フォレスタの散歩道(パート4へ) 東日本大震災の20日前、2011年2月にスタートしたこのブログも1000回を超えた

概ね2~3日毎の更新、1回に3題の記事をめどとして来たが、以後間隔や記事の数などに捉われずに更新することとしたい。

[中国で日本語教師]再投稿・北京編#1―プロローグ

2024-08-15 09:37:32 | 日記

   私は2008年から10年にかけて、都合2回日本語教師として中国に滞在した。初めが北京経済技術開発区実験学校というところで日本の高校留学を目指す生徒の日本語教育。2度目は山東省潍坊市という都市にある山東経済貿易学院という3年制大学のビジネス日本語科の教師であった。一応「北京編」と「山東省編」とに分けて思い起こしていきたい。 

   私が会社を完全リタイアする頃に知人のI.ヒロノブさんから「中国の知り合いから日本語のボランティア教師を頼まれているけれど、どう?」という話があった。ヒロノブさんは会社時代に仕事を通じて知り合った仲で、彼が独立して中国ビジネスをするようになってからもよく会社に遊びに来てくれた。私は会社リタイア後はどこか海外(ニュージランドとかクアラルンプールなど)にロングステイしてみたいと思っていたが、ヒロノブさんから青島など中国も風光明媚で物価が安くていいよとのアドバイスを受けていたので、ロングステイのテストケースとして北京の話に乗ってみた。
   しかしよく考えれば無謀な話である。私は理系の方の人間で、日本語を教えたこともなければ何らの資格も持ち合わせない。中国語は全くできないし中国に一人も知り合いがいない、の「ないない尽し」なのだ。まあ理系と言ったって高校時代の「現代国語」や「古文」は誰にもひけを取らなかったし、出張や旅行で中国に行ったことは何回もある・・・ということを頼りに「どうにかなるさ」の気楽な引き受けであった。取りあえず先方が私の採用をOKしてから出発までの2カ月くらいの間に、教材を買ったり講習会に出かけたりして「(外国人への)日本語指導法」なるものを俄か勉強ながら中国行きに備えた。(つづく) 

                
     私を待つ中国・北京(天安門)

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