妻の北京にあるマンションを売却する契約に、夫も同行する必要があるとかで、APEC後で北京の空が一番奇麗になったところで出かけた。数か月前に買い手が決まったが、妻の現行のパスポートがアイデンティティーとしてそのまま使えないなど、困った問題が生じて、結局、今回は妻が何冊かすべてのパスポートを持参して、やっと本人確認ができた次第。
不動産バブルがはじけたとはいえ、北京のマンション価格は半端ではなく、日本の東京近郊の感覚だと、せいぜい2,200万円程度の中古物件が4,000万円以上になる印象。3泊4日の北京滞在は、ほとんどこの不動産の登記手続きや契約交渉に忙殺され、ビジネス街にあるホテル(北京港澳中心瑞士酒店、Swissotel Beijing)と朝陽区の登記所や不動産の事務所それにマンションをタクシーで往復しているだけだった。以下は、その間にiPhoneで撮った無差別な写真(最初のホテル9階窓から撮った一眼レフ1枚以外)。最後から3番目の写真は、香港系のディベロッパーが建てた売却のマンション。買い手は、20歳代後半の外務省勤務とかLondon school of Economicsに留学したとか、エリートなカップルだった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/6d/77/2d0cfef4cc3899a60a00832373d9fa2a_s.jpg)
なお、朝陽路を走っていて人民日報の建物を見かけた。名をはせた党機関紙系の新聞社だが、今やどれだけの北京市民が読んでいるのやら。本屋で、韓国大統領の朴槿恵さんの自伝が平積みされていた。わが安倍首相の顔は見かけなかった。日本に帰る日、北京の飛行場で昼飯を食べているときに、スマホを見ていた妻から高倉健が死んだことを知らされる。札幌での学生時代に、ホテルのロビーでこの健さんが向こうから歩いてくるのに遭遇して、健さんは小生を知り合いの誰某(だれそれ)かとふと思ったのか、数メートル先に立ち止まって、小生の顔をあの鋭い眼光に見詰めて、例の頭をこっくり下げるぶっきらぼうなあいさつを一瞬しかけた。小生も「おや」という顔つきで見返し、どこかで良く見知っている顔だと感じた。35年も前の話だ。中国では『君よ憤怒の河を渉れ』(中国名『追捕』)が文革後にはじめて上映された外国映画だったとかで、高倉健が演じた東京地検検事「杜丘冬人」の一匹オオカミ的な印象は、中野良子さんの馬を乗りまわすお転婆(てんば)なお嬢さん像とともに中国人民に強烈だったようで、いまだに高倉は「トキュウ」で通っている。ちなみに、健さんと同じ誕生日の小生のペンネームは「トンキュウ(頓休)」である。残念ながら、日本でも中国でもいまだ無名である。
不動産バブルがはじけたとはいえ、北京のマンション価格は半端ではなく、日本の東京近郊の感覚だと、せいぜい2,200万円程度の中古物件が4,000万円以上になる印象。3泊4日の北京滞在は、ほとんどこの不動産の登記手続きや契約交渉に忙殺され、ビジネス街にあるホテル(北京港澳中心瑞士酒店、Swissotel Beijing)と朝陽区の登記所や不動産の事務所それにマンションをタクシーで往復しているだけだった。以下は、その間にiPhoneで撮った無差別な写真(最初のホテル9階窓から撮った一眼レフ1枚以外)。最後から3番目の写真は、香港系のディベロッパーが建てた売却のマンション。買い手は、20歳代後半の外務省勤務とかLondon school of Economicsに留学したとか、エリートなカップルだった。
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なお、朝陽路を走っていて人民日報の建物を見かけた。名をはせた党機関紙系の新聞社だが、今やどれだけの北京市民が読んでいるのやら。本屋で、韓国大統領の朴槿恵さんの自伝が平積みされていた。わが安倍首相の顔は見かけなかった。日本に帰る日、北京の飛行場で昼飯を食べているときに、スマホを見ていた妻から高倉健が死んだことを知らされる。札幌での学生時代に、ホテルのロビーでこの健さんが向こうから歩いてくるのに遭遇して、健さんは小生を知り合いの誰某(だれそれ)かとふと思ったのか、数メートル先に立ち止まって、小生の顔をあの鋭い眼光に見詰めて、例の頭をこっくり下げるぶっきらぼうなあいさつを一瞬しかけた。小生も「おや」という顔つきで見返し、どこかで良く見知っている顔だと感じた。35年も前の話だ。中国では『君よ憤怒の河を渉れ』(中国名『追捕』)が文革後にはじめて上映された外国映画だったとかで、高倉健が演じた東京地検検事「杜丘冬人」の一匹オオカミ的な印象は、中野良子さんの馬を乗りまわすお転婆(てんば)なお嬢さん像とともに中国人民に強烈だったようで、いまだに高倉は「トキュウ」で通っている。ちなみに、健さんと同じ誕生日の小生のペンネームは「トンキュウ(頓休)」である。残念ながら、日本でも中国でもいまだ無名である。