飯島一孝ブログ「ゆうらしあ!」

ロシアを中心に旧ソ連・東欧に関するニュースや時事ネタを分かりやすく解説します。国際ニュースは意外と面白い!

モスクワ地下鉄で連続爆弾テロ、38人死亡、女の自爆テロ!

2010年03月29日 16時20分44秒 | Weblog
 モスクワの地下鉄で29日朝、恐れていた連続爆弾テロ事件が起きた。1千万人都市のモスクワで一番便利な公共交通機関である地下鉄が狙われ、通勤途中の人など少なくとも38人が死亡、60人以上が負傷した。

 モスクワ発のネットを総合すると、まず最初に爆発が起きたのは、モスクワ中心部にあるルビャンカ駅。午前8時ごろ、大音響とともに爆発がおき、車両内とプラットホームの両方で20数人が死亡、40人以上が負傷した。地下鉄を出ると、泣く子も黙る旧KGB(国家保安委員会)本部の大きなビルが建っているところで、モスクワの観光名所のひとつだ。ここの駅が狙われたのは単なる偶然とも思えない。

 それから30数分後、今度はパルク・クリトゥールイ駅(日本語では文化公園駅)で爆発がおき、十数人が死亡、20人以上が負傷した。モスクワの地下鉄網は市内全域に張り巡らされ、環状線と南北に走る線がある。この駅は環状線と南北の線の接点上にある。しかも、ルビャンカ駅とパルク・クリトゥールィ駅は東北方向のソコーリニキ駅と西南方向のユーゴ・ザーパド駅を結ぶ同一線上にある。つまり、犯人はこの線を利用して2カ所で爆弾を爆発させたとみられる。

 モスクワの捜査当局によると、地下鉄に設置したビデオカメラから女性2人による自爆テロと判明したという。女性2人はユーゴ・ザーパド駅でテロリストに連れられて地下鉄に乗り込み、犯行に及んだとみられる。女性は2人とも18-20歳で、顔に北カフカス系の特徴があるとされる。このため北カフカス地方に拠点があるテロ組織の犯行との見方が強い。

 モスクワの地下鉄を狙った爆弾テロは、最近では2004年の2月と8月に発生、いずれも多数の死傷者が出ている。グルジアと国境を接する北カフカス地方では、チェチェン共和国を中心にロシアからの独立を目指す武装組織がテロ活動を繰り返している。メドベージェフ大統領はこの日、声明を発表し、テロ組織と頑固闘うことを明らかにした。

 モスクワの地下鉄は、いざという時、核シェルターとして使えるようにつくられたという。そのため地下の深いところにあり、しかも乗降用のエスカレーターのスピードが速い。これに乗ると、まっさかさまに地底に落ちていく感じがする。モスクワ特派員時代、エスカレーターに乗りながら「事故が起きたら怖いだろうな」といつも考えていた。今回のような事件が起きると、モスクワっ子はもちろん、観光客も地下鉄をますます敬遠する。地下鉄を狙ったテロリストの卑劣さに怒りがわいてくる。



 
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尊敬されない大統領に「明日」はない?

2010年03月26日 14時09分27秒 | Weblog
 「私が発令した大統領令が実行されていない」
 「行政の規律がうまくいっていない」
 メドベージェフ大統領は16日、閣僚や州知事を呼んで開催した会議で、こう嘆いて見せた。この会議はテレビでも中継されており、「尊敬されない大統領」を国民の前にさらした形になった。

 翌日の新聞には、大統領令がどれだけ実行されていないかが数字で示されている。ちなみに昨年1年間に1753件の大統領令が出されたが、そのうちの38%が実行されなかったという。ソ連最後の大統領だったゴルバチョフ氏の時も、大統領令が乱発されたが、ほとんど実行されなかった。メドベージェフ大統領としては、大学の先輩のプーチン首相のようにタフなボスぶりを国民に見せつけようと、この種の会議を初めてテレビで公開したが、かえって逆効果に終わったというところか。

 こうした大統領に不安を感じたのか、英字紙モスコー・タイムズのボーム部長は自分が担当しているオピニオン・ページ(26日付け)に「尊敬を得られない大統領」という見出しで自分の意見を載せている。

 その中で、大統領が尊敬されていない実例として、つぎのようなケースをあげている。昨年11月に大統領が国民向けにテレビ演説した際、それを聞いていた政府高官の何人かは演説に関心を示そうとしなかったうえ、隣の人とおしゃべりしたり、ケータイ電話をいじったりしていたという。身内の高官にまでそっぽを向かれていたというわけだ。

 続けて、ボーム氏はメドベージェフ大統領が身長162.5cmと、ロシア人としては小柄だが、プーチン首相も大統領より背が高いわけではないとして、尊敬云々とは関係ないと断定。大統領は「ブログ編集長」と一部でやゆされているように、ネットで色々発言しているが、プーチン首相のような行動力が伴っていないのが問題だと指摘している。
 

 ボーム氏によると、プーチン首相の周辺では、首相が2012年の次期大統領選に立候補するかどうかが切実な関心事だという。側近とすれば、首相が大統領に復帰すれば、このまま豊かな暮らしが保証されるからだろう。同氏自身は大統領が良心的で、誠実に行動していると一応評価しているが、「タフに振る舞おうとすればするほど、弱々しく見える」状態では再選は難しいとみているようだ。ロシアという大国を運営するには、プーチン首相のようにタフでなければやっていけないというのだろうが、それではまた強権主義に戻ってしまうのでは。

 
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モスクワ市長の腹心が検挙、クレムリンが市長退陣へ動く!?

2010年03月24日 10時03分44秒 | Weblog
 モスクワのルシコフ市長(73)の腹心であるリャビニン副市長(51)が23日、検察庁付属捜査委員会に職権乱用容疑で検挙された。副市長は建築や土地売買認可の責任者で、市長の闇の部分を熟知している人物。クレムリンが市長の退陣に向けて動き出したとの見方が強まっている。

 ルシコフ市長は1992年、市長に就任して以来、18年間も首都の政治、経済を牛耳っており、巨額の汚職疑惑が指摘されている。一方、メドベージェフ大統領は昨年、連続して3期以上続けている地方の権力者に対し、退陣を求める方針を打ち出している。

 リャビニン副市長は、実業家としてルシコフ市長が推進しているモスクワ・シティー計画の建築部門を担当していたが、2005年にモスクワ市庁に移り、副市長に抜擢された。市長が設置した汚職対策委員会を担当するとともに、デベロッパーから土地を購入する責任者となり、市の土地計画を取り仕切っていた。


 今回の容疑は、市当局に都心のビル建設の認可を求めてきた実業家に対し、ブティックを開く自分の娘のために200㎡(60万㌦相当)のフロアーを渡すよう要求したというもの。捜査委員会によると、リャビニン副市長は、この要求を拒否すれば建設許可を出さないと実業家を脅していたという。

 24日付けの英字紙モスコー・タイムズによると、ルシコフ市長は数多くのスキャンダルを抱えているが、最近は市の幹部職員が汚職に絡んで捜査を受けるケースが増えている。今回はクレムリンが、ルシコフ市長の腹心の検挙を理由に市長の退陣を迫る可能性が高いと同紙はみている。

 市長はプーチン首相と親しく、首相が党首を務める与党「統一ロシア」の指導部の一員でもある。だが、クレムリンはすでにルシコフ市長を退陣させることを決め、退陣の時期について市長側と水面下で話し合っているともいわれている。ソ連時代から首都を思うままに動かしてきた旧共産党官僚も、そろそろ年貢の納め時か。

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ロシアの「怒りの日」の集会参加者が少なかった理由は?

2010年03月22日 13時43分21秒 | Weblog
 ロシアの野党勢力が連携して全国規模で実施した20日の反政府集会「怒りの日」参加者は、主催者側の計画を大幅に下回り、不発に終わった。経済危機のしわ寄せを受けた国民の不満は高いはずなのに、なぜ集会が盛り上がらなかったのだろうか。

 ロシアの22日付けの新聞(ロシアの新聞は日曜日が休みなので、22日付けの新聞が集会後初の新聞となる)は、20日の集会を一斉に報道したが、「怒りの日は失敗だった」(独立新聞)、「怒りの日は憂鬱だった」(コメルサント紙)などと、否定的な見出しが目立った。

 中でもはっきり「失敗だった」と打った独立新聞は、「メディアと内務省の計算によると」と断りを入れたうえで、集会参加者が主催者側の計画の10分の1だったと伝えた。コメルサント紙は全国の参加者は1500人から2000人程度と書いたが、全国48ヵ所で合計2万人が参加したという主催者側の発表も載せている。

 各地の集会の状況を独立新聞から引用すると、極東・ウラジオストクの参加者は300人から500人、サンクトペテルブルクでは2つの集会が行われたが、合わせても参加者は750人にとどまった。モスクワでは、プーシキン広場に約300人が集まったが、ここでの集会は禁止されていたため警官隊が参加者を排除し、数十人が拘束されたという。

 なぜ参加者が予想以上に少なかったのだろうか。独立新聞に掲載された政治評論家オルロフ氏のコメントによると、経済危機後、政府は包括的な危機対策を打ち出し、精力的に実施して効果が上がってきている、これに代わる対策はないので野党側が扇動しても盛り上がらないと分析している。

 つまり、1年前には経済危機がどこまで進行するかわからず、国民の不安感が強かったが、今では落ち着いてきたので参加者も減ってきたというのだ。参加者が掲げるプラカードも経済一色でなく、バンクーバー五輪でのロシアの惨敗を批判するものもあったという。

 独立新聞は、昨年2月と今年2月に起きた全土での政治的抗議行動の件数と参加者の統計を載せている。内務省がまとめたもので、件数では昨年2月の964件から683件に減少、参加者も12万5千人から8万1千人に減っている。件数、参加者ともざっと3割減少している計算になる。

 内務省の統計だが、傾向は大きく違ってはいないだろう。だからといって国民の不満が解消されてきたとは言い切れない。政治に期待しても裏切られるばかりで、もう飽き飽きしているという人々が増えているのかもしれない。むしろ、その方がロシアにとっては悲劇かもしれない。

 
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ロシア社会で新たな「雪解け」が始まりつつある!?

2010年03月19日 15時18分34秒 | Weblog
 ロシアの長く厳しい冬も終わりに近づき、春の訪れを感じさせる季節になりつつある。これはロシアの今の天候を表したものだが、ロシアの社会でも「雪解け」を感じさせる動きが起きつつあるようだ。

  「雪解け」という言葉は、無実のソ連国民を何百万人も殺害したスターリンの恐怖政治が終わった1960年代以降、よく使われるようになった。この言葉が今また、ロシアの政治評論家らに使われるようになったという。18日付けの英字紙モスコー・タイムズに掲載された、カガリツキー・グローバル化研究所長の寄稿文のなかで書かれているもので、メドベージェフ大統領が進めている政治改革の影響を「雪解け」という言葉で表現しているのだという。

 ただ、カガリツキー所長も「これらの改革はまだ結果をもたらしてはいない」といいながら、政治改革の影響を予感させる事実をいくつか挙げている。その1例としているのは、2月にモスクワで起きた、ある交通事故の顛末である。

 2月25日、レニンスキー通りを走っていた装甲車のようなメルセデス・セダンが、年配の女性とその娘が乗っていたシトロエンと正面衝突し、女性2人が死亡した。警察はすぐに「メルセデス側に過失があるとの証拠はない」と発表したが、メルセデスに乗っていた人物がロシア有数の石油会社「ルクオイル」のバルコフ副社長とわかり、スキャンダルに発展した。

 ルクオイル社のガソリンスタンド不買運動を呼びかける人々が現れたかと思うと、バルコフ副社長を「地獄に落ちろ」と揶揄する歌がヒットするなど、権力乱用への庶民の怒りが爆発した。メドベージェフ大統領も、こうした事態を無視できず、内務省に調査を命じたという。「大衆的な抗議が勝利した、ロシアでは珍しいケース」とカガリツキー所長は書いている。

 また、別の日のモスコー・タイムズ紙に載った寄稿文によると、ヒラの警察官が上司の汚職・腐敗を内務告発するケースがこのところ増えているという。その先駆者とされているのは元警官のディモフスキー氏で、ユーチューブで上司の汚職を流し、全国的に警察官の汚職と闘うと宣言した。このことを知った国民から支援の動きが高まっているそうだ。

 同紙の記事によると、国民の交通警察への批判が強まっているのは、違反した運転者からカネを強要するヒラの警官ではなく、その警官からカネをピンはねする幹部警官への怒りだという。幹部警官は不正警官に寄生し、その警官から上前をはねて贅沢な生活をしているのだ。

 寄稿文の最後で、「人々はよく、ロシアの警官とマフィアを比べるが、それは間違いだ。マフィアの殺し屋は親分を崇拝して盲目的に仕えるが、ロシアの警官は高級幹部を嫌っている。これが唯一つの違いだ」と指摘している。

 ソ連時代から「長いものには巻かれろ」というのがロシアの庶民の処世術だった。今それが崩れ始め、権威に対抗する庶民が増えているということだろう。メドベージェフ大統領がいま取り組んでいる汚職追放や司法改革の余波といってもいいだろう。ゴルバチョフ・ソ連書記長が四半世紀前に始めたペレストロイカ(立て直し)をほうふつとさせる。こうした改革が実現すれば、プーチン首相が大統領時代から構築してきた権威主義社会が変わるかもしれない。「雪解け」が一時的現象に終わらないよう、注意深く見守って生きたい。
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スターリン肖像巡る論争でロシア与党「統一ロシア」が分裂!?

2010年03月15日 10時58分13秒 | Weblog
 スターリンの肖像を5月の戦勝記念日にモスクワの目抜き通りに掲げるというモスクワ市長の計画をめぐって、ロシアの与党「統一ロシア」を二分する論争に発展している。なぜ、いまだにスターリン論争が続いているのだろうか。この話は3月3日にもブログで取り上げたが、その後の動きをたどりながら一歩踏み込んで考えてみたい。

 ルシコフ・モスクワ市長が3月2日に発表した計画によると、5月9日の対独戦勝65周年記念日に向け、モスクワ市内2千ヵ所に掲示板などを設置し、そのうち10ヵ所にスターリンの肖像を置くことになっている。市長はスターリンが当時、軍の最高司令官だったという歴史的事実を示すためで、それ以上の意味はないと述べていた。

 ところが、市長がスターリンの肖像展示は戦勝記念日だけでなく、そのほかの記念日にも展示する意向を表明したことから、論争がさらに広がった。与党「統一ロシア」のボロジン幹部会書記は「問題はスターリンの歴史的評価ではなく、政治的、道徳的評価だ。スターリンの抑圧で苦しめられた多数の人々の感情を尊重しなければいけない」と批判した。ルシコフ市長も与党の最高幹部の1人であり、以前からスターリン肖像の展示に反対しているグリズロフ下院議長(与党最高会議議長)との確執も指摘されている。

 反対の声は与党からだけでなく、もちろん野党からも上がっている。とくに人権活動家たちの反発が強く、「スターリンの肖像設置はスターリンの圧政で亡くなった何百万もの人々の気持ちを逆なでするもので、断固として抗議運動を展開する」と主張している。ロシアでの人権活動は長い歴史があり、支持者も多いのでデモ参加者も少なくない。

 では、一般国民はスターリンに対してどんな気持ちを抱いているだろうか。ロシアの世論調査機関・レバダ・センターが2月下旬から3月はじめにかけて行った1600人の調査結果では、最も多かったのは「関心がない」で38%にのぼった。2番目に多いのは「尊敬している」「共感している」などの肯定派で32%。「憎んでいる」「恐怖感がある」などの否定派は24%だった。01年4月の調査結果と比較すると、無関心派が12%から約3倍増加した。肯定派は38%から若干減ったが、依然3割以上いるのに対し、否定派は43%から約20%減っている。この結果からわかるのは、若い人々の間ではスターリンを知らない世代が増えているが、年配の人たちには依然としてスターリン支持者が多いという事実である。

 そう見てくると、メドベージェフ大統領から無言の「退陣圧力」を感じている73歳のルシコフ市長が、自己保身のため年配の市民の支持を集めようとスターリンの肖像を利用している構図が浮かんでくる。グリズロフ下院議長も何らかの意図を持って発言している可能性がある。スターリンの死(1953年)から57年もたつが、スターリンの亡霊が依然としてロシア政界を動かしているのかも。

 

  
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ウクライナ新内閣の特徴は「ロシアべったり内閣」!?

2010年03月12日 10時08分29秒 | Weblog
 ウクライナの新大統領に就任したヤヌコビッチ氏(59)は11日、新内閣を組閣、国会で承認されたが、首相にロシア生まれの“戦友”アザロフ氏(62)を起用するなど、親ロシア派閣僚でがっちり固めた布陣となった。

 ロシアの新聞は12日付けの紙面で大々的に新内閣を取り上げた。「ロシアの内閣のように見える新内閣」(コメルサント紙)「ヤヌコビッチ大統領は戦友を最前線に据えた」(独立新聞)「アザロフ首相は大統領の親密な盟友」(モスコー・タイムズ紙)などの見出し(いづれも電子版)で、新布陣の特徴を表現した。

 新首相はヤヌコビッチ大統領の盟友であり、04年の大統領選に当選したはずが「オレンジ革命」で覆された逆境を一緒に乗り切ってきた「戦友」である。アザロフ氏はロシアのカルガ州出身で、1984年にウクライナに移住した人物。ウクライナ語もよく話せないといわれる。副官タイプで、仕事はよくこなすが、大統領のライバルにはなり得ないとみられている。もともとは親ロシア派大統領だったクチマ氏の人脈だった。

 新閣僚の布陣をみると、まず第一に金融危機で瀕死の状態にある経済を立て直すことを最優先にあげていることは間違いない。それはとりもなおさずロシアに頼り、ロシアから緊急融資を取り付ける一方、ロシアから輸入する天然ガスの価格をできるだけ引き下げることにほかならない。そのため、外相に現駐ロシア大使のグリシェンコ氏を、燃料エネルギー相にロシアの天然ガス独占企業「ガスプロム」と関係が深いボイコ氏を起用した。なりふり構わぬ「親ロシア・シフト」ともいえよう。

 第二に、今回の組閣はじっくり時間をかけて人選したものでなく、ドタバタで決めた閣僚が目立つのが特徴ともいえる。なによりも、親欧米派・ティモシェンコ前首相の人脈外しに重点が置かれたため、欧米対策や東西対立に十分な目配りがなされていない点が指摘されている。なお、欧米諸国に対しては前日にG7の大使を招き、経済危機の現状を説明して協力を要請している。

 ヤヌコビッチ大統領は、なんとか過半数の議員を集めて連立政権を樹立したものの、ユーシェンコ前大統領やティモシェンコ前首相は公然と野党に回り、依然として半数近くの議員を擁している。このため今後事あるごとに与野党が対立し、そう遠くない時期に解散ー総選挙になるとの見方が強い。新内閣の成否は、いかに早く効果的な経済立て直しに取り掛かれるかだが、それは結局、ロシアがどれだけウクライナの救済に本腰を入れるかにかかっている。ロシアのメドベージェフ政権にとっても正念場である。
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ロシア列車爆破テロ首謀者が死の直前「自分の最後」を撮影!

2010年03月09日 13時49分26秒 | Weblog
 昨年11月にロシアで起きたネフスキー急行列車爆破テロ事件の容疑者8人が2日、ロシア連邦保安庁(旧KGB)の特殊部隊と銃撃戦の末殺害された。その中の首謀者とみられるチホミロフ武装勢力指揮官が死の直前、ケータイで自分を撮った「最後の説教写真」が9日付けの英字紙モスコー・タイムズに掲載された。

 チホミロフ指揮官(28歳)は北カフカス武装勢力の中でも一番の理論家として知られていた。ロシア連邦で唯一つの仏教国、ブリヤート共和国出身だが、10代でイスラム教徒に転身、エジプトの大学などでイスラム教を学んだ。ブリャツキーという別名を使って、インターネットで説教のビデオを流し、ロシアの若いイスラム教徒に人気があった。

 今月2日、チホミロフ指揮官らはイングーシ共和国にある隠れ家で連邦保安庁の特殊部隊に包囲された。逃げ切れないと観念した指揮官は自分のケータイで説教の場面を撮影、仲間にお別れを告げた。このあと、10人は投降し拘束されたが、指揮官ら8人は銃撃戦の末、死亡した。

 チホミロフ指揮官の「最後の写真」は武装勢力のネットで流されたが、指揮官の顔には飛び散った血が映っていたという。イスラム兵士は「ブリャツキー(指揮官)は3月2日、殉教者になった」と話しているという。

 連邦保安庁によると、チホミロフ指揮官は08年、北カフカス武装勢力に加わり、イングーシ共和国大統領殺害未遂事件やナズラン警察署襲撃事件(26人死亡)などに関与した。カディロフ・チェチェン共和国大統領は「西側の特殊部隊に訓練された工作員で、北カフカスだけでなく、ロシア全土に影響力を行使する任務を持っていた」とインタファクス通信に語っている。

 ネフスキー急行列車爆破事件は07年と09年の2回起きているが、1回目は死者はなく、2回目には乗客ら26人が死亡する大事件になった。武装勢力は2回とも自分たちの犯行だと認めているが、チホミロフ指揮官自身はいずれについても自らの関与を認めていなかった。隠さなければならない事情があったのか、それとも実際に関与していなかったのか。この事件には、まだまだ未解明の謎がありそうな気がする。
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米国人と養子縁組した男の子の虐待死にロシア中が怒る!

2010年03月05日 11時03分35秒 | Weblog
 米国人と養子縁組した男の子が昨年夏、「虐待死」した事件で米国人夫婦がこのほど地元警察に殺人容疑で逮捕されたことから、ロシアのマスコミは「対応が遅すぎる」などとと米国側の対応を一斉に批判している。

 逮捕されたのは米国ペンシルバニア州在住の夫ミハイル・クレーバー(45)と妻ナネッテ(54)。亡くなったのは、ロシア・チェリャビンスク生まれのイワン・スコロボガトフちゃん(当時7歳)。イワンちゃんは昨年8月20日、ベッドで意識不明になっているところを発見され、病院に運ばれたが、まもなく死亡した。検視の結果、イワンちゃんは栄養失調の上、80ヵ所もの外傷が見つかり、このうち20ヵ所は頭部の傷だった。クレーバー夫婦は今年2月26日、殺人容疑で逮捕されたが、死亡から逮捕まで半年もかかった理由について捜査当局は「検視報告書が完成するまでに時間がかかったからだ」と説明している。

 ソ連崩壊後、ロシア人の子供が外国人と養子縁組し、外国にもらわれていくケースが急増した。しかも、もらわれた先で死亡する場合がこのところ増えている。ロシア政府当局の調べでは、1996年から現在までに少なくとも15人の子供が死亡していて、このうち14人が米国で、1人がカナダで死亡しているという。

 今回の米国人夫婦逮捕がロシア国内で報道されるとロシア人の怒りが爆発した。こうした世論の高まりを受けて、ロシア検察庁付属捜査委員長は4日、「この事件をロシアに引き取り、夫妻を起訴することを約束する」との異例な声明を発表する事態となった。

 ロシアでは、夫婦共稼ぎが多いこともあって子供が少ない家庭が多く、子供に対する愛情は異常なほど強い。私がモスクワに特派員として駐在している90年代でも、子供に高価な服を着せるなど、かわいがって大事に育てている家族をたくさん見ている。それだけに子供虐待の報道には過敏に反応するのだろう。今回の事件で、オバマ大統領の誕生をきっかけに、せっかく好転しつつある対米世論が急速に悪化するのでは、と心配する声が高まっている。
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ロシアで戦勝記念式典めぐり、スターリンの復権論争が再燃!

2010年03月03日 09時47分21秒 | Weblog
 今年は第二次世界大戦の終戦から65周年を迎える。モスクワでは毎年5月9日に「戦勝記念式典」が行われるが、今年の式典でスターリンの肖像を掲げるかどうかをめぐり、再びスターリンの復権論争が起きている。

 今回の論争は、モスクワ市当局が今年2月、戦勝記念式典にちなみ、スターリンの肖像を街の目抜き通りに掲げると発表したことから起きた。市当局の計画では、記念式典が行われる1ヶ月ほど前、モスクワの目抜き通りに約2千枚の立て看板や展示台を設置し、そこに従軍した兵士や指揮官の肖像、説明文を掲載する。そのうちの10カ所に、最高司令官だったスターリンの肖像、説明文を載せるというもの。

 この計画が発表されると各方面から様々な反響があった。反対意見はリベラル派からのものが多かったが、最も注目されたのはグルイズロフ下院議長の発言だった。議長は与党「統一ロシア」の指導部の1人だが「大戦の勝者はスターリンではなく、人民だ。我々は勝利を勝ち取った旧軍人を賞賛しなければならない」と述べていた。

 これに対し、ルシコフ・モスクワ市長は2日の市政府幹部会で「私はスターリンの崇拝者ではないが、客観的な歴史を支持する。戦争を指導した人々全員について彼らの役割を示さなければいけない」と語り、計画通り実行することを明らかにした。

 この論争では、グルイズロフ議長とルシコフ市長との確執が背景にあるとの見方も出ている。市長もグルイズロフ議長と同様、与党指導部の1人であることから、「記念式典前に社会の分裂を表面化させ、連邦権力に何らかの工作をしようという意図があるのではないか」(コメルサント紙)との憶測も呼んでいる。

 今回の論争では、メドベージェフ大統領も「スターリンの抑圧は正当化できない」と発言するなど、波紋が広がった。このことは、スターリンの評価がいまだに定まっていないことを示している。プーチン首相もスターリン肯定派の1人であり、否定的なメドベージェフ大統領と微妙に異なっている。スターリンの再評価問題は、今後も政争の火種であり続けるに違いない。

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