Discover the 「風雅のブリキ缶」 written by tonkyu

科学と文芸を融合した仮説作品「風雅のブリキ缶」姉妹篇。街で撮った写真と俳句の取り合わせ。やさしい作品サンプルも追加。

姜文の映画2本を観る――『芙蓉鎮』と『鬼子來了(鬼が来た!)』

2017年02月24日 14時02分47秒 | Journal
 最近、姜文(チアン・ウエン、1963‐)の映画を2本観た。1本は『芙蓉鎮』(監督・謝晋、1987年)という日本では、ほとんど知られていない中国映画だが、中国では、誰でも知っているような有名な映画だそうだ。中国人が皆、知っているのは、それが文化大革命を批判的に描いた数少ない映画であるからであり、また、謝晋(シエ・チン、1923‐2008)が、日本でいえば小津、溝口、黒澤級の著名な映画監督だからだそうである。ストーリーは、働き者の夫と米豆腐の店を繁盛させる器量・気立てのよい女性(劉暁慶、1955‐)が、店が成功して小金を貯めるにいたって「反革命分子」のレッテルを貼られ、夫にも死なれ、苦難のどん底におちいるが、そこにこれまた「インテリ」という「反革命分子」(毛沢東はインテリが嫌いだった)が現れ、二人の「反革命分子」は、お仕置なのだろうか、早朝に街路の掃除をやるうちに仲良くなって、夫婦となる。そこでまた新婚の間もなく、新しい夫は「労働改造」に連れていかれ、歳月が流れる。やがて、毛沢東が死に、文革が終わって、二人は名誉を回復され、かつて自分たちをいじめ抜いた共産党の女性幹部と同じ船に乗り合わせて村に帰ってきた夫は(分かれ際に、幹部に向かって庶民をいじめないように明るく忠告する)、妻と大きくなった息子と再会する、というもの。映画のなかでインテリの、しかも楽天的な「反革命分子」を演じたのが姜文である。共演した劉暁慶(リウ・シャオチン)は、大変有名な国民的女優で(庶民的可愛いさのアイドル的要素を含めて吉永小百合級か)、姜文は、抜擢された新人にすぎなかったが、その中国人離れした欧風の堂々たる体格と茶目っ気のある演技でまさに主役を食ってしまう存在感を示した(その点では、黒澤作品であり得ないような演技をした三船敏郎と似ている)。映画全体は、文芸調で(原作・古華)、分かりやすく丁寧に撮られているとの印象が強かった。



 この姜文が、監督・脚本兼主役で撮ったのが2本目の『鬼子來了(鬼が来た!)』(2000年)である。日本では、香川照之(1965‐)が日本兵に扮して出演したことで少しは知られるが、この映画は、劇的なカメラワークの良さと姜文のユーモアある脚本が、よくある日本軍憎しの抗日戦争ものをもっと普遍的な人間の物語に仕立てることに成功した作品だったと言えよう。それはある意味、魯迅の『阿Q正伝』(1921年)に通じる、悲哀に満ちた中国人民の人間喜劇である。それに、日本軍の感じが、リアルに非常によく描かれていたのも印象的。姜文が日本に来た折、靖国神社で目撃した元日本兵の姿が下地になっているとのこと。その旺盛な批判精神ゆえに中国の映画人としてつくりたい映画もつくれないブランクも生じたが、体制に縛られずに自由に俳優業・監督業をやれれば(それはどだい無理な状況だが)、姜文は、タイプは違っても、ハリウッドのクリントン・イーストウッドを超えられる唯一の役者兼監督かもしれない。

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