Discover the 「風雅のブリキ缶」 written by tonkyu

科学と文芸を融合した仮説作品「風雅のブリキ缶」姉妹篇。街で撮った写真と俳句の取り合わせ。やさしい作品サンプルも追加。

娃哈哈の料理

2009年03月15日 11時14分27秒 | 北京に魯迅を訪ねて
 娃哈哈大酒家の料理である。どうも小生が胃弱で油に弱いことが主催者に伝わっていたようで、このレストランが選ばれた模様。通常の中華料理のイメージからはかけ離れたモダンな料理に見えるだろう。味もさっぱり系だったかな。娃哈哈(Wahaha)!
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娃哈哈大酒家

2009年03月15日 10時46分29秒 | 北京に魯迅を訪ねて
 Wahaha(娃哈哈)という中国のミネラルウオーターがとても旨いことは前に書いた。小生が毎朝、通勤電車の中で飲むエビアンと似ていると思ったら、エビアンのフランス・ダノンの資本が娃哈哈合資公司にも入っているらしい。先の北京旅行で、この娃哈哈が運営するレストランへ招かれた。
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魯迅の横顔

2009年03月01日 17時57分57秒 | 北京に魯迅を訪ねて
 魯迅故居をあとに博物館を出るとき、魯迅の石像を見て、その横顔を撮った。意志の強い闘争的な顔、しかし、その顔には笑いが浮かべられている。彼は作家という職業を後に生まれた息子には継がせたくないと思っていた。自分一代の稼業と考えていた。この笑いは、不敵な笑いなどではなく、苦しさから出た笑いだったかもしれない。
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魯迅故居で見かけたウメモドキの赤い実

2009年03月01日 17時48分44秒 | 北京に魯迅を訪ねて
 ニッポンではウメモドキ(梅擬)の実は晩秋の季語になっているが、もともとは中国のものなのだろうか。なんとなく、魯迅に似合う。魯迅の気性は熱烈な赤だが、赤は赤でもちょっと淋しいところがある。孤愁の赤だ。
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魯迅故居の様子

2009年03月01日 17時29分05秒 | 北京に魯迅を訪ねて
 この魯迅故居も中庭にむかって建物が向かい合っているから四合院なのであろう。今回の旅では宋慶齢さんの故居を訪ねようとしたら、改修工事中で行けなかった。北京の建築文化である胡同の四合院は、その保存が問題になっているが、水洗トイレなどそのまま現代人が現代風に住むには向かないところもあり、適切な改修をしながら保存することが大事になってくるとか。しかし、現実は、そのまま残すか、それとも開発のために一思いに壊すか、二者択一的な話になっているようだ。
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魯迅の書斎

2009年03月01日 17時22分23秒 | 北京に魯迅を訪ねて
 文豪の書斎にしては質素だ。というのも、魯迅がここに住んでいたとき、彼は慥かに目立った作家ではあったろうが、まだ世界に認められる文豪ではなかったから。また、作家が小説や雑文を書くのにそんなに立派な書斎が必要ないのも事実だ。
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魯迅故居の井戸のある風景

2009年03月01日 17時14分14秒 | 北京に魯迅を訪ねて
 これは井戸の跡であろうか。北京を舞台にした古い時代の映画を観ていたら、井戸を使うシーンがでてきたので、多分、井戸であろう。魯迅はここで、故郷の紹興から引き取った母親と暮らした。母親が井戸の水を汲(く)んでいる様子を魯迅は書斎から眺めたこともあろう。
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魯迅故居の中庭から見た空

2009年03月01日 17時07分31秒 | 北京に魯迅を訪ねて
 魯迅故居の中庭はさほど広くもなく、曇天の下に冬枯れのたたずまいであった。小生は思わずわずかに緑の葉が残る樹の梢を遠く見上げて、魯迅も見上げたであろう北京の空に見入った。北京の冬はこうした曇り空の日がつづくのだそうだ。
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魯迅故居前にて

2009年03月01日 16時50分12秒 | 北京に魯迅を訪ねて
 北京魯迅博物館内の魯迅故居前にて。
 魯迅がこの住居に住んでいたのは約2年間。1926年3月18日、天安門での学生の抗議デモに軍警の鎮圧が入り、北京女子師範大学の教え子である劉和珍さんが殺された。魯迅は猛烈に怒り、弾圧でここに住んでいられなくなった。一説に、魯迅は劉さんと恋仲だったという。一方で、許広平というけっして美人ではないが、気立てのいい学生とも付き合ったいたわけで、魯迅は教え子と次々に恋に落ちるけしからぬ教師であった。
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魯迅の葬儀

2009年03月01日 16時29分22秒 | 北京に魯迅を訪ねて
1936年、10月19日に亡くなった魯迅は、上海万国公墓に埋葬された。葬儀委員会は、宋慶齢、スメドレー、内山完造、沈鈞儒ら10名。10月22日に執り行われた魯迅の葬儀には、棺を見送る人々が街路に群れをなしたという。写真にも宋慶齢らしい女性の姿が写っている。漱石の葬儀もかなり大きなものだったようだが、彼らはスター的国民作家だった。今、ニッポンの有名な文学者が死んでも、人気歌手ほどの会葬者はいまい。
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