったのは蟹のスープが一人で平らげるには量が多すぎること。仕方ないから、隣に座った日本人のオールドミスに「これ、食べませんか」と勧めたら、「私、これを食べるだけで十分ですわ」とコースの料理を指して嫌な薄笑いを浮かべて言った。言い方は少し頭にきたが、もっともではある。冷たい青島ビールと熱い蟹スープを交互に口に流し込んで、なんとか食べきった。不味くはなかった。料金は200元を切る程度。
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蟹を食おうと入った店

2007年01月08日 16時35分32秒 | 上海百景
 そろそろ晩飯をとろうと、適当なレストランを探して、暗く雨の降りしきる中、南京東路近辺を彷徨した。探すとないものだ。やっと路地裏のようなところで見つけたのが「蟹王府という店の隣の店」(このブログを書くまで入った店の名が蟹王府だと思っていたが、よくよく見ればその左隣の店だ)。店の名は知らない。店頭のガラス越に蟹をさばく調理のオバサンたちの実演が見えた。上海は蟹が有名だとはさすがに知っていたので、そう不味(まず)くもあるまいと入ることにした。
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外灘、地下道のゴッホ展

2007年01月08日 16時24分31秒 | 上海百景
 ああ、1枚掲載を忘れた写真があった。
 外灘の遊歩道からこちら側に渡る際に、地下道で見かけたゴッホのポスター。銀行か何かがスポンサーになってのゴッホ展らしかった。あのヒマワリの絵もあった。しかし、こういうところにゴッホを掲げるのは、上海人がゴッホを好きな証(あかし)。
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和平飯店北楼の「老年爵士楽団」

2007年01月08日 16時16分42秒 | 上海百景
 Old Jazz Barという英字表示ではいまひとつ雰囲気が出ない。やはり「老年爵士楽団」はなんとも言えない。1980年から始まったというから、ある意味、懐古趣味が売りのジャズバーである。夜8時から開店するとボーイに告げられ、7時からの予定を思い出し、「上海再訪の折にするか」と、今回は70歳代ジャズ爵士の演奏を堪能することを無念にも断念。
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和平飯店北楼「世界最著名飯店」

2007年01月08日 16時08分24秒 | 上海百景
 前出の写真の一番右側、和平飯店北楼は「世界最著名飯店」を自称する。なぜ、自称しているといえるのかは、そのホテルのエレベーターに写真のような掲示板が貼りつけてあるから間違いない。それにしても、幽霊屋敷のような、不思議な雰囲気を持つホテルである。
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霧の外灘3 和平飯店北楼、南楼、紡績品輸出公司、桂林大楼

2007年01月08日 16時00分24秒 | 上海百景
 右から、和平飯店北楼と南楼。北楼は、旧サッスーン・ハウス/キャセイ・ホテル。財閥サッスーンの住居とホテルが入っていた。アールデコ様式の1929年竣工。赤白の南楼は、旧パレスホテル。上海初のエレベーター付きホテルで、アン女王復古様式の1906年竣工。
 その向こうにある室内に灯があるのが上海市紡績品輸出入公司。旧チャータード銀行。イギリス政府特許の植民地銀行だった。新古典主義様式の1923年竣工。さらに向こうの白っぽいのが、桂林大楼。旧ノースチャイナ・デイリーニューズ&ヘラルド社。租界地の英字新聞を発行していた。新古典主義様式の1924年竣工。
 したがって、いずれも20世紀の初頭に建った建築物。21世紀初頭の今、幽霊のように霧の中にたたずんでいた。
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霧の外灘2 アヴァンチュール

2007年01月08日 13時52分06秒 | 上海百景
 まあ、ここ上海外灘は、恋人の接吻、抱擁のメッカである。傘の中に顔と顔をくっつけて人生で一番甘いひと時が過ぎていく。それでいいではないか。
 それにしても、黄浦江の対岸はさすがに薄っすらとしか見えない。
 
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