六本木で半世紀以上にわたってクリニックを続け、「六本木の赤ひげ」と呼ばれるエフゲーニー・アクショーノフさんの88歳(米寿)を祝う会が4日夜、東京港区麻布台の東京アメリカンクラブで開かれた。アクショーノフさんに縁のある約120人が集まり、「もっともっとがんばってください」と激励した。
アクショーノフさんは1924年3月5日、ハルビン(中国東北部)で生まれた。父は白軍の将校で、ロシア革命時に赤軍と戦って敗走、ハルビンに流れ着いて馬の牧場を経営していた。満州国時代にたまたまそこを訪れた華族の津軽義孝さんと知り合い、その縁で戦争中の1943年3月、来日。早稲田国際学院で日本語を学び、東京慈恵医科大学に入学して医師になった。
お祝いの会には、津軽義孝さんの4女、常陸宮華子妃殿下が姉妹とご一緒に出席された。津軽さんとのご縁がなかったら、今日のアクショーノフさんはなかったに違いない。日本に来てから何度もお会いしたという華子さまは「私にとっては兄のような存在でした。これからは自分の時間を作ってゆっくりお過ごしください」とスピーチされた。
アクショーノフさんはロシア大使館などの「主治医」をしていることから各国の大使がお祝いに駆けつけた。六本木にあるクリニックは、日本にやってきた外国人の患者が多く、中には不法滞在で治療費を払えない患者もいる。そういう人たちには無料で診察し、逆に生活費を援助したケースもある。それが「六本木の赤ひげ」と呼ばれる由縁でもある。
その一方、患者の中にはシラク元フランス大統領や昨年亡くなった世界的歌手マイケル・ジャクソン、歌手としても俳優としても知られるマドンナら有名人が少なくない。会場にも大きな画面でマイケル・ジャクソンとアクショーノフさんのツーショットが映し出された。こうした人たちとの交流については拙著『六本木の赤ひげ』(集英社)に詳しく書いてあります。
また、女優の中村玉緒さんと歌手の加藤登紀子さんのビデオレターが画面で流され、アクショーノフさんとの出会いなどについて語っていた。このほか、日本滞在中、アクショーノフさんに診察してもらい、世話になったと、わざわざ米寿のお祝いに駆けつけたイタリア人男性もいた。医師として立派なだけでなく、明るくて面倒見の良いアクショーノフさんの人間的魅力に惹かれる人が少なくない。
最後にアクショーノフさんが壇上で88本のローソクを吹き消すと、孫のユージーン君(7つ)が花束を手渡し元気な声で「いつまでも長生きしてください」。思わず孫の頭にキスしたアクショーノフさんは「次は白寿(99歳)のお祝いで会いましょう」と“決意表明”して会場を沸かせた。
アクショーノフさんは戦後の混乱期に無国籍になった白系ロシア人である。冷戦期にはスパイと疑われたこともある。だが、外国人患者から依頼があれば真夜中でもホテルに駆けつけ、診察してきた。これは外国人に対する日本の緊急医療体制が不十分なためである。そうした日本の制度の不備を彼が身を粉にして補ってくれたわけで、日本人の1人として心から感謝したい気持ちだ。
アクショーノフさんは1924年3月5日、ハルビン(中国東北部)で生まれた。父は白軍の将校で、ロシア革命時に赤軍と戦って敗走、ハルビンに流れ着いて馬の牧場を経営していた。満州国時代にたまたまそこを訪れた華族の津軽義孝さんと知り合い、その縁で戦争中の1943年3月、来日。早稲田国際学院で日本語を学び、東京慈恵医科大学に入学して医師になった。
お祝いの会には、津軽義孝さんの4女、常陸宮華子妃殿下が姉妹とご一緒に出席された。津軽さんとのご縁がなかったら、今日のアクショーノフさんはなかったに違いない。日本に来てから何度もお会いしたという華子さまは「私にとっては兄のような存在でした。これからは自分の時間を作ってゆっくりお過ごしください」とスピーチされた。
アクショーノフさんはロシア大使館などの「主治医」をしていることから各国の大使がお祝いに駆けつけた。六本木にあるクリニックは、日本にやってきた外国人の患者が多く、中には不法滞在で治療費を払えない患者もいる。そういう人たちには無料で診察し、逆に生活費を援助したケースもある。それが「六本木の赤ひげ」と呼ばれる由縁でもある。
その一方、患者の中にはシラク元フランス大統領や昨年亡くなった世界的歌手マイケル・ジャクソン、歌手としても俳優としても知られるマドンナら有名人が少なくない。会場にも大きな画面でマイケル・ジャクソンとアクショーノフさんのツーショットが映し出された。こうした人たちとの交流については拙著『六本木の赤ひげ』(集英社)に詳しく書いてあります。
また、女優の中村玉緒さんと歌手の加藤登紀子さんのビデオレターが画面で流され、アクショーノフさんとの出会いなどについて語っていた。このほか、日本滞在中、アクショーノフさんに診察してもらい、世話になったと、わざわざ米寿のお祝いに駆けつけたイタリア人男性もいた。医師として立派なだけでなく、明るくて面倒見の良いアクショーノフさんの人間的魅力に惹かれる人が少なくない。
最後にアクショーノフさんが壇上で88本のローソクを吹き消すと、孫のユージーン君(7つ)が花束を手渡し元気な声で「いつまでも長生きしてください」。思わず孫の頭にキスしたアクショーノフさんは「次は白寿(99歳)のお祝いで会いましょう」と“決意表明”して会場を沸かせた。
アクショーノフさんは戦後の混乱期に無国籍になった白系ロシア人である。冷戦期にはスパイと疑われたこともある。だが、外国人患者から依頼があれば真夜中でもホテルに駆けつけ、診察してきた。これは外国人に対する日本の緊急医療体制が不十分なためである。そうした日本の制度の不備を彼が身を粉にして補ってくれたわけで、日本人の1人として心から感謝したい気持ちだ。