ゴーゴリ(1809‐1852)というロシア作家の小説を読むのは、はじめてであった。もちろん、昔から名は知っている作家だったが、若い頃は、ロシア作家と言えば、大文豪のトルストイかドストエフスキーだったので、彼らに比べて小さい作家に思えたゴーゴリの作を読もうとするモチベーションが自分の中に足りなかった。今回、ふと、岩波文庫の『外套・鼻』(平井肇訳)を買って、『外套(がいとう)』の方の、ペテルブルグ(サンクトペテルブルク、ソ連時代のレニングラード)の街に生きた小官吏アカーキイ・アカーキエヴィッチが大切な外套を盗まれて化けて出る話を読んで、その素晴らしさに正直驚いた。同時代の作家、イギリスのディケンズ(1812‐1870)に匹敵する、いや、それ以上の夢幻的、文芸的な世界がそこにはある。夢幻とか文芸と言っても、それが自分の外にあるのならば、それだけのことだが、『外套』の主人公アカーキイ・アカーキエヴィッチは、ずっと昔から行ったことのないペテルブルグの街とともに自分の中に居る、と懐かしく思えてくるから不思議だ。前の前のブログの最後にエラスムスの「人生に執着する理由がない者ほど、人生にしがみつく。」(『痴愚神礼讃』)を掲(かか)げたが、それに対する一つの愛(いと)おしい答えが、この作品にはある。自分があの世に逝(い)ったときに再会したい友の一人として、間違いなくいつの世でも何処(どこ)でも陰湿なイジメにあうであろう「アカーキイ・アカーキエヴィッチ」を選びたい、とさえ思えてくる。(ただし、作品に描かれた範囲の当時のロシア社会に、日本のような陰湿なイジメはなかったようではある。)
ニコライ・ゴーゴリの肖像(F.A.モレル筆・1841年)
イーゴリ・グラーバリによる『外套』の表紙(1890年代)
『鼻』も読み終えた。鼻が盗まれるという奇想天外な話を巧みに描いた作品。鼻を盗まれた主人公コワリョフが「アカーキイ・アカーキエヴィッチ」と違ってえばり腐った男なので余り同情心はわかなかった。むしろ、感心したのは『外套』同様に平井肇(1896‐1946)の生き生きとした訳文。戦後まもなく満州のハルビンで50歳やそこらで亡くなったようだが(それでも42歳で死んだゴーゴリよりは長く生きた)、これだけの訳ができる人はどういう人物だったのかと、そんな関心まで持った。ともかく、平井訳を中心に、小生のゴーゴリ・ブームはしばらく続きそうである。青年時代に天才ゴーゴリを知っていたら、とっくに作家になろうなんて考えは捨ててかかっていただろう。少なくとも彼と同じ分野、小説は、とても彼のようには書けないので一番あきらめが早かったと思う。残念ながら高校生のときだったか、教科書で芥川龍之介(1892‐1927)の『鼻』を愛読して、自意識過剰のこういう話ならば、もしかして自分にも、と思ってしまったのが運の尽きだったかな。それにしても、芥川はゴーゴリを読んだことがあったのかしらとも想像してみる。なんでも、芥川の『芋粥』の導入部は、ゴーゴリの『外套』に酷似しているのだとか。『芋粥』は、昔、慥か読んだことがあると思うが、どんな話だったかも忘れてしまった。