講習会の取材の仕事で、千駄ヶ谷駅を降り立ち、将棋会館の隣にある健保施設へ行く途中に、鳩森八幡神社というのがあった。境内へ入ると、さすがに将棋会館の最寄神社だけに「将棋堂」なる変なお堂もあったが、小生は、新品で立派な能楽堂の脇にある「千駄ヶ谷の富士塚」に注目した。
寛政元年(1789年)の築造とある。その頃の江戸庶民の富士信仰の高揚ぶりをうかがわせる史跡で、東京都の指定有形民族文化財になっている。
円墳形に土を盛り、富士山の溶岩を頂上近くに、山腹には丸石や洞穴を配し、土が露出した山肌には熊笹が植えられている。頂上には奥宮、山裾には里宮がある。
作品では、第三巻に大山信仰を取り上げているが、これは神仏習合のニッポン的な信仰の現われだ。それはまた第二巻の太子信仰に連なり、第一巻の「箱庭」にも通じる。
太子が学び、空海が学んだ『法華経』には、釈迦は入滅後も、永遠に「霊鷲山(りょうじゅせん)」にとどまって、説法を続けるから安心して仏法を学びなさいとある。そして、釈迦の分骨を集合した巨大な塔、虚空に浮いたその塔めがけて、大地から湧き出た幾千万億の求法者がとびかかっていく壮烈なフィクションが描かれている。
写真の鳥居の向こうに広がる小世界は、ニッポンの山岳信仰と合い混ざって、そうした仏教的希求を映している。
寛政元年(1789年)の築造とある。その頃の江戸庶民の富士信仰の高揚ぶりをうかがわせる史跡で、東京都の指定有形民族文化財になっている。
円墳形に土を盛り、富士山の溶岩を頂上近くに、山腹には丸石や洞穴を配し、土が露出した山肌には熊笹が植えられている。頂上には奥宮、山裾には里宮がある。
作品では、第三巻に大山信仰を取り上げているが、これは神仏習合のニッポン的な信仰の現われだ。それはまた第二巻の太子信仰に連なり、第一巻の「箱庭」にも通じる。
太子が学び、空海が学んだ『法華経』には、釈迦は入滅後も、永遠に「霊鷲山(りょうじゅせん)」にとどまって、説法を続けるから安心して仏法を学びなさいとある。そして、釈迦の分骨を集合した巨大な塔、虚空に浮いたその塔めがけて、大地から湧き出た幾千万億の求法者がとびかかっていく壮烈なフィクションが描かれている。
写真の鳥居の向こうに広がる小世界は、ニッポンの山岳信仰と合い混ざって、そうした仏教的希求を映している。