飯島一孝ブログ「ゆうらしあ!」

ロシアを中心に旧ソ連・東欧に関するニュースや時事ネタを分かりやすく解説します。国際ニュースは意外と面白い!

旧満州のハルビン学院記念碑祭、開校百年を限りに幕引きか?

2023年04月21日 18時15分27秒 | Weblog

 (ハルビン学院記念碑祭であいさつする麻田恭一・同窓会連絡所長)

日露戦争後、旧満州(中国東北部)に設立されたハルビン学院を偲んで続けられてきた記念碑祭が開校百年の今年限りで見直しを迫られることになった。記念碑祭はコロナ禍で3年間、中止となり、ようやく4月21日、4年ぶりに開催されたが、支えてきた人たちが引退するなどして、開催が難しくなったためだ。

この日、午前11時から始まった慰霊碑祭に参加したのは64人。卒業生は26期の奥田哲夫さん一人で、そのほかは卒業生の遺族と関係者だった。前回の参加者は98人だったので、3割以上減ったことになる。あいさつに立った奥田さんは「私は昭和20年に入学したが、学校の先輩は全員戦争に駆り出された。8月に終戦と聞き、ホッとしたのを覚えている」と当時を振り返っていた。4日前に妻がガンで亡くなったことを明かし、「突然でびくりした。健康第一だと思った」としみじみ語っていた。続いて、この3年間に亡くなった人たちの遺品などがカロートと呼ばれる地下の墓所に収納された。その後、全員で寮歌「松花の流れ」を歌った。

この後、全員が近くの旅館に集まり、今後の記念碑祭のあり方について話し合った。まず、ハルビン学院同窓会連絡所の麻田恭一所長がこれまでの経緯を説明した。父親の平蔵さん(故人、恵雅堂出版社長)が24期の卒業生だったことから1955年以降、同窓会事務局を引き継ぎ、社員を動員して記念碑祭を取り仕切ってきた。「この3年間、支えてくれた社員が引退し、会社として記念碑祭をこのままの形では支えられなくなった。家族会のような形ならできると思う。皆さんのご意見をお聞きしたい」と語った。

その後、資金面などの話も出たが、具体的な提案はなく、麻田所長が引き続き検討することで閉会した。今後、所長が具体的な提案をまとめ、会員に示す形になりそうだが、これまでのような記念碑祭は続けられそうもなく、事実上、幕引きとなりそうだ。

ハルビン学院は、日露戦争で勝利した日本の政財界が、日露両国民相互の親睦を図る目的で1906年4月に創立した「日露協会」が前身。その後、ロシアの専門家を育成する目的で1920年、ハルビン郊外の馬家溝(まじゃこう)に学院が設立された。日本全国から学生を募集したが1945年、終戦とともに閉校となった。25年間に卒業した生徒は、終戦直前に繰上げ卒業になった生徒も含めて1,514人。敗戦で多くの生徒がシベリアへ抑留されるなどして、多数の死者が出ている。(この項終わり)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旧満州のハルビン学院、開校100年の記念碑祭を4月21日に開催!

2023年04月09日 23時13分46秒 | Weblog

       (2019年4月の記念碑祭の時の写真)

旧満州(中国東北部)にロシア専門家養成の専門学校として1920年に創立された「日露協会学校」(その後、「ハルビン学院」と改称)の開校100年を祝う記念碑祭が4月21日、東京・八王子の高尾霊園で開催される。当日は全国から卒業生やその家族らが集まり、亡くなった卒業生らの霊を弔う。

この学校を異郷の地につくったのは満鉄(南満州鉄道株式会社)の初代総裁だった後藤新平だ。満鉄は日露戦争で勝利した日本が、ロシアから譲渡されたシベリア鉄道の南満州支線と附属地を経営する会社。後藤はロシアと共存する道を探るため、ハルビン学院を創設したという。

同学院は、日本国内から広く学生を集め、ロシア語をベースに幅広い教養を身につける教育を進めた。だが、第二次大戦で日本は連合国に敗れ、満州国はソ連軍に進攻されて崩壊。学院も創立25年で閉校となった。卒業生は、繰り上げ卒業になった生徒も含め1、514人だが、生存者は現在数十人とみられている。

開校100年の記念碑祭は2020年に行われる予定だったが、コロナ禍の影響で延期され、ようやく今年行われる運びとなった。当日は高尾霊園にある、カロートと呼ばれる墓所で記念碑祭が行われる。卒業生代表が挨拶したあと、出席者全員で校歌を合唱する。

その後、参加者は近くの旅館に集まって近況を語り合う予定。記念碑祭を支援しているハルビン学院連絡所の麻田恭一代表は「開校100年は大きな区切りだが、今後のことはみなさんのご意見を聞いて決めたい」と話している。(この項終わり)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ロシア・ウクライナ戦争で欧米諸国はウクライナに入れ込み過ぎでは?

2023年04月08日 17時48分31秒 | Weblog

ロシア軍がウクライナに攻め込んでから1年2ヶ月が過ぎたが、戦闘は激しくなるばかりで、停戦の動きが見えてこない。米国など欧米諸国がこぞってウクライナの支援に回っているから、との見方が根強い。日本も例外ではない。岸田首相はウクライナを訪問して多額の援助を約束したが、これでいいのだろうか。

プーチンは2001年に大統領選に当選してから、与党独裁体制を敷き、垂直統合型の制度改革を推進した。当初は親欧米路線を目指し、米国とも信頼関係を築こうと努力していた。だが、二期目に入ってから、ソ連崩壊による国力低下を実感するようになり、ロシアを復興させ、再度大国にしようとした。だが、欧米はロシアを二流国に止めようとしているように見えた。その最大の指標は、NATOの東方拡大だった。

2004年には、バルト3国とスロバキア、ブルガリアなど計7カ国がNATOに加盟した。これに対し、プーチンは2007年のミュンヘン安保会議で東方拡大を痛烈に批判した。さらに、2008年にはウクライナとジョージアを原則的に加盟させることが決まり、ついにロシアの国境まで拡大することになったのだ。

このため、ジョージアのサーカシビリ大統領が、ロシアと係争関係にあったオセチアへの影響力を拡大しようと軍を動かした。ロシア側も軍を動かし、軍事衝突が起きた。これはロシア側の勝利に終わったが、親欧米路線をとるなら軍事攻撃も許さないというロシアの本音が浮き彫りにされた。

プーチンがそこまでNATOを嫌うのは、ロシアが何度も外国から侵略された経験があるからだ。13世紀にはモンゴルに侵略され、「タタールのくびき」と呼ばれた。19世紀にはナポレオンにモスクワまで攻め込まれた。こうした経験は、ロシアでは広く受け入れられていて、ロシア人の思想に骨肉化していると言えよう。

今回の戦争では、米国はロシアを強く批判し、軍事面と経済面で強力にウクライナを支援している。今や米国とロシアの代理戦争ともいえる。中でも、米国はバイデン大統領が支援を取り仕切っているため、停戦への道筋が見えてこない。米国とロシアに信頼される指導者が仲介に入らないと、現状は打開できないのではないだろうか。(終わり)

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする