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(サンクトペテルブルク大学法学部の入口付近。壁にプーチン氏の恩師であるサプチャク氏のレリーフがある)
プーチン大統領(59)は共同アパート近くの193小学校に8年間通ったあと、化学の中等専門学校へ進んだ。そこで優秀な成績を収め、今度は大学の、しかも法学部へ行きたいと言い出し、先生たちをびっくりさせた。実はこの時、情報機関で働く、つまりスパイになることを決意していたのだ。
プーチン少年はすでに、スパイになるには大学の法学部を卒業しないといけないことをKGB(国家保安委員会)支部に出かけて聞いていた。そのためには、難関のレニングラード大学(現在はサンクトペテルブルク大学)法学部に合格しなければならなかった。少年は猛勉強をして、約40倍という狭き門を突破して合格した。
サンクトペテルブルク大学は、ネバ川に囲まれたバシリエフスキー島の岬部分にある。モスクワ大学、極東連邦大学と並ぶ名門大学で、18世紀にピョートル大帝によって創立された。法学部の入口の壁には、ソ連崩壊期に改革派市長として知られたサプチャク氏(故人)のレリーフがある。プーチン氏の学生時代に法学部教授だった恩師で、冷戦終焉後に東ドイツのスパイが不要になり、郷里に帰ったプーチン氏を市幹部に登用してくれた人物である。
プーチン氏が働いていた市庁舎は、1917年のロシア革命当時、ソビエト樹立宣言が行われた旧スモーリヌイ女学校の隣にある。今も中庭にレーニンの銅像が立っている。この市庁舎でプーチン氏はトントン拍子に出世し、第一副市長にまで上り詰めた。
だが、それも長くは続かなかった。96年の市長選でサプチャク市長が敗北し、彼も副市長を辞任せざるを得なかった。2,3ヶ月過ぎても職がなかったので、すでにモスクワへ上った郷里の仲間からクレムリンで働かないかと誘われ、家族でモスクワへ向かった。当時はほかの選択肢がなかったのだ。
我々が訪れた日は雨の日曜日だったこともあり、スモーリヌイ聖堂周辺の公園は閑散としていた。プーチン氏も失意の時期には、このあたりを歩き回ったのでは、と考えると感慨深い。彼も決して順風満帆ではなく、クレムリンに移ってからも、「仕事がつまらないので、やめようと思ったことがあった」と前回のブログで引用した単行本『プーチン、自らを語る』(邦訳)で心境を吐露している。
サンクトペテルブルクは、日本でいえば京都に近いだろう。ピョートル大帝時代からの宮殿が多く、古都の雰囲気が感じられる。郊外に出ると、紅葉が始まっていて、京都の秋を思い出した。プーチン氏もここが好きだったと書いており、何か惹きつけるものがあるのだろう。私もまた、ここに来て古都の雰囲気に浸りたいと思った。(この項、続く)
(サンクトペテルブルク大学法学部の入口付近。壁にプーチン氏の恩師であるサプチャク氏のレリーフがある)
プーチン大統領(59)は共同アパート近くの193小学校に8年間通ったあと、化学の中等専門学校へ進んだ。そこで優秀な成績を収め、今度は大学の、しかも法学部へ行きたいと言い出し、先生たちをびっくりさせた。実はこの時、情報機関で働く、つまりスパイになることを決意していたのだ。
プーチン少年はすでに、スパイになるには大学の法学部を卒業しないといけないことをKGB(国家保安委員会)支部に出かけて聞いていた。そのためには、難関のレニングラード大学(現在はサンクトペテルブルク大学)法学部に合格しなければならなかった。少年は猛勉強をして、約40倍という狭き門を突破して合格した。
サンクトペテルブルク大学は、ネバ川に囲まれたバシリエフスキー島の岬部分にある。モスクワ大学、極東連邦大学と並ぶ名門大学で、18世紀にピョートル大帝によって創立された。法学部の入口の壁には、ソ連崩壊期に改革派市長として知られたサプチャク氏(故人)のレリーフがある。プーチン氏の学生時代に法学部教授だった恩師で、冷戦終焉後に東ドイツのスパイが不要になり、郷里に帰ったプーチン氏を市幹部に登用してくれた人物である。
プーチン氏が働いていた市庁舎は、1917年のロシア革命当時、ソビエト樹立宣言が行われた旧スモーリヌイ女学校の隣にある。今も中庭にレーニンの銅像が立っている。この市庁舎でプーチン氏はトントン拍子に出世し、第一副市長にまで上り詰めた。
だが、それも長くは続かなかった。96年の市長選でサプチャク市長が敗北し、彼も副市長を辞任せざるを得なかった。2,3ヶ月過ぎても職がなかったので、すでにモスクワへ上った郷里の仲間からクレムリンで働かないかと誘われ、家族でモスクワへ向かった。当時はほかの選択肢がなかったのだ。
我々が訪れた日は雨の日曜日だったこともあり、スモーリヌイ聖堂周辺の公園は閑散としていた。プーチン氏も失意の時期には、このあたりを歩き回ったのでは、と考えると感慨深い。彼も決して順風満帆ではなく、クレムリンに移ってからも、「仕事がつまらないので、やめようと思ったことがあった」と前回のブログで引用した単行本『プーチン、自らを語る』(邦訳)で心境を吐露している。
サンクトペテルブルクは、日本でいえば京都に近いだろう。ピョートル大帝時代からの宮殿が多く、古都の雰囲気が感じられる。郊外に出ると、紅葉が始まっていて、京都の秋を思い出した。プーチン氏もここが好きだったと書いており、何か惹きつけるものがあるのだろう。私もまた、ここに来て古都の雰囲気に浸りたいと思った。(この項、続く)