飯島一孝ブログ「ゆうらしあ!」

ロシアを中心に旧ソ連・東欧に関するニュースや時事ネタを分かりやすく解説します。国際ニュースは意外と面白い!

「六本木の赤ひげ」院長の開業していたインタナショナル・クリニックが解体!

2017年03月24日 13時38分35秒 | Weblog

国際政治・外交ランキング
     
        <インタナショナル・クリニックが解体され、残されたブロック塀と看板>

<六本木の赤ひげ」と呼ばれ、在日ロシア人らに信頼されていた白系ロシア人医師、エフゲーニー・アクショーノフさんが院長を務めていたインタナショナル・クリニックがとうとう解体された。東京・港区の飯倉片町交差点角地に半世紀以上も開業し、ロシア人だけでなく、海外からの賓客や観光客の診察も行ってきたが、2014年8月5日、90歳で他界し、その後は事実上、クリニックは閉鎖されていた。

先日、知人から「インタナショナル・クリニックの敷地にブルドーザーが置いてあった」と聞き、出かけてみると、二階建ての洋館はすでに解体され、後は整地を待つばかりになっていた。正面のブロック塀と、英語で書かれた「インタナショナル・クリニック」の看板だけが残っていて、表通りからは隣の区立麻布幼稚園が直接見えた。樹木が何本か残っているが、寄りかかる物もなく、寂しげだった。

塀に張ってあった管理会社に電話して聞くと、「解体後の更地にオフィス系のビル建設を検討しているが、まだ決まっていない」との返事だった。アクショーノフ院長の死後、病院の関係者はクリニックの存続を模索したが、叶わなかった。アクショーノフ院長が守ってきたクリニックは一代限りで終焉を迎えた。

アクショーノフ院長は、ロシア革命後、中国東北部のハルピンに逃げた白系ロシア人家庭の一人っ子として生まれた。馬の牧場を経営していた父の元に日本から馬を見に来た津軽義孝伯爵(常陸宮華子妃殿下の父)と知り合い、それが縁で太平洋戦争中の1943年に来日した。苦学しながら医師国家試験に合格、戦後、米軍陸軍病院勤務などを経て1953年、クリニックを開業した。満州国崩壊後、無国籍になったが、旧ソ連に帰らず、無国籍のまま、一生を日本で過ごした。

冷戦時代はソ連のスパイとみなされ、警察の調べを受けるなど、苦境に陥ることもあったが、持ち前の才覚と人懐こい性格で生き抜いた。ロシア語のほか、中国語、フランス語など6ヶ国語を話せるうえ、貧しい外国人には無料で診察し、在京の大使館などから頼りにされた。プーチン大統領と何度も懇談するなど、日露友好にも大きな役割を果たしたが、日本政府からは感謝の言葉もなかった。(この項おわり)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北方四島元島民のプーチン大統領への手紙はヤラセだった?

2017年03月17日 13時36分45秒 | Weblog
国際政治・外交ランキング

昨年12月の日露首脳会談で安倍首相がプーチン大統領に手渡した北方四島元島民の手紙が大統領を感激させ、四島への自由往来をさらに進めるきっかけになったとされているが、その手紙がヤラセだった疑惑が浮上している。もし本当だとすれば、大統領ばかりか、国民まで愚弄する行為である。真相解明を急ぐべきだ。

問題の手紙は、首脳会談の3日前の12月12日に首相が千島歯舞諸島居住者連盟の脇紀美夫理事長ら元島民7人に会い、首脳会談に備えて彼らの意見を聞いたことが発端。元島民は連名で首相に大統領へ渡すための手紙を託したとされる。首脳会談の直後、首相はテレビ各局の取材を受けた際、会談でこの手紙を大統領に渡すと、その場で手紙を読んで感銘し、元島民がもっと自由に故郷の島に往来できるよう道を開くことを約束したと力説していた。

首相としては、北方領土返還交渉自体の成果はなかったので、元島民の自由往来のさらなる前進をアピールして会談の成果を少しでも大きくしたかったのだろう。
ところが、肝心の手紙が未だに非公開になっている上、手紙にサインしたはずの元島民たちの多くは手元に持っていなかったという。しかも、あろうことか、元島民団体の千島連盟を含む多くの関係者が手紙の存在すら事前には聞かされていなっかったというのだ。一体何が起こったのだろうか。

この問題については、北方領土問題の研究者として知られている岩下明裕・北海道大教授が雑誌「マスコミ市民2月号」で詳しく書いているので、それを参照したい。
幻の手紙となった元島民の手紙は、その後のメディアの取材により、以下のように書かれていたとされる。元島民たちの願いとして「生きているうちに故郷に帰りたい。島で朝を迎えたい。いつでも墓参りしたい。自由に島に行きたい」と書いたという。だが、念願の北方領土問題の解決については「プーチン氏こそが北方領土問題を解決してくれるものと確信しています」とあるだけで、北方領土の返還については具体的に言及すらしていないとされる。

この内容から岩下教授は「この手紙がある種の狙いを持って書かれているのは明らかだろう」と指摘し、「元島民たちのこれまでの闘いを少しでも知る者からすれば、このような手紙が島民全体の気持ちを代弁することはありえない」と断言している。

この手紙についてはNHKが何度か報道していて、児玉泰子・千島連盟理事が元島民たちに手紙と思われる紙を配っているシーンが流されている。実は首相と会う前日に元島民たちがホテルに呼び集められ、この手紙を見せられて同意を求められたという。その場にロシア語に翻訳された手紙も用意されていたとされ、手紙を準備する過程でNHKの関係者が深く関わっている可能性を示唆している。

この問題で北海道新聞は2月7日付け社説で「この手紙は、官邸主導で元島民7人が集められ、用意された文書をもとに作られた。千島連盟の役員も同席したが、組織として意見集約する余地はなかった」と指摘し、事実上ヤラセだったことを認めている。

官邸がこの手紙の作成を仕組んだとすれば言語道断だ。また、NHKが手を貸していたとすれば、メディアの倫理が問われる。双方ともこうした疑問にきちんと答えるべきだ。(この項終わり)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

プーチン政権は次期大統領の任期が切れる2024年まで続く!

2017年03月01日 00時43分39秒 | Weblog
国際政治・外交 ブログランキングへ

ロシアの次期大統領選は来年3月に行われる見通しとなり、プーチン大統領の事実上の4期目当選が確実視されている。当選すればさらに6年、つまり2024年5月まで大統領として君臨することになる。今の情勢では、プーチン政権が次期大統領の任期が切れる2024年まで続くのは間違いないだろう。

プーチン氏は2000年に初当選し、47歳で大統領に就任して以来、大学後輩のメドベージェフ大統領時代を含め、すでに16年間、実質的な最高指導者を続けている。さらにもう1期務めれば年齢は71歳となり、最高指導者の在籍年数は20年を超え、ソ連・ロシアを通じて異例の長期政権となる。

大統領サイドは次期大統領選にプーチン氏が立候補するかどうか明言していないが、側近らによると、過去の選挙より透明性があり、過去最高の得票率を目指す考えを示している。いわば、次期大統領選を信任投票とみなしているわけで、それだけ4選に自信を持っているのである。

それというのも、プーチン氏と対等に戦える有力な対抗馬がいないからである。逆に言えば、政権側が対抗馬になりそうな政治家をそれ以前に徹底的に潰してしまうからだ。その具体例としては、プーチン大統領の政敵とみなされ、長期間刑務所に押し込められていた元石油王、ホドルコフスキー氏があげられる。

次期大統領選に立候補を表明している政治家を見ると、与党側からは極右政党「自由民主党」のジリノフスキー党首だけで、残る2人は野党側のナバリヌイ氏と、ヤブリンスキー氏である。自民党党首は毎回立候補しているが、党勢拡大が目的で、プーチン氏に対抗する意欲は感じられない。

一方、野党側は若手のナバリヌイ氏と、ベテランのヤブリンスキー氏で、共に大量得票は期待薄である。ナバリヌイ氏は都市部のインテリ層に人気があるが、政権側に汚職事件を徹底追及され、今回も有罪判決が出され、立候補は厳しい状況である。彼も、強敵になりそうな人物を事前に潰す政権側の犠牲者といえる。

今後、国民に広く支持される期待の新星が現れないとも限らないが、プーチン氏が政権を禅譲する形でないと事実上、当選は不可能である。そういう意味では、共産党政治局が権力を掌握していたソ連時代と変わらない。政治局がプーチン氏に変わっただけとも言える。プーチン氏はその次の選挙には憲法の「連続2期まで」の規定により、立候補できない仕組みになっているので、今の政権が変わるとすれば2024年以降となろう。(この項おわり)
     
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする