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Discover the 「風雅のブリキ缶」 written by tonkyu

科学と文芸を融合した仮説作品「風雅のブリキ缶」姉妹篇。街で撮った写真と俳句の取り合わせ。やさしい作品サンプルも追加。

北京雑感2017夏

2017年08月26日 19時09分26秒 | Journal
 昨日から北京に来ている。毎夏、妻の出身地である北京に来るのは恒例のこと。今回は9月5日まで10日ほどの滞在になる。今年も来てみて、少し印象を新たにした点がある。北京が落ち着いてきたと感じたからだ。王府井のような繁華街でも、昨年まで目立って見かけた公安(警察)の姿が明らかに減っているし、規制も大きく緩和されている。何らかの意図から厳戒体制は解かれたようだ。政官界で腐敗の追放が激化しているのに、市井(しせい)の様子は見るからに平和になっているのだ。(写真の掲載は、北京へ持参したパソコンをこちらへ来る前に不具合で初期化した関係か、iphoneからパソコンへの写真のインストールができなくなっているので、後回しにする。)
 泊まっているホテルは、王府井(ワンフージン)に近い金宝街(ジンパオジエ)の、ポルトガル系の5星ホテル、励駿酒店(Legendale Hotel)。地下鉄5号線の灯市口駅からも近く、ここを乗り降りするとき、前から気になっていたヨーロッパ宮殿風な建物のホテルだ。外装内装そして部屋も豪華なヨーロッパ・スタイルだが(数年前に北京で一番豪華なホテルに選ばれたそうである)、どこか本物とは違う、まがい物を薄々感じさせるところがかえって中国らしい。内部は巨大な吹き抜け構造で、その周囲に客室がぐるっと配されている。客室部屋の天井が3メートル半はあるかと高く、それだけでも日本の天井が低いホテルに泊まったときの閉塞感がなく、今回のような長期滞在には適している気がする。飾ってある絵画などはほとんどまがい物、余計なサービスもないが、ベーシックなホテルサービスができており、さすがに5つ星といったところ。17階の15階に泊まった。なお、地下鉄も便利だが、地下鉄だと何度も乗り換えて億劫になることもある。その点、バスは便利で、滞在の最後の方になって、妻が西城区のお母さんの老人施設に行くのに、111号というバスに乗れば、ほぼドアツードアで、2元で行けることに気が付いた。地下鉄ならば3元、タクシーならば20元になる。バスの路線は多すぎてどれに乗ったらいいのかなかなか分からないが、利用できるようになれば北京での移動は非常に楽になるし、安上がりになる。



















 あと、北京の街を歩いていてすぐ気が付くのは、自転車のシェアがかなり普及して利用者も多いことだ。一般の個人所有の自転車よりもはるかに多くなっている。多分、シェアバイクが街で見かける自転車の95%以上を占めているのではないか。旅行者も利用するが、一般市民もほとんどがシェアバイクの日常的な利用者になっている。昔から北京の街は、自転車道が整備されているから、東京などとは違い、こうしたシェアバイクを普及させるとなれば、あっという間にできるのだろう。自転車泥棒は問題になっていないのか、とも思うが、たぶん問題ないのであろう。(CHINA DAILYによると、現在、中国では61.7 millionのバイク・シェア・ユーザーがおり、この数は昨年から倍増しているという。2021年には、198 millionまで増えると予測する。北京の街で一番多く見かけるのは黄色いofo社(2015年、北京で設立)の車体とその競争相手の橙色のMobike社のもの。それに、青いbluegogoというのも比較的見かける。Wang Bingという研究者は「Bike sharing, as well as many other new industries and business models, is a combination of IPs itself.」と指摘しているが、シェアバイクには、GPSのチップが装着してあり、そのことで駐車管理がスムーズにできるのだとか。)料金は、コインではなくて、かざした携帯カメラで車体のQRコードを読み取り、アリペイ(後述)によって支払うようだ。シェアの自転車であれば、もう個人所有者的に自転車泥棒を心配する必要もないわけだ。北京市の公共自転車置き場なども見かけるが、もはや誰も使っていない。民間ベースのサービスが、数年のスパンで、ここまで一気に過剰に拡大するのも中国の今ということだろう。考えてみると、中国は一度は、共産主義(究極的なシェアの社会経済体制)を信奉した国であり、「シェア」の精神が社会に馴染まないはずはない。文化大革命は、個人の精神まで「シェア」しようという行き過ぎだった。一方、日本は、その点、本当のところどうなのだろうか? 国民性の律義さやまじめさを強調して、日本人贔屓(びいき)に考えることもできるだろうが、果たして、今の日本社会がシェアに向いているのか、もう少し考えてみたい。









 なお、北京では、タクシーを呼ぶのも携帯サイトだし(そのために、路上でタクシーを拾うのは一苦労だ)、王府井のレストランなどでは、支払いも、やはり、携帯を店のQRコードにかざして行うアリペイ(ALIPAY、支寸宝)という支払システムが普及しており、今では現金で支払う客の方がずっと少ない。どうも、ITを利用しないと不自由で暮らしにくくなっているのは、中国は日本以上だ。(なお、CHINA DAILYによれば、中国のthird-party mobile payment sectorにおけるALIPAYのマーケットシェアは53.7%、Tencent(騰訊)Financeが39.51%だそうだ。)
 ITの利用もあるだろうが、習政権の前に中国社会の一大テーマだった「和諧」が大分根付いてきたのかもしれない。そんな感想を抱いて街を走るタクシーの窓から外を眺めていると、妻から意外な話を聞かされた。現政権下で、農民工や北飄(ホクヒョウ)といって北京にという大都市にチャンスを求めて漂う人々を市外に追い出す政策が進行しており、そのために、かつては多かった農民工などのタクシードライバーは少なくなり、かつて余り見かけなかった市内出身のドライバーが相対的に増えている、とのこと。そういえば、市内はタクシーで走っていてもかつてのような街中に人間がうじゃうじゃいる感が影をひそめ、やや閑散としている。その分、すっきりしている。落ち着いて見えるのだ。
 タクシードライバーの中に、乗っている30分のあいだ、日本の安倍首相について喋りまくった人が居た。彼いわく、日本は経済発展もして十分豊かな国になったのに、なぜ、軍国主義をまた求めるのか。警察(自衛隊)で十分ではないか。軍隊など持つ必要はない(これは中国政府の主張でもあろう)。また、運転をしながら8歳の娘とスマホでWeChat会話して、旧暦の七夕に花を一輪持って帰宅し母親を喜ばしてくれないかと娘に提案されて、父親は有頂天になってさっそくアリペイに177元を振り込んで、娘に577元でないと足りないと言われてしまう親バカ丸出しのドライバーも居た。この頭の禿げあがったドライバーが177元や577元を稼ぎ出すためにどれだけ北京の街をクレイジーに走り廻らなければならないのか、釣りはいらないと20元を支払って車を後にしてから考えてしまった。

 妻が帯状疱疹の後遺症で耳の奥が痛むのを治すために鍼灸の医者にかかった。その分野で中国でも一級の医師にかかるために、今日(29日)は朝の6時に起きて、朝食をすますと、7時にはタクシーで北京中心街にあるホテルを出て北京郊外を南へ1時間ほど走って大興区の清源路にある病院まで来た。そのまだ若々しい名医は、太極拳の名人みたいな身のこなしで患者の間を軽やかに回診してまわって、トンボのように患者の訴え顔を3秒ほどじっと見詰めては治療に当たる。針が何本も歯ブラシのようについた先に100円ライターで火をつけて、患者の患部に軽く叩くように当てる。手足にもへその周囲にも何か所も針を刺して一部には電流を通す。それからヨーグルトの瓶のお古のようなのに炎を焚(た)いて患部に当てる。当てた瓶は中が煙(けむ)って真空にでもなったのか患部に貼りついて外れない。(医師は、帯状疱疹の治療をこの方法で確立し、博士号を取得している。)妻は、顔の左半分に3つの瓶をぶら下げて約20分寝かされていた。その跡が丸く紫色に色が濃くつけば毒がたくさん吸い上げられたことになる。余り跡がつかなければ毒がなかったことになる。鍼灸の世界でも、本場中国では毒を吸い上げることまでするのである。妻の隣に寝そべった女性患者は、同じ帯状疱疹が太ももから尻にかけて出て、中医の医者は助手に向って、「お尻の皮の厚さは人それぞれであり、こういう厚い皮には長めの針を刺す」と説明していたそうだ。
 もう一つ、中医と患者の関係で気がついたのは、医者と患者の間が非常に近いことである。和(なご)やかな関係と言ってもよい。診察にあたって、医師は、苦痛を訴える患者を慰め、よく喋り、よく笑いもする。患者も医師に洗いざらい話したことでほっとしてやはり笑顔を浮かべて嬉しそうに帰っていく。とは言え、病院を後にしてから、むくむくと心配事が頭を占めるようになるのが世の患者の常。ここの中医は、電話相談やインターネットでの相談にも気軽に応じて(もちろん有料だが)、患者のアフターケアをしている。(なお、CHINA DAILYには、TCM(Traditional Chinese Medicine)、つまり、中医の記事があって、「Chinese generally believe that TCM treatments are more effective during summer because this is when yangqi(陽気)- the warm element in the yin-yang balance - is at its highest and hence allows the body to be more responsive to treatment.」とあった。身体における陰陽のバランスからも夏季は中国医学の治療を受けるには最適なのかもしれない。)









 30日、妻はお母さんが入る施設と病院へ鍼灸の継続治療のために出かけ、小生はホテルに残った。毎度、中国に来ると、一度は腹具合が悪くなり、下痢になるが、どうやら今回もそうなったようので、ホテルでぐうたらしている。本を読む気にもならないからテレビをつけて見る。しばらくドラマを見てから、CGTN(China Global Television Network)を選ぶ。これはCCTVの英語インターナショナル・ニュースが発展したチャネルだが、アメリカのCNNやイギリスのBBCニュースを意識していることは明らかで、内容の細かいところは分からないが(所詮は、中国の我田引水かもしれない)、かなり充実したニュースメディアになっていることをうかがわせる。少なくとも、中国人以外の人間が見ても世界のカレントなニュースがおおよそ分かるようになっている。その「THE WORLD TODAY」を見ていると、レポータはを世界各地に現地人が配置され、アンカーも外人キャスターが担当している。いまさらだが、日本が世界2位の経済力を誇った時代に、NHKはどうしてこうした国際チャネルをつくれなかったのか、残念な気もする(受信料を徴収しているから日本人に分からない外国人向けの英語放送に金をかけるわけにいかなかったのかもしれないが、そもそもそんな野心も世界戦略もNHKにはなかったのであろうし、国会も認めなかったであろう)。国際化などと言っても、日本のは日本人のための国際化でしかない。CGTNのワシントンDCからのニュース番組では、ハリケーンのHarveyに見舞われ洪水となったテキサスをトランプ大統領が現地視察した映像を伝える一方、北朝鮮が日本の頭越しにミサイルを放ったこともかなり詳しく報じ、中国人以外の識者4人を動員して討論形式で分析もしている。日本のテレビ番組で、日本人が1人も登場しないニュース番組なんてあるだろうか、そんなもの成り立つであろうか。ニュースの国際化、メディア戦略という点で、国内志向の日本はもはや中国の足元にも及ばない。





 8月最後の31日は、午後から妻の兄さん二人に招待されて北海公園内のレストランで宮廷料理をいただくことになった。妻の取引銀行に寄ってからタクシーで北海公園の北門に着いたのは約束の4時少し前だったが、兄さんたちが現われないので、少し公園内を散策した。北京もようやく気持ち良い風雅な季節を迎え、湖畔のしだれ柳をなびかせる風も本当に心地よいものだった。1時間遅れでお兄さんの一人もやってきたのでレストランに入るが、昔は宮廷料理で鳴らした名店も今は普通の北京料理しかメニューになく、しかも高いときた。諦(あきら)めて、公園を出て、大通りを渡った向かいの什刹海(シーシャーハイ)に手ごろなレストランを探すことにした。什刹海は、数年前に来たときよりも大分寂(さび)れた印象がした。閉まっている店も多いし、あれほど観光客で溢(あふ)れ返っていたのに、人出もまばらでどことなく閑古鳥(かんこどり)が鳴く状況。夏も終わりで、蓮池の蓮の花も寂しく疎(まば)らであった(1カ月ほど前に上野公園の不忍池で見た蓮の花とは比較にならない)。これほどの有名な北京一の観光地、下火なのは秋風が吹き始めたからばかりではあるまい。風紀上の問題で、取り締まりが強化されるとの話を数年前にニュースで聞いたか読んだような記憶がある。夜が耽るまで居というレストランの2階に居座る。妻のお母さんが入居する老人ホームで介添えをしてくれているお手伝いさんが給料の引き上げを要求しており、そのことで兄弟間で意見に食い違いがあるのだ。小生は、聞いていてもよく分からないので、ときどき立ち上がっては、湖畔の夜景を写真に撮ったりしていた。























これは日本国東京にある上野公園の不忍池です。







 昨日(9月1日)から王府井にも警察車両が止まり、ややものものしい感じになってきた。10月の共産党大会を前にいよいよ中国政治が緊張を高めるシーズンに入ったということか。
 2日は、妻が大学時代のクラスメイトと会食に出かけたので、小生は、王府井に近い老舎の旧宅を訪ねることにした。とことこ歩いて行ってみると、門に貼紙があり、来年まで改装工事中で休館とあった。以前にも中に入って、見物したことがあるので、それほど残念とも思わなかったが、ここまで来てもったいない気もしたので、愛すべき老舎が住んでいた胡同(フートン)の狭い小路を往復に通り抜けてみた。頭上に瓢箪がぶら下がっていて、やはり、それらしく風雅なところがある。それから仕方がないので、王府井へ出て昼飯にありつこうと思うが、もと来た道を戻るのも気が進まないから、逆に、王府井を裏側から回ってみようかと、行くとなかなか緑の気持ちのいい公園道(北河沿大街)が見つかった。適当なところで王府井へ出ようと道を左に入ると、前から知っている露店街の裏口(?)が見えてきた。通り抜けがてら覗こうと入ると、ここはなかなかの名所で人でごった返している。好物の羊肉の串刺しでも食べようと思ったが、衛生状態が気になって入れなかった。出口のそばで、変な串刺しを眺めた。何なのか虫らしきが生きたまま串に刺されて蠢(うごめ)いている。とても食べる気にはなれない。白人が日本の刺身の生き造りを異様な思いで見るようなものであろう。

























 3日、妻の一番上の兄さん(3年前に死没)の嫁さんを見舞う。北京市でも北の郊外になる昌平区というところだったが、タクシーの窓からその気になって眺めていると、シェアバイクが多いのには、やはり少し驚いた。市中の繁華街や市街地ほどではないにしても、80%以上が黄・橙・青色のバイクに乗っていた。
 4日、中国の厦門(アモイ)でBRICSが始まり、3日、習氏が40分以上の大演説をした。妻によれば、かなり中国語としても格調の高い演説だったようだ。内容は、「Xi says economic cooperation crucial.」(CHINA DAILY)ということで、一国が地域の利益を独り占めするのではなく、協調して地域全体の経済的利益を図りましょうといったもの。かなり、アメリカの一国経済的政治的覇権主義を意識しているようだ。サミットのメンバーでない中国としては、習氏にとってBRICSが最初となる国際社会での晴れ舞台であり、かかげる政策「一帯一路」にとっても一里塚になるとの思惑も当然あるのだろう。
 王府井の同仁堂で、妻が中医からインターネットで処方された自宅で煮て作る漢方薬の材料(飲片)を1週間分買う。コンパクトに梱包してもらったが、かなり重い。明日、日本へ帰るからトランクが重くなるなと思うと同時に、羽田空港で犬が乾燥大麻と間違えたりしないだろうなと心配になる。ちなみに、同仁堂の薬剤師が、小生に向って「あなたは陽気が足りない」と言い、盛んに高価な強壮剤を勧める。陰気が充満しているのは先刻承知で生きてきた。いまさら陽気になりたくもないと断った。





 雑感をさらに一つ二つ三つ以上加えると、まず、妻のお母さんが住んでいる老人施設のロビーに、ここを過去に訪問した政界の要人の記念写真が掲げてあって、その一つに、目下最も党中央人事で去就が注目されているあの王岐山氏が写っているものがあった。なお、お母さんの部屋の壁に「福」がひっくり返って貼ってあった。中国では、よくするようで、こうしたほうが福が舞い降りてくるのだとか。







 また、飲食についてだが、王府井にはショッピングモールに沢山の飲食店が入っており、食事に困るということはなかった。ただ、北京の人々は辛いものが好きなようで、それが苦手な小生も妻も、辛くない料理がありそうな店を選んで、そのなかでもメニューを探しながら辛くない料理を選んで食べた。特に、ホテルから一番近い「apm」というショッピングセンターの5階、6階が我が家の食卓となった。













 王府井の大型書店を見ているとき、外国書籍のコーナーで、村上春樹よりも東野圭吾が今の北京の若者には人気があることを知った。それにしても「宮部美雪」(写真左上)とあったのを宮部みゆきと読み替えるのに時間がかかった。







 書店の真向かいにあるショッピングセンターで昼飯を食べて階上からエレベーターで降りてくるとき、前の中年のカップルが急にエレベーターに腰かけた。マナーがどうのこうの、危ないではないかなどと思う前に、子供を老親にあずけてこの地方から出稼ぎに来ているのかもしれないカップルの、たまの休暇の草臥(くたび)れ度合いを思った。



 上の写真を載せたので、対照的なのを1枚入れておく。北京へ来て間もない頃に、街に超市(スーパー)を探して水と洗濯用洗剤を買い出しに路上に出た折、見つけたKFC宅配サービスの広告掲示板。この男の子たちの屈託のない都会的な坊っちゃん顔が、少し気になった。日本でのジャニーズ系とも称すべき哲学も理念もない美少年たちと同じような顔を、北京という古都が、こういう顔立ちを生むまでになったのかと、思ったのだ。調べてみると、日本のジャニーズの歴史は小生が思うよりも古色蒼然としていて、初代は、あおい輝彦(1948‐)が属したアイドルグループのジャニーズ(Johnny's)だそうだから、今の現代化した北京にこうした得体のしれない美少年がにょきにょき出てきて遺憾だと、日本からやってきた老人の異邦人がぶつぶつ文句を言う筋合いはないようだ。なお、中国へ行く前だったか、「徹子の部屋」にあおい輝彦が出演して、ギターを弾きながら軽やかに「あなただけを」を歌うのを見ていて、正直、ああ良いなと思った。こうした中国の美少年たちも五十年後、幸福な老年期を迎えて、あおい輝彦のような素敵なおじいさんになってもらいたいものである。







(写真掲載については、写真を撮ったiphoneで直接、このブログの編集画面に入って、写真をインストールすればいいので、中国滞在中にできたわけだが、北京ではそこまで気が付かなかった。まあ、iphoneでの作業は、写真も小さいので、やりにくいのは事実。)

◆後報:9月20日付の朝日新聞に、「シェア自転車 東南アジアへ」という記事を見かけた。ofo(オッフォ)やMobike(モバイク)がシンガポールやマレーシア、タイに進出を始めているらしい。その記事の中に「中国は曲がり角」として、こんな件(くだり)があった。——スマートフォン(スマホ)のアプリで解錠やレンタル料金をの支払いができるシェア自転車は中国の多くの大都市を席巻したが、供給過剰で新規の投入を禁じる動きも出ている。そんな中、モバイクは中国インターネットサービス大手の騰訊控股(テンセント)や米ファンド、ofoは中国ネット通販大手のアリババ集団などからそれぞれ出資を受け、日本も含む海外への進出を急いでいる、と。
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銭鐘書作『結婚狂詩曲(囲城)』を読み終えたところ

2017年08月20日 17時42分45秒 | Journal
 銭鐘書(1910‐1998)の『結婚狂詩曲(原題・囲城)』(1947)を数日前に読み終えた。上下2冊とは言え、例にもれず半年ぐらいかけて延々と読んできた。面白くないからではなく、比喩使いなどもユニークで機智に富み、極めて面白いが、余りに濃い目の饒舌体の一節ずつが長すぎて、途中で疲れてしまい、ページの量をこなせなかったのだ。その点は、やはり独特に比喩がうまいが、薄っすらとした文体ですらすら読めてしまう村上春樹氏と対照的だった。作者の銭氏は、小説はこの一冊を書いてから、中国古典の学究に入ってしまった。彼にとって、小説なんてこの一冊で十分だったのかもしれないし、当然のように文革でいじめられたから、主張性のあるものは書きたくなかったのかもしれない。不思議なのは、このバリバリに西欧志向的な一作をもって文革で吊るし上げの目にあい、生命の危機に瀕してもよいほどなのに、氏はそこまでは至らなかったことだ。多分、文革で騒いだ連中は、この博識が跳梁跋扈(ちょうりょう・ばっこ)な文章を読んで著者に反省を迫るだけの気力がわかなかったのであろう。作品は、洋行帰りの半インテリが、大学で職場結婚した奥さんとの確執に困り果てて、自暴自棄に破局を迎えるといった平凡な内容である。どこまでも深刻にならず、軽くラブ・コメディー風なのだが、読んでいるうちについ自分の夫婦生活を鑑みて、なるほどと感慨深くなってしまったのは、夫婦の会話、特に夫婦喧嘩が余りに凄まじくリアルだからだろう。ところで、銭氏の本当の奥さんが、昨年105歳で亡くなった文人の楊絳さん(1911‐2016)であったことも中国では有名。



 小説の最後の一節にある、先祖伝来の古時計が「まるで半日分の時間を蓄えておき、夜ふけ人が寝静まるのを待ち、運び出して一つ一つ注意深く数えているように」ボーン・ボーン・ボーン・ボーン・ボーン・ボーンと六つ鳴って、「この時間に取り残された計時機械(古時計)が意図せずして包容する人生への諷刺と感傷は、一切の言語・一切の涙と笑いより深かった。」を読み終えて、なんだか作者の真面目な言葉にはじめて触れた気がした。それぐらい理にはずれ詰まらないが哀切に満ちたわれわれの人生への諷刺と感傷に満ちた作品であった。なお、上巻の田舎の大学に赴任するために主人公たち一行が苦難の旅行をする件(くだり)は、『ドン・キホーテ』の主従の旅に匹敵する、文学史上に残る圧倒的な抱腹絶倒さで、銭氏の並々ならぬ才能を感じた。
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