Discover the 「風雅のブリキ缶」 written by tonkyu

科学と文芸を融合した仮説作品「風雅のブリキ缶」姉妹篇。街で撮った写真と俳句の取り合わせ。やさしい作品サンプルも追加。

熱帯魚と影の私

2006年07月29日 17時12分00秒 | 「ハイク缶」 with Photo
 水槽にデジカメを向けて沖縄からの客を撮る。
 結果を見ると、カメラを構える自分の影や街影が写っている。

 吾影を沖縄の海に見出し  頓休
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ソニーの水族館「Sony Aquarium 2006」

2006年07月29日 17時06分33秒 | 「ハイク缶」 with Photo
 日比谷通りの交差点を渡って、有楽町から銀座へ出る途中のソニービルのウインドウに何やら人だかり。余程珍しいものでもあるのかと近づいて行く。
 7月21日から8月31日までの期間限定の水族館だそうだ。沖縄の海から1200尾の色とりどりの魚を招聘したとか。

 夏の空沖縄の魚銀座の店(たな)  頓休
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日比谷公園、鶴と亀

2006年07月29日 16時58分39秒 | 「ハイク缶」 with Photo
 26日の水曜日は、梅雨明けを実感させる暑い日だった。
 木陰がありがたい日比谷公園を通り抜けるとき、鶴の噴水がある池でしばし小休止。
 池の亀たちもさすがに暑いのか、ほとんどが遊泳中だった。こんな日は、亀になって池の水を潜っていたいものだ。

 暑さかな亀になっても池潜る  頓休
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中岡慎太郎作「マイファミリードリーマー」1998

2006年07月22日 18時23分19秒 | Journal
 大田区役所の玄関外にあるオブジェ。
 雨に濡れたところが、いつもより風情がある。
 足元の作品名「マイファミリードリーマー」を見て、なんとなく作品の意図が読めた。黙っているオブジェにはタイトルが有効に働く也。
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大田区役所内の吹き抜け空間

2006年07月22日 18時18分42秒 | Journal
 1ヶ月半に一度くらい、ここ大田区役所を訪ね、7階までエレベーターで昇るから、今までもこのロビーホールの上にある吹き抜け空間の意匠は目にしていたのだろうが、注目することはなかった。大体、建築家や芸術家が意図するほどには、こうした空間造形に通行人は無頓着なものだ。しかし、写真を撮ろうとカメラを向けて、初めて、これはけっこう楽しいたくらみなのだと思った。
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ひっそりと咲くが似合いの梅雨の花  頓休

2006年07月22日 15時28分21秒 | 「ハイク缶」 with Photo
 各地に被害を出した土砂降りの雨が続いている。
 今年の夏は水不足の心配がないなどと呑気に言っていられないニュースが飛び込んでくる。
 庭に、梅雨の花が咲いていた。

 ひっそりと咲くが似合いの梅雨の花  頓休
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ホテルニューオータニの日本庭園

2006年07月19日 22時09分35秒 | Journal
 夕方、取材でいた赤坂のホテルニューオータニの会場から日本庭園をガラス窓越しに撮る。けっこう大きな滝があるのが印象的。これを見ながら江戸の昔はどうだったろうかと想像していたら、コンパニオンが寄ってきて、滝に一羽の鳥が止まっていると教えてくれた。慥かに、大柄なひょうきんなのが一羽。残念ながら、写真には撮れていないようだ。
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東京理科大学創立125周年と坊っちゃん

2006年07月15日 15時21分21秒 | Journal
 桃花流水と別れ、ふと見ると、東京理科大学が創立125周年とある。坊っちゃんが「前を通りかかったら生徒募集の広告が出ていたから、何も縁だと思って規則書をもらってすぐ入学の手続きをしてしまった。今考えるとこれも親譲りの無鉄砲から起った失策だ」とある物理学校の後身だ。しかし、作中に「入学は…失策だ」と言っているのに、おかしなもので、同校のHPを見ると、坊っちゃんが人気投票の結果、イメージキャラクターになったという。作品の表現内容など度外視しているところが、おもしろい。

COMMENT:同校のHPにある沿革によれば、明治14年、東京理科大学の前身「東京物理学講習所」が創設され、2年後には東京物理学校と改称した。東京大学は明治10年に発足しており、理学部での物理学はフランス人教師がフランス語で講義していたので、仏語物理学科と称し、3年間程続いた。その1回生から3回生までの卒業者19名の青年理学士とほか2名が、「理学の普及」を目指し、物理学校を創設し、維持同盟を結んだ(後に維持員先生と呼ぶ)。
 当時は自由民権運動が華やかで、政経法科が盛んな風潮の中で、維持員たちは「国の繁栄は科学技術が基礎」との信念を持っていた。この物理学校の“理学普及運動”は、当時の東大教授たちの共感を呼び、菊池大麓(数学)、山川健次郎(物理)、田中館愛橘(物理)、長岡半太郎(物理)、桜井錠二(化学)ら、後に東大総長や理化学研究所幹部になる人たちが応援した。かくして明治30年に京都帝大が創立され、そこに理工科大学(理工学部)が設置されるまで、明治期に自然科学の教育を施したのは東大と物理学校だけだった。
 維持員先生の中から寺尾寿が初代の校長になるが、同時に東大理科大学(理学部)付属天文台の初代の台長でもあった。また二代目校長の中村精男も長らく中央気象台長だった。国の機関に職を持ちながら、私立学校の長にもなれた面白い時代である。三代目校長中村恭平は夏目漱石と懇意で、『わが輩は猫である』のモデルともいわれ、また『坊ちゃん』が物理学校出であるのもその関係と思われるとか。
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夏の幻、田安門の武士

2006年07月15日 11時03分46秒 | 「ハイク缶」 with Photo
 薄い日陰でも探して歩きたい猛暑。濠端を九段下方面へとことこ下って、田安門の前に。
 門を入れば、今は日本武道館だ。こうした暑い夏に、袴(はかま)の侍が門をくぐってたったと歩いてきそうな幻影を見た。

 夏の門袴の皺(しわ)を直す武士  頓休

COMMENT:Wikipediaによれば、この門の由来になった田安徳川家(たやすとくがわけ)は、徳川氏の一支系で、御三卿のひとつ。単に田安家とも言う。江戸幕府8代将軍吉宗の次男宗武を家祖とし、徳川将軍家に後継ぎがないときは他の御三卿とともに後嗣を出す資格を有する。家格は徳川御三家に次ぎ、所領は10万石。家名の由来となった屋敷、田安邸は江戸城田安門内で清水邸の西、現在の北の丸公園・日本武道館付近にあり、同地が田安明神(現・築土神社)の旧地であったことからこの名が付けられた。現在でも築土神社の境内には田安稲荷と呼ばれる末社がある。
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千鳥が淵の桃花流水像、夏

2006年07月15日 10時51分03秒 | 「ハイク缶」 with Photo
 靖国神社の喧騒を外れて、千鳥が淵は静かだった。
 あらためて、熊谷喜美子作の「桃花流水」像を眺める。好い作品だ。
 濠にそってこの小路を行けば、戦没者墓苑がある。先ほどの靖国神社のかっぽれの一団が立ち止まっていた前に、戦没者墓苑などではダメだと署名を募るコーナーがあったが、いかがなものか。美しい女像に導かれ、この深い緑の奥に祀ったほうが、桃源郷の思いに英霊の魂も鎮まるのではないか。

 夏の淵千鳥先立つ霊祭り  頓休
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