Discover the 「風雅のブリキ缶」 written by tonkyu

科学と文芸を融合した仮説作品「風雅のブリキ缶」姉妹篇。街で撮った写真と俳句の取り合わせ。やさしい作品サンプルも追加。

千駄ヶ谷の富士塚

2005年07月29日 20時15分17秒 | note 「風雅のブリキ缶」
 講習会の取材の仕事で、千駄ヶ谷駅を降り立ち、将棋会館の隣にある健保施設へ行く途中に、鳩森八幡神社というのがあった。境内へ入ると、さすがに将棋会館の最寄神社だけに「将棋堂」なる変なお堂もあったが、小生は、新品で立派な能楽堂の脇にある「千駄ヶ谷の富士塚」に注目した。
 寛政元年(1789年)の築造とある。その頃の江戸庶民の富士信仰の高揚ぶりをうかがわせる史跡で、東京都の指定有形民族文化財になっている。
 円墳形に土を盛り、富士山の溶岩を頂上近くに、山腹には丸石や洞穴を配し、土が露出した山肌には熊笹が植えられている。頂上には奥宮、山裾には里宮がある。
 作品では、第三巻に大山信仰を取り上げているが、これは神仏習合のニッポン的な信仰の現われだ。それはまた第二巻の太子信仰に連なり、第一巻の「箱庭」にも通じる。
 太子が学び、空海が学んだ『法華経』には、釈迦は入滅後も、永遠に「霊鷲山(りょうじゅせん)」にとどまって、説法を続けるから安心して仏法を学びなさいとある。そして、釈迦の分骨を集合した巨大な塔、虚空に浮いたその塔めがけて、大地から湧き出た幾千万億の求法者がとびかかっていく壮烈なフィクションが描かれている。
 写真の鳥居の向こうに広がる小世界は、ニッポンの山岳信仰と合い混ざって、そうした仏教的希求を映している。
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公園の噴水で水浴びする雀

2005年07月28日 20時35分59秒 | 「ハイク缶」 with Photo
 今日のランチタイム、坂本町公園の噴水に猫は現れなかった。代わって、本命の雀が水浴びに来てくれた。何日か、昼飯もそこそこに、カメラを持参して噴水前のベンチに陣取っていたのは、あの日向ぼっこの茶猫を待っていたからではない。この雀たちの可愛い水浴びを目撃して以来、ぜひ撮ってやろうと思ったからだ。暑かった今日は、それが成功した。

 暑がる雀の水浴び光散る
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中野、桃園、病院前のどぶ川のほとりに過ごした幼年期

2005年07月27日 21時30分13秒 | 「ハイク缶」 with Photo
 まさに台風一過の上天気、空は汚れをふき取って青い。
 私、生まれは三軒茶屋の産婆の産湯に浸かった口だが、それから4歳ぐらいまで中野で過ごした。中野駅南口を出て、北口の再開発からすっかり取り残されたような商店街を抜け、中野郵便局がある角を左に曲がると、右手の奥に古臭い病院が見えてくる。私の幼かった記憶に、その病院は欠かせない。
 道路に面した保険会社の支部の2階で育った私は、毎日、母親のお古のハンドバックにわけの分からないお宝を詰め込み、支部の裏手の桃園川にかかった小橋を渡って(ちょうど写真のオジサン二人がいる先辺りか)、病院通いをしていたからだ。そこの待合室で、患者さんや看護婦を前に元気良く何かの唄を歌ったり、まわらぬ口で得意になって演説をぶっていたらしい。かつて台風で氾濫して床上浸水までした川は遊歩道に様変わりし、病院の前はちっぽけな公園になっていた。
 その私の幼少期の住処(すみか)から6、7分歩くと、桃園第三小学校がある。私自身は通う年齢までそこに住んでいなかったが、兄たちが通った小学校だ。よく兄にくっついて遊びに行った。その小学校も家の前の道路も、何もかも小さく縮んで見えたが、不思議と、病院だけは、あの頃と同じように古色蒼然とあるような錯覚がした。聞くと、当時は2階建てだったという。

 風去りぬ幼き日へと抜ける空
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浅草橋5丁目のぼろや

2005年07月25日 20時26分51秒 | 「ハイク缶」 with Photo
 午後、仕事で浅草橋へ行く。地名通り、浅草のそばだ。都営でならば、浅草橋の次が蔵前、そして浅草。取材が終わって、路地へ入ると、写真のぼろやが目を惹いた。見事なぼろやだ。風雅のぼろやだ。自転車に乗った妙齢の外人?女性も、つい視線を送るほど素晴らしいぼろやだ。
 その日、帰宅時に、中央林間駅から出てくると、台風の影響らしい激しい驟雨に出合い、携帯の折りたたみ傘では太刀打ちできず、途中、雨宿りに小奇麗なマンションの玄関の庇(ひさし)を借りる。数日前、新宿の伊勢丹で買った茶色の靴は、洒落ているが、靴底が薄く足裏が疲れる上、防水・撥水ではない。記者みたいな稼業は、いくらでも歩ける丈夫で足にやさしい靴が良い。それをぼろぼろになるまで穿(は)き込むのだ。写真の家のように。

 浅草にぼろや見つけて夕立かな

 驟雨よ疲れた足を濡らさんか
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グランベリーモールのワンちゃんたち(犬のいる生活)と漱石の句

2005年07月23日 15時10分37秒 | Journal
 半ドンの土曜出勤後、いつものようにカレー(マトン入りの今日のお勧め)を喰ってから、水天宮前から中央林間行きの急行に乗ると、南町田に臨時停車しますとのアナウンスがある。一度もそこのグランベリーモールへ行ったことがなかったので、途中下車して寄ることに。ここの駅前には、数年前まで東工大のグラウンドがあって、ゴルフの練習場へ行く途中、茫々たる野原でラグビーの練習を見かけた場所だ。東工大は土地を売却したのかしら。
 モールを歩いていると、やたら犬連れの客が多い。中に、JOKERなる犬猫ショップがあって、そこを目当てに車で来場した客だろうと知れる。その店の前で6匹ものワンちゃんを連れた客を見かけた。お揃いの衣装をまとった可愛いワンちゃんばかりだが、どうも違和感がある。後で考えてみると、何年か先、これらのワンちゃんが一斉に目ヤニをつけた老犬になったら、そのとき飼い主はどうするつもりだろう、そんな危惧が働いたからだ。多分、金を払って施設で安楽死的な処分を下すのではないか。笑顔に記念写真など撮らせて、今は絶好調で幸福そうなワンちゃんたちと飼い主の行く末を思うと、ファッショナブルで華やかな犬のいる暮らしにも暗澹たるものがある。
 昔、家にクロという雑種のメス犬がいた。クロは、段々に弱って、ある気持ちよく晴れ上がった朝、庭の畑によろよろ立ち上がって、通勤に出かける小生を見送ってくれた。なんだかニサニサと笑いかけていた。それが今生のお別れだった。夜、帰宅すると、物置の茣蓙の上に一輪の花と一緒に寝かされていた。犬だって、そうした成仏をしたいだろう。コンクリートの上で物のように殺されるのは気の毒だ。

追記(10月22日):夏目漱石の句(大正3年)に、「わが犬のために」として、こんなのがある。

 秋風の聞えぬ土に埋めてやりぬ
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草の中に半分隠れた猫

2005年07月22日 06時25分55秒 | 「ハイク缶」 with Photo
 草の中に身体半分日陰、半分日当たりの猫の証拠写真なり。暑苦しい砂利広場の向こうのベンチには、太陽いっぱいの日射しをものともせず近くのコンビニで買った弁当を食べるおねえさん。

 夏の空身半分焼くか草の猫
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炎暑に、うつむく石像と日陰に隠れた猫

2005年07月21日 21時04分09秒 | 「ハイク缶」 with Photo
 お昼どきの公園(日本橋の坂本町公園)、怪しげな足取りで悲しげに肩を落とす石像に近づく猫一匹。ベンチに座って眺めていると、その後、猫は、石像の背後にまわって、日陰を求めて写真前面の茂みにもぐりこんでしまった。この茶猫、いつも身体半分出して草の中に埋もれている。もっと涼しい木陰はいくらでもあるのに。

 Comment:坂本町公園は、1889年(明治22年)に、市街地小公園の先駆けとして開園した。開園当時は、樹木が鬱蒼として、風雅な涼亭を備えた和風庭園だったらしいが、関東大震災によって全焼。その後、復興事業によって、小学校と公園を一体化、児童コーナーを設けた洋風公園に変身。されど、太平洋戦争で再び焼失。今は、銀杏の木に囲まれた真ん中に砂利を敷き詰めた空間が無用に広がる不細工な公園なり。被災の時、避難民の収容施設が建ったりしたから、多分、現在もいざというときのそうした避難場所的用途を見越して、風雅の趣なく、空き地風にしてあるのだろう。それでも、昼どきには、ベンチに腰掛けて、しばし休憩を取るビジネスマン・ウーマンが多い。こうした人々も、ある意味、ストレスからの被災者なり。公園は、小学校と日本橋消防署に挟まれてあり、最寄は茅場町駅、永代通りを渡れば、兜町がある。
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隅田川テラスから見た高層マンション群

2005年07月14日 06時48分44秒 | Journal
 先に、「大村益次郎の視線の先」にあるとして、グロテスクと称した高層マンション群だが、写真の風景を、あるいは綺麗と感じる人もいるだろう。小生も悪くはないと思う。ただ、これは江戸とは違う新景観だ。また、地震、特に長周期波の地震動に長く揺れて、本当にエレベーターなどは稼動するのだろうか。居住している金持ち諸氏にはすまないが、安全性に疑いは残る。
 写真を撮った地点は中央大橋と永代橋の中間で、新川側(都心寄り)。中央大橋が見える。
 夜9時台の2時間サスペンスドラマなどで俳優が隅田川を背景に映るのは、どちらかと言えば、対岸のテラスの方が多いらしいが、大抵、この近辺だ。小生は、仕事に頭も煮詰まったときは、ここをときどき歩くが、何度か、撮影シーンも見学した。都内では、ここと日比谷公園の噴水前がドラマ撮影現場のメッカである。やはり、ある程度、バックの景色に空間的な広がりがないと映像として見栄えがしないのであろう。それにしても、俳優とは、我慢強くないと勤まらない商売だ。待機の時間が長く、暑くても寒くても、細切れにシーンを撮っていく様子は、視聴者としてぼんやり見ている分には分からない。
 それにしても、犬をつれたのんきな老婆、赤ん坊を自転車の籠に入れたサイクリング姿の若い主婦…、こうした取り合わせの偶然的な談話のシーンは、映画にもテレビにも載らない普通さの魅力を持つ。
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青森ねぶた4(棟方志功作)

2005年07月09日 09時10分58秒 | 「ハイク缶」 with Photo
 カラフルで賑やかなねぶたの中に、一台だけシックなのがあった。青森市の鍛冶職人の息子、棟方志功の版画を並べたものだ。あの「わだばゴッホになる」の棟方である。彼が、ねぶたを踊っている姿をテレビで見た記憶がある。たしか、あんな風に激しく上下動するケンケンの跳ね踊りはやってなかったと思う。手と足の使い方にアクセントというか特色があり、腰を沈めたもっと正調風に味のある踊り方であったのでは。人気はないようだが、実際にそうした踊り方をしている人(グループ)も一部見かけた。ただの発散型の運動よりも、やはり踊りらしい方が、観客にはありがたい。
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青森ねぶた3(三位一体の躍動感)

2005年07月09日 09時09分33秒 | 「ハイク缶」 with Photo
 人形の燈篭「ねぶた」と、太鼓や笛が奏でる「ねぶたばやし」、そして浴衣や花笠に身を包んで踊り跳ねる踊り手「跳ね人」。これらの三位一体が祭りの躍動感を形成するとか。跳ね人は、「ラッセー、ラッセー」と掛け声を出し、片足ケンケンのように激しく運動する。まったくの夏の夜の運動会である。
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