Discover the 「風雅のブリキ缶」 written by tonkyu

科学と文芸を融合した仮説作品「風雅のブリキ缶」姉妹篇。街で撮った写真と俳句の取り合わせ。やさしい作品サンプルも追加。

ユニセフの牛乳缶、いわゆる脱脂粉乳を入れたドラム缶の思い出

2014年11月29日 15時25分31秒 | Journal
 昨日、霞が関ビルに入ったら1階のロビーに写真パネルが並べてあった。ユニセフが食糧事情の悪い戦後日本でドラム缶ほどの大きさの牛乳缶(脱脂粉乳、Non Fat Dry Milkを詰めたドラム缶)を子供たちに届けたエピソードを扱ったものらしい。写真を眺めていて、子供たちのゲラゲラ笑いにつられて思わず笑ってしまった。小生が懐かしむには慥かに生まれる前の時代だが、かといってまったく物覚えのない時代の雰囲気でもない。給食時、ありがた迷惑な顔つきに洗濯ばさみで鼻をつまみながら脱脂粉乳をごくりと飲んだ口である。

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北京の不動産と健さん

2014年11月23日 20時12分09秒 | Journal
 妻の北京にあるマンションを売却する契約に、夫も同行する必要があるとかで、APEC後で北京の空が一番奇麗になったところで出かけた。数か月前に買い手が決まったが、妻の現行のパスポートがアイデンティティーとしてそのまま使えないなど、困った問題が生じて、結局、今回は妻が何冊かすべてのパスポートを持参して、やっと本人確認ができた次第。
 不動産バブルがはじけたとはいえ、北京のマンション価格は半端ではなく、日本の東京近郊の感覚だと、せいぜい2,200万円程度の中古物件が4,000万円以上になる印象。3泊4日の北京滞在は、ほとんどこの不動産の登記手続きや契約交渉に忙殺され、ビジネス街にあるホテル(北京港澳中心瑞士酒店、Swissotel Beijing)と朝陽区の登記所や不動産の事務所それにマンションをタクシーで往復しているだけだった。以下は、その間にiPhoneで撮った無差別な写真(最初のホテル9階窓から撮った一眼レフ1枚以外)。最後から3番目の写真は、香港系のディベロッパーが建てた売却のマンション。買い手は、20歳代後半の外務省勤務とかLondon school of Economicsに留学したとか、エリートなカップルだった。



 なお、朝陽路を走っていて人民日報の建物を見かけた。名をはせた党機関紙系の新聞社だが、今やどれだけの北京市民が読んでいるのやら。本屋で、韓国大統領の朴槿恵さんの自伝が平積みされていた。わが安倍首相の顔は見かけなかった。日本に帰る日、北京の飛行場で昼飯を食べているときに、スマホを見ていた妻から高倉健が死んだことを知らされる。札幌での学生時代に、ホテルのロビーでこの健さんが向こうから歩いてくるのに遭遇して、健さんは小生を知り合いの誰某(だれそれ)かとふと思ったのか、数メートル先に立ち止まって、小生の顔をあの鋭い眼光に見詰めて、例の頭をこっくり下げるぶっきらぼうなあいさつを一瞬しかけた。小生も「おや」という顔つきで見返し、どこかで良く見知っている顔だと感じた。35年も前の話だ。中国では『君よ憤怒の河を渉れ』(中国名『追捕』)が文革後にはじめて上映された外国映画だったとかで、高倉健が演じた東京地検検事「杜丘冬人」の一匹オオカミ的な印象は、中野良子さんの馬を乗りまわすお転婆(てんば)なお嬢さん像とともに中国人民に強烈だったようで、いまだに高倉は「トキュウ」で通っている。ちなみに、健さんと同じ誕生日の小生のペンネームは「トンキュウ(頓休)」である。残念ながら、日本でも中国でもいまだ無名である。
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