飯島一孝ブログ「ゆうらしあ!」

ロシアを中心に旧ソ連・東欧に関するニュースや時事ネタを分かりやすく解説します。国際ニュースは意外と面白い!

19回目のハルピン学院記念碑祭、高尾霊園で開催!

2018年04月16日 22時35分44秒 | Weblog


 (参加者全員でハルピン学院寮歌「松花の流れ」を合唱)

中国東北地方(旧満州)にロシア語のスペシャリスト養成のため設立されたハルピン学院の卒業生らが集う第19回ハルピン学院記念碑祭は4月16日、東京都八王子市の高尾霊園で開かれた。これまでずっと記念碑祭のまとめ役を務めてきた麻田平蔵さん(24期)が今年2月に亡くなった他、この1年間にわかっているだけでも計8人が鬼籍に入り、卒業生の参加者は4人に止まった。

例年4月16日に開かれている記念碑祭では、霊園の中の桜が咲き乱れ、花吹雪の中での慰霊祭になっていたが、今年は大半の桜が散ってしまい、心なしか、彩の少なさが感じられた。25期の中村誠さん(91)の開会の挨拶で始まり、卒業生とその遺族や家族ら全員で1分間黙祷した。続いて、この1年間に亡くなった卒業生8人の分骨や遺品が共同墓地に収められた。

この後、例年麻田平蔵さんが卒業生の現況報告を行うのだが、今回は2月8日に亡くなった平蔵さんに代わって息子の恭一さんが報告。生前、平蔵さんと話をした結果、「卒業生の高齢化が進んでいるので、懇親会を屋外で行うのは考え直そう」ということになったと語り、今回霊園内の龍雲閣で行うことにした経緯を述べた。続けて恭一さんは「今後記念碑祭をどう続けていくかをみなさんと相談したい」と呼びかけた。卒業生1,412人のうち、生存者は4月9日現在、76人となり、とうとう80人を切ったという。

現況報告の後、参加者全員でハルピン学院寮歌「松花の流れ」を合唱した。麻田平蔵さんが生前、テープに吹き込んだ寮歌をバックに歌い、記念碑祭を支えてきた平蔵さんをしのんだ。最後に、26期の奥田哲夫さん(89)が閉会の辞を述べた。この中で、生存している卒業生がこの5年間で急激に減ったと語り、「記念碑祭が永久に続くよう、みなさんのご健康とご協力を祈念します」と述べた。また、最高齢の上野信男さん(93)も飛び入りで発言し、「体の調子が良くなり、参加できた。これからも生ある限り、参加したい」と意気込みを語った。

ハルピン学院は日露戦争から日本の敗戦までの間、日本の支配下にあった満州国のハルピンで1920年、開校された。当時は外務省所管の旧制専門学校だったが、1932年にハルピン学院と改称、40年に満州国国立大学に昇格した。1945年、日本の敗戦に伴い、解散された。戦後、同窓会が開かれていたが、1999年4月、同窓会を閉じて記念碑祭として続けられてきた。2020年に創立100年を迎えることから「それまで頑張ろう」が卒業生の合言葉になっている。(この項おわり)
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