Discover the 「風雅のブリキ缶」 written by tonkyu

科学と文芸を融合した仮説作品「風雅のブリキ缶」姉妹篇。街で撮った写真と俳句の取り合わせ。やさしい作品サンプルも追加。

那須高原とジョン・レノン

2014年06月06日 21時45分31秒 | Journal
 大内宿から那須高原へ向かった。なかなかの山道である。途中、八幡とかいうツツジの名所で車を止め、遊歩道を散策する。ツツジはもう盛りが過ぎていた。

    

 そこからしばらくドライブして、ホテルは標高の高いところにあるホテルサンバレー。ここの別館に泊まったが、なぜか、ロビーにジョン・レノンが描いた絵がたくさん展示してあった。



 ジョン・レノン(John Lennon、1940年10月9日 - 1980年12月8日)は、もちろんビートルズ・メンバーのあのジョン・レノン。ビートルズは、小生よりは年長者のグループだが、中高生時代にフォークソングとともにもっとも耳にした音楽である。いつも生徒か集まるような集会で歌わされる反戦的・感傷的フォークソングもかなわなかったが、ビートルズ世代と一口にくくられることも厭(いと)わしかった。誰もが青春のほろ苦さとともに切なく思い出すフォークソングとビートルズの流行のために当時の小生は孤立を深めたといってもいい。しかし、あれから40年。今や懐メロとなったフォークソングやビートルズがそう嫌でもなくなった。ベトナム戦争が象徴したあの時代の若者の厭戦的感性を代表していたジョン・レノンの神経質さを十分に受容できなかったのは、わが身の不幸だったが、それも時代の雰囲気にあえて鈍感になろうとした意固地な自分らしさと思いながら、ホテルのロビーでジョン・レノンの絵を一つ一つ眺めてまわった。
 なお、この那須高原の景観を一望に見渡せるホテルは、けっこうな広さの敷地を持ち、本館、別館のほかにコテージのようなものが並んでいた。

  
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咳をしながらも福島へ、鶴ヶ城と大内宿を見る

2014年06月04日 21時05分38秒 | Journal
 昨日、1か月ほど止まらない咳が気になって、茅場町の医者へ行くと、レントゲンを撮ることに。それが問題がないと分かると、今度は、咳喘息だとか百日咳だとか感染性後の咳嗽、マイコプラズマ肺炎、RSウイルスにクラミジア肺炎と5種類の可能性を告げられて、血液をたくさん採取された。おかげで、頭が重く、立ちくらみする始末。そのなか、週末に、会津と那須高原へ妻と出かけた。やはり、夜は咳き込んで寝られないことも。しかし、観光としてはなかなか充実していた。
 前日は、仕事があった福島のそばの土湯という温泉に一泊。「向瀧」という宿に泊まる。冬用の分厚い掛け布団でかなり寝苦しい。寝汗に咳も出る。朝食の自家製ヨーグルトが新鮮でうまかった。翌朝、国道115を右手に磐梯山を眺めながら会津若松へ出る。街中に入ると、なんとはなく厳粛な気分になったのは、遠く戊辰戦争を意識してだ。江戸時代から明治時代へ、古い血を新しい血に入れ替えるために、また多くの血が流された土地だ。自分の採血の比ではあるまい。会津の兵が立てこもった鶴ヶ城の城内深くまで車で入ってパーキングする。百五十年前に激戦があった城は、新緑に包まれて思いのほか美しい城であった。(写真下段は、妻が撮ってくれた小生の写真。相変わらず日干し魚のように痩せている。)

   

  
 

 それから日光街道を上って大内宿に来る。古い宿場町の町並みが残る観光地だ。人気スポットらしく大勢の人がおしかけている。かんかんと暑い中を宿内をラムネを冷やす水溝にそって往復して、なるほどと思って入口近くの店で遅めの昼食をとる。そばに、串に刺した岩魚(いわな)の塩焼きを食べる。こういうのは余り食べたことがなかったが、思わず「うまい」と舌鼓(したつづみ)を打った。(同上、妻の方が写真が上手なようだ)

         
   
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