飯島一孝ブログ「ゆうらしあ!」

ロシアを中心に旧ソ連・東欧に関するニュースや時事ネタを分かりやすく解説します。国際ニュースは意外と面白い!

グルジアワイン、4月にはロシア市場にお目見え!

2013年03月29日 13時42分46秒 | Weblog

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ワイン発祥の地と言えばグルジアだが、そこで生産されたワインがロシアとの紛争で禁輸されていたが、7年ぶりに解禁され、4月にはロシアで購入できるようになる。2008年にはグルジア戦争にまで発展した両国の紛争も、ようやくケリがつきそうだ。

 このニュースは、ロシアのインタファクス通信が28日に流したもの。ロシア当局がグルジアのワイン醸造会社2社に「ゴーサイン」を出し、4月にはロシア市場にお目見えするという。ロシアのグルジアワイン愛好家だけでなく、日本の愛好家にとっても嬉しいニュースだ。

 グルジアワインは一般的には甘口のワインとみられているが、辛口、甘口とも種類は豊富だ。東京にもグルジアワイン専門店があり、こちらは禁輸措置に関係なく楽しめる。スターリンが好んだグルジアワインもあるが、元々彼はグルジア出身だから、好きなのは当然とも言える。

 私もモスクワ特派員当時、グルジアに何度か出張したが、見かけは怖そうだが、親しくなるとよく面倒を見てくれるグルジア人が多かった。元来、彼らは尚武の民族で、空手や柔道を好む人が少なくない。日本人と見ると、「柔道か空手ができるか」と聞かれ、多少たしなんでいた私は返答に困ったことがある。

 こういう気質なので、08年には「ロシア人、何するものぞ」とばかり、軍事大国ロシアに無謀としか言えない戦闘を仕掛けたのだろう。そういえば、彼らは宴会で酔うと必ず踊りだし、しかも勇ましい戦いの踊りをみせてくれたのを覚えている。

 グルジアはソ連崩壊後、独立して「民族のるつぼ」とも言われるカフカス地域でしぶとく生き抜いているが、まだまだ貧しく、庶民の生活は苦しい。今回のグルジアワイン解禁を契機に、豊かな国になるよう見守っていきたい。(この項おわり)

 

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ロシアの政商ベレゾフスキー氏が不審死!

2013年03月24日 18時45分39秒 | Weblog
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 エリツィン政権時代、政商としてロシアの政財界を牛耳ったボリス・ベレゾフスキー氏が23日、亡命先のロンドン郊外の自宅で死亡した。67歳だった。自殺したとの報道もあるが、現地警察は不審死の可能性もあるとみて捜査している。

 私が90年代にモスクワ特派員だった頃、ベレゾフスキー氏は新興財閥の総帥として売り出し中で、単独インタビューをしたこともあり、忘れられない人物である。96年の大統領選では、エリツィン大統領の再選に尽力し、その後も病床の大統領を操って政界を動かしていた。ところが、プーチン氏が大統領に就任すると、新興財閥の影響力を弱めようとする大統領と対立し、英国に亡命を余儀なくされた。

 その後は「プーチン憎し」の思いから、亡命先で様々な敵対工作を仕掛けたが、功を奏しなかった。とくに、リトビネンコ元KGB中佐の怪死事件では関与を疑われたが、なんとか逃げ切った。だが、最近は石油利権をめぐる訴訟で敗訴し、破産状態だったとされる。

 ペスコフ・プーチン大統領報道官がインタファクス通信に語ったところでは、2,3ヵ月前、ベレゾフスキー氏から大統領あてに手紙が届いた。その中で同氏は、大きな間違いを犯したことを認めて謝罪を請うとともに、「祖国に帰れるよう助力してほしい」と大統領に頼んだという。

 同氏はユダヤ系ロシア人で、ソ連崩壊の混乱時に数学者から実業界に転身。自動車販売会社を起こし、車の転売で巨額の資産を得た。その資産と政界への影響力を行使して自動車販売業だけでなく、メディア、航空業界などを支配していた。私がインタビューしたのは同氏が爆弾テロに遭い、運転手が死亡、本人も負傷した直後で、事務所に入る際、厳しいセイフティチェックを受けた。インタビュー中も携帯電話がひっきりなしに鳴り、落ち着いて話を聞けなかった記憶がある。

 一代で巨額の富を築いたものの、亡命先で破産状態になり、政敵のプーチン氏に帰国の嘆願をするのは無念だったに違いない。不審死で捜査を受けることになったのも、身から出たサビといえるが、今はロシアの動乱期を一緒に過ごした者として、心から冥福を祈りたい。(この項おわり)

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ロシアの元石油王、最高裁で減刑の可能性浮上!

2013年03月22日 11時27分13秒 | Weblog
 
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 新興財閥の指導者的存在で、当時「石油王」と呼ばれたミハイル・ホドルコフスキー元ユコス社長の刑事事件は今後、ロシア最高裁で審理されことになった。このためプーチン大統領の“政敵”とも言われた元社長は、16年までの禁錮刑の刑期が短縮され、来年にも釈放される可能性が浮上した。

 ロシアの有力紙コメルサントが20日付けの電子版で報じた。この事件は、プーチン政権1期目の03年に詐欺や脱税容疑で逮捕され、05年に禁錮8年の実刑判決を受けた。さらに、10年にも別の事件で有罪となり、刑期は16年まで延期された。プーチン氏が3期目の大統領に復帰した12年の選挙直前に刑期が延びたことから「司法の独立が侵された」と欧米から批判を浴びていた。

 今回の判決見直しは、最高裁の指示によるもので、モスクワ市裁判所が昨年暮れに審理し、刑期を2年間短縮すると決めた。この決定は、メドベージェフ前政権が導入した経済犯罪罰則の緩和措置に基づくものとされているが、専門家は「プーチン政権による政治的決定」とみている。

 今後、最高裁がモスクワ市裁判所から送られてきた一件書類を審理し、同市裁判所の決定が妥当かどうかを判断する。コメルサント紙は「いずれにしろ、ホドルコフスキー元社長には禁錮の刑期が短縮されるか、釈放されるかのチャンスが出てきた」と結論づけている。

 ホドルコフスキー元社長は00年代、石油大手ユコスの社長を務め、新興財閥の指導者的存在だった。さらに、野党の指導者として政界への進出を図ろうとしたため、プーチン大統領ににらまれた。その後も、リベラル派のシンボルとみなされ、刑期を延長された。しかし、11年暮れからの反プーチン運動も収束してきたことから「釈放しても政権の脅威にならない」と判断されたとみられる。

 プーチン政権は昨年5月の大統領復帰後、集会・デモの規制など秩序維持を強化しているが、欧米諸国が人権問題で政権批判を強めているため、ホドルコフスキー元社長の釈放で批判をかわす狙いもある。釈放されれば、国内のリベラル派が勢いづく可能性もあり、政権にとって諸刃の剣となるかもしれない。(この項おわり)
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北方領土問題の世論調査で3人に2人が「柔軟な解決を望む」と回答!

2013年03月18日 10時02分36秒 | Weblog
 
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 北方領土問題の解決を巡り、毎日新聞が全国世論調査を行ったところ、「4島返還を目指すべきだ」と答えた人は29%にとどまり、「柔軟に対応すべきだ」と答えた人が67%にのぼったことが分かった。戦後68年目を迎え、我が国の世論が大きく変化していることを示している。

 18日の毎日新聞によると、この調査は安倍内閣の支持率などと一緒に16、17日の両日、全国で1508世帯を対象に行われた。北方領土問題では、プーチン大統領が日本とロシアが引き分ける決着を主張していることを指摘して、従来通り4島返還を目指すべきか、柔軟に対応すべきかを質問した。

 「4島返還を目指すべきだ」と答えた人は男性の31%、女性の27%で、全体では29%だった。「柔軟に対応すべきだ」と答えた人は男性65%、女性68%で全体では67%だった。男性に比べ、女性の方が柔軟路線の支持者が多かった。また、安倍内閣支持層でも柔軟な対応を支持する人が66%にのぼった。

 この種の世論調査は最近少ないので比較が難しいが、日本経済新聞が2000年9月に行った調査によると、2島のみの返還を望む人が34%となり、4島返還を望む人(32・1%)を2ポイント上回ったという。今回の調査では、4島返還派はさらに減ったことになる。

 日本政府は公式的には今も4島返還を基本方針にしているが、交渉でロシア側から“満額回答”を引き出せると思っている人は少ない。そのことを今回の調査結果が明確に示したといえる。政府はこうした世論をしっかり受け止め、現実的な解決策を早急にまとめる必要がある。

 そこで参考になるのは森喜朗・元首相が最近示した3島解決論だ。2と4の中間を取ったもので、国後島と択捉島の中間に国境線を引くという案だ。また、面積等分案という考え方も出ている。4島を面積で2等分し、択捉島の真ん中に国境線を引く案である。そのほか、2島プラス2島共同管理などの案もある。

 これまで日本政府はこうした具体案が浮かぶと、すぐ否定し、事実上解決案を封印してきた。だが、それこそ国民の意思を無視することにつながる。むしろ積極的にアイディアを国民から吸い上げるべきだ。今流行のCM風に言えば、「いつ議論するのか?それは今でしょう!」(この項おわり)
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ロシアで国際婦人デー100周年を祝う行事!

2013年03月10日 11時54分49秒 | Weblog
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 3月8日といえば国際婦人デーが頭に浮かぶ。モスクワに特派員として駐在していた6年間、この日は職場のロシア人女性に花束などをプレゼントするのが習慣というか、義務になっていたからだ。今年ロシアでは、この日が制定されてから100周年にあたり、華やかに祝われたとメディアが伝えている。

 モスクワでは3月といってもまだ寒い日が続いているが、この日は街の花屋の前に人だかりができ、ロシア人にとっては高価な花を次々に買っていたのを思い出す。職場では男たちが花束やチョコレートを女性にプレゼントし、シャンパンで乾杯して日頃の働きに感謝の言葉を述べていた。

 国際婦人デーは日本では馴染みが薄いが、元々は1904年のこの日、ニューヨークで女性労働者が婦人参政権を要求してデモを起こしたのが始まりだった。これが欧州に伝わって「女性の政治的自由と平等のために闘う」記念日となった。ロシアでは、1917年に首都ペトログラード(現サンクトペテルブルク)で行われた女性労働者中心のデモが兵士を巻き込んだ大規模蜂起となり、二月革命に発展した。

 国際婦人デーがソ連で祝日になったのは1966年のこと。ただ、政治的な記念日という性格は薄れ、女性の美しさや母性を称える日に変わっていった。ソ連が崩壊してからもこの行事は続いているが、女性を称える日、あるいは女性を可愛がる日として定着している。

 ロシアの世論調査によると、男性の半数が同僚の女性にプレゼントを贈っている。9%の男性は職場でこうしたプレゼントをあげていないが、経済状態が悪い、職場に女性がいない、などを理由にあげている。その一方で、「残る364日は男性の日だから」とクールに受け止める女性も少なくない。

 この日、モスクワでは100周年を記念する様々な行事が行われた。クレムリン隣の展示館では、20世紀初めのアバンギャルド時代に活躍した女性イラストレーターによる「アバンギャルドから今日までのフェミニズム」展覧会が開催中。そのほか、コンサートやミュージカルも行われたという。

 ロシア人を悪く言う日本人が少なくないが、男性が女性を大切にする習慣は見習うべきだと思った。ヒゲもじゃのむくつけき男性でも、女性にはやさしく、車に乗る時でもまず先に女性を乗せていた。私のように、レディーファーストの習慣をロシアで習ったと言う男性も多いのではないだろうか。(この項おわり)
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ロシアの隕石落下を信じていない住民が2割もいる!?

2013年03月06日 11時35分35秒 | Weblog
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 ロシア中部ウラル地方のチェリャビンスク州を襲った2月15日の隕石落下は、建物の窓ガラスなどの破損で1500人近い負傷者を出したが、未だに隕石落下を信じていない住民が2割もいるとの世論調査結果が明らかになった。

 全ロシア世論調査センターがこのほど、チェリャビンスク州の住民を対象に調査し、その結果が6日付けのコメルサント紙(電子版)に掲載された。それによると、被害の原因を隕石の落下と考えている人は73%にとどまり、「わからない」と答えた人が13%、兵器の実験が行われたと思う人が3%、ロケット発射失敗と見る人が2%、UHO(未確認飛行物体)の破壊という人が1%いた。

 このように被害の原因が割れた大きな理由は、当局が事実を隠していると見る人が半数近い46%に上っていることがあげられよう。また、隕石落下は予測不能で自衛できないと考えている人は64%に上ったが、その一方で、落下を阻止できないとしても、被害を最小化することはできたはずだとみている人が29%いた。

 また、隕石落下でどんな被害を受けたかとの質問に対し、最も多かったのは「びっくりした」などの心理的被害を受けた人で、32%いた。次いで、ガラスの破片などでケガをした人が3%、経済的損害を受けた人は14%だった。

 州当局が隕石落下から3日後に発表した被害のまとめによると、ガラスが割れるなどの被害を受けた建物が4715棟で、このうち3724棟が住居だった。負傷者は1491人にのぼり、このうち子供は311人いた。ケガをした人はともかく、そうでない人にとっては、とにかく驚いたというのが本音だろう。

 それにしても、隕石落下から3週間近く経つのに、未だにそれを信じていない人が2割もいるということに驚く。ロシア国民はこれまで、政府や行政側にウソをつかれていた、あるいは事実を知らされなかったことが多く、すっかりトラウマになっているに違いない。旧ソ連崩壊から20年以上たっても、全体主義国家の負の遺産から逃れられないということだろうか。(この項終わり)
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日露フォーラムが成功した理由を分析する!

2013年03月03日 17時54分52秒 | Weblog
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 2月28日に東京・飯田橋で開かれた「日本・ロシアフォーラム」(毎日新聞とロシア新聞の共催)は、500人を超す聴衆で埋まり、この種のフォーラムとしては大成功に終わったといえよう。この催しを近くで見た一人として、成功した理由を振り返ってみたい。

 最大の理由は、安倍晋三首相のロシア訪問を控えた絶好のタイミングで行われたことだ。このことはフォーラムでの主催者や来賓挨拶で異口同音に触れられていた。その意味で、安倍訪露の地ならし役として1週間前に訪露、プーチン大統領と会談した森喜朗元首相が特別講演したことも成功の一因だろう。

 第二に、中国や韓国との間で領土紛争が起き、貿易や交流にも支障が出ている中で、ロシアが交易や交流の相手として見直されてきたことも挙げられよう。実際、資源やインフラ、ITをテーマにした分科会では、多くの企業関係者がパネリストの話に熱心に耳を傾けていた。

 第三に、ロシアから様々な業種の専門家がフォーラムに多数参加し、日本の企業幹部や研究者と意見を交わす機会ができたことだ。これまで日露交流といっても政治家や学者がほとんどで、実務レベルの真の交流の場が少なかった。ロシアからの参加者は口々に、このフォーラムを毎年開くべきだと話していた。

 ロシアは社会主義政権のソ連が崩壊、西側と同じ価値観の国家に生まれ変わってから22年目を迎える。しかも、ロシアは日本にとって地理的に一番近い国だが、フォーラムを傍聴して、依然としてお互いをよく知らず、「近くて遠い国」という状態が変わっていないなと痛感した。

 ロシアに15歳の時から15年間暮らし、アンチ・ウイルスソフト製造のカスペルスキー日本法人社長を務める川合林太郎氏が分科会でこう語った。「日本人が考えるロシアは、資源・KGB・錦糸町のおねえさんしかない。ロシアは政治的に悪いイメージがあって、パソコンを預けたら情報を全部抜かれてしまうと思っている人が年配の人に多い。ロシア人と接触する機会を錦糸町以外でもっと持って欲しい」。

 一方、異文化コミュニケーションを研究しているストノーギナさんは「日本人はビジネスで時間をきちんと守りたいと思っているが、ロシア人は10分ぐらい遅れても問題ないと思っている。日本とロシアはメンタリティーの半分くらい似ているが、残りの半分は全く違う。ロシア人がこの違いを感じると“日本では仕事できない”と思ってしまう」と話した。

 要するに、日露間の交流が少ないため、小さな誤解でも大きな問題に発展してしまう恐れがあるというのだ。これはビジネスに限らず、政治問題でも大いにありうることだろう。こういうことをなくしていくには政府間だけでなく、民間の交流をどんどん増やしていくしかない。

 そのためにも、こうしたフォーラムを続けていくのが当面最良の方策だと思う。民間交流を拡大していくことで、日露間の懸案の領土問題解決の糸口も見つかるだろう。日本のことわざでいえば「急がば回れ」ということだ。日本とロシアには同じようなことわざが多いというが、ロシアにもこれに似たことわざがあるに違いない。(この項終わり)
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