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小生が住む港北ニュータウンの都筑ふれあいの丘(横浜市営地下鉄グリーンライン沿線)の駅前広場からはゴミ処理場「都筑工場」の地上130メートルに聳える煙突が見える。子供のころに東京の町で見かけた煙突の思い出があるためか、小生はこの煙突のある風景が特に好きである。ところで、震災後、その広場に朝から長い行列ができるようになった。OKストアに並ぶ人々である。これだけ並ばれると後で遅れていっても米も牛乳も手に入らない。
2番目の写真は、大江戸線の勝どき駅で撮った。明治44年は西暦で1911年だ。銀座の時計台、都電も面白いが、この電信柱の6本の腕は楽しい。マンションのベランダの前に送電線を垂れて並ぶ電信柱などは空を汚くしているようでときとして憎らしいものだが、この百年前の銀座の電信柱はユーモアがある。
3番目の写真は、昭和32年の日本橋界隈の上空からの写真。野村證券や三越は今につづくが、あとは普通の二階家がけっこうあって今とは大分違う。何より違うのは日本橋川を覆う首都高(1963年建設)がないことである。
4番目は、今の日本橋。50年間で変わりはしたが景観が進歩したとも言えまい。時がたって後退する景色もある。
そして、最後の写真は、大津波で何もなくなった東北沿岸の町の風景。今、小生が住む横浜市都筑区は、横浜と言っても起伏ある丘陵地帯の内陸部で津波などとは縁がないとの印象をもってきたが、縄文海進期には鶴見川などから海の水が浸入していたという。慥かに、近くには貝塚遺跡も散在する。何十メートルもの大津波が襲えば、写真の光景のように我が家のすぐ下まで水がやってきて風景の思い出をそっくり引き波がさらっていくことであろう。それでも、あの都筑工場の煙突は残っているだろうか? 時が置き去っていったゴミを昇天させるために。