摩周湖見物を終え、海に出て、網走の街を抜けて女満別空港へ向かった。その途中、これはまだ小清水町辺りであろうか、とっぷり暮れてきた北海道の空と山の風景の中にひっそりと酪農家の牛舎が写っていた。トビらしきが空を舞っている。北の原野は明らかに冬に向かって暮れていった。
霧の摩周湖であるから見えないことも覚悟してきたが、実に良い風景にめぐり合えた。摩周湖の写真の中でも出色であろう。この摩周湖の青い湖面は「摩周ブルー」と呼ばれるのだとか。手前の樹の光があたった黄緑とのコントラストが良い。40㍍以上を記録した透明度が有名だが、過去にマスの養殖を試みてから水質が汚れたのだとか。釣り客の呼び込みや観光客相手にマスを喰わす算段があったのだろうが、愚かなことだ。アイヌ語では「キンタン・カムイ・トー(山の神の湖)」というらしい。神の領域を犯してまで稼ごうと浅知恵を働かすとバチが当たるよ。
いよいよ今回の北海道1400㌔の最後の訪問地、摩周湖。広い駐車場からは、いかにも北海道らしい高原の眺望が得られた。車でドライブしてくるには最高の場所だろう。今ごろはもう一面の冬景色に変わっているかもしれない。
阿寒湖をあとに、摩周湖へ向かった。途中、北海道らしい酪農家屋を撮った。摩周湖の本間農場という。この農家の建築が一番北海道らしいと感じた。それはロマンチックの産物ではない。北海道の厳しい冬が形づくったものだ。
阿寒湖と雄阿寒岳(標高1499㍍)の写真。阿寒湖というと、なんだかとても寒そうなイメージが強い。湖の表情はあくまで平らだ。冬は凍結してしまうのだろうな。そんな冬の阿寒湖の下に静かに沈んでいたい気もする。
みやげ物屋が立ち並ぶアイヌを出て阿寒湖へ向かうと常盤木橋という小さな橋がかかっており、そこにコロポックルという小人の像があった。アイヌ語で「蕗(ふき)の葉の下の人」という意味であるとか。恥ずかしがり屋さんで余り人前にさらされたくない北海道の神話的先住民である。幸福を運ぶなどとベンチにされてさぞ迷惑であろうな。
実に魅力的な猫の背中である。栄養状態も良く、若干肥満だが、毛並みもいい。そのまま剥製にして置物にして玄関に飾っておきたいぐらいだ。こうした猫はアイヌに古くから居た猫ではあるまい。アイヌコタンにたむろさせると、どことなく外来種らしく見える。
昔、学生の頃、札幌の街を歩いていて、ときどきアイヌの方が歩いてくるのを見かけた。やはりすぐにそれと分かるので一種のショックを受けた。顔や姿、人種のルーツは違うが、同じニッポン人だ。そう考えると、ニッポン人というものも縄文系、弥生系、チャイナやコーリアからの新規渡来系、なかなかの多人種混成で、おもしろい。混血化が歴史的に早く進んだところは元のルーツが分からなくなってしまっただけだ。しかし、一方で「日本人」という漢字の語感には単一民族のイメージが住みついている。だから小生は、無意識的に「ニッポン人」とカタカナで書いて、人種色を消去しているのかもしれない。
アイヌコタン()はみやげ物の商店街となっていた。それがいけないということはないが、そういうものを見に来たのではないから、やはり違うなとは思ってしまう。記憶に残るのは、写真左の店先で観光客に飼い猫を見せるアイヌ人の姿ぐらい。