Discover the 「風雅のブリキ缶」 written by tonkyu

科学と文芸を融合した仮説作品「風雅のブリキ缶」姉妹篇。街で撮った写真と俳句の取り合わせ。やさしい作品サンプルも追加。

北京で観た芝居「小井胡同」と映画「一歩之遥」を中心に

2015年01月12日 10時25分46秒 | Journal
 年末年始、例年の用ように妻の里帰りで北京まで行ってきた。今回は、滞在が長くなるので王府井の金魚胡同にあるアパートメント様式(キッチン付き)のホテル「Lee Garden」に泊まった。東京でいえば、銀座のホテルに泊まったようなもので、便利至極なロケーションであった。それもあって近くの劇場と映画館で芝居と映画を観ることができた。

    


 まず、ホテルのテレビで抗日戦争ドラマを楽しんでから、チャネルをニュース番組に合わせると、安倍さんのアベノミクスを取り上げていた。アベノミクスは中国で「安倍経済学」とマルクスやケインズ並みに呼ばれていることに少し驚く。それほど理論性があるとは思えない。A4に3ページぐらいのレポートで十分でとても大著にならない。まあ、中国の報道も、日本でのアベノミクス評価と同じようなもので、経済を押し上げると同時に富の再分配が課題になる弊害も紹介して、具体的な経済指標のグラフを示すなど極めて公平なものだった。かえって日本でこうした客観的なテレビニュース報道をほとんどしないのは困ったものである。それからチャネルをかえると、ドラえもんをやっていた。また、どこかの放送で旧日本兵の残虐さを少し扱っていた。大晦日になると、カウントダウンで東京から生中継もしている。日中関係は政治的気分に左右されている。緩むときは大いに緩む。もっと真面目に本気で歴史問題を考えてもらいたいものだ。そうでないとまた同じことを繰り返す。



 今年の北京は暖冬のようで、昼間は戸外を歩いていても気持ちがいい。ホテルの向かいでレンタルサイクルを見つけた。王府井大街では、名物の清朝風物の銅像がある。キリスト教会の門では、若いカップルが結婚の記念撮影をしている。



 近くのモールで讃岐うどんも喰った。味は普通だが、胃から中華料理の脂っこさを抜くにはちょうどいい。さすがに、隣のとんかつは喰わなかった、というか、喰おうと店の前に立って問うと、「豚が品切れだ」と言われた。次の写真はタクシーで大分西南に走ったところだが、妻の三番目の兄さんが経営する病院裏の招待所という地下の木賃宿に訪問し、近所のレストランで食事をした。これは中国では一般的だが、水槽の生簀(いけす)から捕った魚を調理した料理や台に陳列した惣菜を皿に大盛り選ぶ形式だ。

     


 首都劇場で観た芝居「小井胡同」は、毛沢東率いる共産軍が国民党を追い出す時代から文革を挟んで改革開放までの近代史の流れにそって、北京の胡同(フートン)の四合院での人間模様を取り上げたもの。時代時代で、価値観が逆転して、そのたびに住民の生活がひっくり返る。喧嘩が起こる。そこを面白おかしく描いたものだが、内容的に老舎の「駱駝祥子(ロートシアンツ)」などに比べると大分格が落ちる平々凡々流の劇だった。一方、映画「一歩之遥」は、上海を舞台にした姜文(チアン・ウェン)の監督・主演。訳が分からない映画として話題になった作。この姜文氏は、2000年の「鬼が来た!」という抗日戦争の映画で、はじめて人間らしい日本兵(演じたのは香川照之さん)を登場させてカンヌ国際映画祭でグランプリをとったとか。「一歩之遥」の3D画像に圧倒されながらもそのはちゃめちゃさに共感するところがあった小生は、その感想を素直に述べると、妻は「姜文は『鬼が来た!』で人々が共感するリアリズムな作品を撮って有名になっている。あなたは最初から訳の分からない作風の作品をいきなり書こうとしている」とたしなめられた。されど「小井胡同」流の平々凡々は書けそうもない。




 クリスマス明けの夜の街に、キヤノンの広告看板を見かける。中国人の明るい笑顔を並べたものだろうが、どことなく日本人の顔に見えて仕方がない。王府井は、相変わらずの冬の夜のイルミネーションの世界だ。観光バスを降りた外国人観光客がどっと繰り出す屋台のテントを冷やかす。結局、往復して、iPhoneで写真はたくさん撮るが、すでに胃腸に変調が起きている折から財布を取り出して陳列された「御馳走」を食べる勇気は出なかった。
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