フォレスタの散歩道(パート4へ) 東日本大震災の20日前、2011年2月にスタートしたこのブログも1000回を超えた

概ね2~3日毎の更新、1回に3題の記事をめどとして来たが、以後間隔や記事の数などに捉われずに更新することとしたい。

温泉街廃墟化のテレビ報道から湯檜曽温泉そしていとこ会

2023-12-06 12:22:32 | 日記

今朝(12月6日)、テレビの報道番組を見ていたら見覚えのある建物が出て来た。閉館して廃墟化した温泉旅館である。群馬県北部、奥利根温泉郷(または水上温泉郷)の中心地水上温泉の老舗旅館だった「奥利根館」の侘しくも無残な姿であった。
改めて新聞のテレビ欄を見ると「廃墟化が進む関東温泉街  逆転発想で再生挑戦」という見出しがあって、町行政が水上温泉の復興を目指して取り組みを始めている様子を紹介していた。

その様子に興味をを引かれたわけではなく、水上温泉郷の一つ湯檜曽温泉に私の祖父母の家があって、水上温泉は非常に身近な所であったのだ。
大学を卒業して社会人生活を九州でスタートした私だが、それまでは中学生時代から夏休みや冬休みのほとんどを祖父母のいる湯檜曽温泉で過ごしたので、水上温泉が身近であったわけである。
そして奥利根館に限らず閉館した旅館・ホテルや温泉街そのものの寂(さび)れ方もこの目で見ている。

そしてその寂れ方は私が大好きだった湯檜曽温泉も全くし然りなのである。
これまでもブログに取り上げたこともあるが、祖父母の家はある時期から温泉土産店を営み、旅館街の飲食店や旅館に供給する小規模の製麺所もしていた。
私は湯檜曽に行っても、もっぱら夏は清流の川遊びや谷川岳の山登り、冬はスキーに興じて祖父母の手伝いは余りせず、隣りの大叔父から「ちっとは爺ちゃん、婆ちゃんの手伝いをせんか!」と説教されたこともあるほどであった。
その祖父母は私が社会人になって転勤を繰り返す中、いずれも私の九州勤務中に他界してその死に目に会えなかった。
祖父母が亡くなった後、家は既に無くなり、温泉街の中心であった直ぐ近くの「本家旅館」も閉館し、私が遊んだ頃の面影はすっかり無くなった。
それでも1年か2年に一度、家内と湯檜曽温泉に泊まりに行って、谷川岳や紅葉の見所を訪ねている。
そして今年、祖父母の血をひく従弟従妹全員(10人)に声を掛けて「いとこ会」を立ち上げたところである。

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