旭ヶ丘駅前まで戻ると、これから台原森林公園で遊ぶためか、小学生が集まっていた。「校長先生も来ている!」との騒ぐ声が聞えた。小生が小学生の頃は、校長先生が来ていると声にして騒ぎはしなかったであろう。今は、校長先生も人気者の範疇だ。
椿はどうも直接には撮りにくい。余りはっきり撮ると花の残酷が出る。
椿には落花の名句が多い。
落ざまに水こぼしけり花椿 芭蕉
椿落ちてきのふの雨をこぼしけり 蕪村
赤椿咲きし真下へ落ちにけり 暁台
赤い椿白い椿と落ちにけり 河東碧梧桐
落ちざまに虻を伏せたる椿かな 漱石
落ちざまにメダカ騒がす赤椿 頓休
椿には落花の名句が多い。
落ざまに水こぼしけり花椿 芭蕉
椿落ちてきのふの雨をこぼしけり 蕪村
赤椿咲きし真下へ落ちにけり 暁台
赤い椿白い椿と落ちにけり 河東碧梧桐
落ちざまに虻を伏せたる椿かな 漱石
落ちざまにメダカ騒がす赤椿 頓休
ここでは里山の復活のためにゲンジホタルとクロメダカをわざわざ放しているそうだ。そのメダカは慥かに見た。メダカは西欧には生息せず、江戸時代に来日したシーボルトによって1823年に初めて報告されたというのは初耳。だから「メダカの学校」はニッポン的なイメージで、インターナショナルではないのだろう。
小生を見つめて眼を離さない犬がいた。余程、小生に興味があるらしい。なぜだかは分からぬ。大体、犬にどう思われようが、犬の心が読めぬのだから、分からないものだ。文学をやる小生に余りさぼるなよと牽制をしかけたのかもしれない。
牛タンのカレーを食べたあと、地下鉄で勾当台公園駅から次の取材がある旭ヶ丘駅へ行った。駅を出ると、片側はこの景色である。この台原森林公園のある場所は昭和38年ころまで田圃のある里山だったそうな。その後、団地が出来るなど開発が進み、自然公園として保護されるようになった。
「満天星の花」と書いて「ドウダンのハナ」と読むのだそうな。ちょっと読めないな。写真を見れば、字の方は謎もなく理解できる。接写で撮るのも骨が折れる小さな花星の世界である。
昼に見る満天星の小さな春 頓休
昼に見る満天星の小さな春 頓休
ツツジ(躑躅)というのは、なんとなく暗いところに似合って咲いているイメージもある。この陽盛り咲く仙台のツツジは、どこか薄い花びらも干からびて、それでも風に心地よげに吹かれていた。
日盛りの中にこそあれ赤ツツジ 頓休
躑躅いけて其陰に干鱈(ひだら) さく女 芭蕉
日盛りの中にこそあれ赤ツツジ 頓休
躑躅いけて其陰に干鱈(ひだら) さく女 芭蕉
大相撲史上屈指の大力士像の前に、いささかだらしないカップルが腰掛けていた。小生もときとして乱暴な感情を抱くことがあるのであって、こんな奴らは頭をポカンとぶん殴ってやりたくなる。それはそれとして知らなかったが、谷風梶之助は横綱の第一号だったそうな。
谷風は春の拳骨握り締め 頓休
谷風は春の拳骨握り締め 頓休
仙台の地下鉄で「勾当台公園」駅というのがある。県庁や市役所の官庁へ行くにはここで下車すると便利だ。駅名にある通り、勾当台公園がある。日比谷公園に比べたら10分の1もないような狭い公園だが、ないよりはいい。公園の入り口にただならぬ表情で抱き合う男女の像があった。