Discover the 「風雅のブリキ缶」 written by tonkyu

科学と文芸を融合した仮説作品「風雅のブリキ缶」姉妹篇。街で撮った写真と俳句の取り合わせ。やさしい作品サンプルも追加。

縄文スタンプと貨幣の本質

2006年05月21日 07時00分49秒 | note 「風雅のブリキ缶」
 朝市を見学した場所で、「縄文スタンプ」なる掲示板のポスターを見かけた。
 これは、地域貨幣そのもではないが、そのアイデアの延長線上にあって開発された販促ツールであろう。気になるのは、その便益性、お徳度をアピールして、本来の地域貨幣的な特質を見失っている点だ。せっかくのネーミングが泣く。
 1927年、高垣虎次郎は『貨幣の生成』の中で、「貨幣の起源は祭祀Kultusに属する」とし、貨幣は、本来的に、「神と人との間の交換若しくは代償」の手段だったと書いている。こうした神聖な性格を持つ貨幣が、市場経済の中で、無原則的に他地域と連結され、便利でお得な取引(交換)手段としてのみ強調されてきたのが、最近の歴史の常識だ。
 作品では、ルドルフ・シュタイナーやシルビオ・ゲゼルといった思想家の影響を受けて、エントロピー概念を貨幣に結びつけた、「時を帯びた貨幣(aging money=老化する貨幣)」の概念について、取り上げている。あのアインシュタインは、「私はシルビオ・ゲゼルの光り輝く文体に熱中した。…貯め込むことができない貨幣の創出は別の基本形態をもった所有制度に私たちを導くであろう」と評している。われわれは、時空の相対性における宇宙的貨幣論を、いまだ有していない。ただ単に、地上的原理で金融業を営んでいるだけだ。
 貨幣を介したヨロズ(万)神との交感能力は正月の賽銭に限定し、地域(空間)と歳月(時間)を無際限に欲徳づくにする経済的傾向を、貨幣一身に担わせるのは、ニッポン人(人類)の大いなる罪になるのではないか。小生は、「ライプニッツ貨幣」論で、別の貨幣的展開を考えてみたい。ライプニッツはモナドロジー論の中で、エンテレケイアという単一実体(「宇宙を映し出している永遠の生きた鏡」)を想定した。貨幣は、まさに「宇宙を映し出している永遠の生きた鏡」の面目を甦(よみがえ)らせなければならない。
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