他人から見れば、しょうもない写真であろう。しかし、これは小生が三軒茶屋の産婆の家から移って赤ん坊から幼年期をすごした場所で、建て替えられているが、当時、日本生命の支部だったこの薬局の2階から50年前の幼い小生が顔を出し、道路を走るブーブー(車)を飽きずに眺めていたはずである。そう考えると、小生にとってはまさに無二の特異な空間である。
写真の後方にある中野総合病院も当時は「組合病院」と呼んでおり、小生は毎日、母親のお古のハンドバックを手にこの病院へ「出勤」したものだが、まるで幽霊がタヌキ寝入りしていたかの如くそのままだ。ただ、病院と隔ててあった小さなどぶ川は蓋がされて、出勤する小生が張り切って渡った小さな橋もなくなっている。しかし全体が、タイムスリップしたかと思うぐらい不思議と50年間変わらない風景だ。
写真の後方にある中野総合病院も当時は「組合病院」と呼んでおり、小生は毎日、母親のお古のハンドバックを手にこの病院へ「出勤」したものだが、まるで幽霊がタヌキ寝入りしていたかの如くそのままだ。ただ、病院と隔ててあった小さなどぶ川は蓋がされて、出勤する小生が張り切って渡った小さな橋もなくなっている。しかし全体が、タイムスリップしたかと思うぐらい不思議と50年間変わらない風景だ。