飯島一孝ブログ「ゆうらしあ!」

ロシアを中心に旧ソ連・東欧に関するニュースや時事ネタを分かりやすく解説します。国際ニュースは意外と面白い!

鳩山前首相がモスクワへ飛んで遭遇した皮肉な事態とは?

2010年08月30日 11時03分01秒 | Weblog
 民主党の代表を決める選挙を控え、鳩山由紀夫前首相は急きょモスクワへ飛び立った。息子紀一郎氏の単行本出版記念パーティーに出席するためだったが、そこで待っていたものは…

 30日付けの英字紙モスコー・タイムズの記事によると、鳩山前首相一行は26日夕、モスクワのドモジェドボ空港に到着、リムジンでモスクワ市庁舎に向かった。ところが運悪く夕方のラッシュにぶつかり、車は身動き取れなくなってしまった。わずか45キロの距離だったが、このままでは記念パーティーに間に合わないのは明らかだった。

 それを聞いたパーティー主催者のルシコフ・モスクワ市長は市長権限で警察に一行のエスコートを要請、警察の力をフルに使ってリムジンを会場に誘導した。それでも予定時間を1時間半も遅れたため、鳩山前首相は遅刻を謝罪、ルシコフ市長に警察のエスコートを感謝したという。

 ところで、この単行本のタイトルはというと『モスクワ:メガポリスの交通問題』、つまりはモスクワの深刻な交通渋滞をいかに解決するかという紀一郎氏が専門とする研究テーマをまとめたものだった。だが、当然のことながら、この本の中では渋滞解決策として警察にエスコートを依頼するというケースには言及していない、とモスコー・タイムズ紙は皮肉っている。

 さらに同紙は、鳩山前首相は次回再び市庁舎に来ることがあっても、市職員や運転者が単行本について質問してくると困るので、警察にエスコートを依頼しないだろうとも書いている。民主党の運命を大きく変える代表選の最中にわざわざモスクワを訪れた鳩山前首相だったが、飛んだ赤恥をかいたことになる。
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メドベージェフ露大統領、森林保護のため道路建設を凍結!!

2010年08月27日 09時08分23秒 | Weblog
 モスクワ郊外の「ヒムキの森」保護を求める市民運動が高まっている中、メドベージェフ大統領は26日、森林伐採を凍結するようロシア政府に命じたと自分のブログで明らかにした。ロシアでこうした草の根運動が政権を動かすのは異例のことで、自然保護活動家らは「人々が要求すれば岩をも動かすことができる」と大統領決定を歓迎している。

 ヒムキの森は、モスクワ北方のシェレメーチェボ国際空港の近くにあり、樫の木の原生林が生い茂っている貴重な自然の宝庫だ。ところが、モスクワとサンクトペテルブルグを結ぶ有料自動車道の建設ルートにかかっているため、自然保護活動家らが政府に対しルート変更を求めて運動している。7月に入り政府側が森林伐採を強行したため、対立が激化していた(7月23日の「飯島一孝ブログ」を参照)。

 大統領はブログの中で、「与党『統一ロシア』や市民グループ、専門家サークルがこの問題をさらに検討する必要があると言っているので、専門家らによる協議が終わるまで道路建設を凍結するよう指示した」と述べている。これまで大統領はこの問題について「検討する」と答えていたが、凍結という明確な措置を決めたのは、大統領がロシア南部のリゾート地ソチの大統領別邸に招いたロックバンド「U2」のボーカル、ボノ氏(50)が、モスクワでのコンサートで建設中止を呼びかけたのが直接のきっかけらしい。

 大統領のロック好きは有名で、わざわざボノ氏を招いて懇談したのも、憧れのボーカリストに会いたい気持ちが強かったからだろう。ボノ氏は環境問題やエイズ撲滅運動に熱心で、懇談した際もアフリカのエイズ撲滅キャンペーンへの協力を大統領に求めていた。ヒムキの森問題については、この懇談で取り上げなかったことから、ボノ氏はその後、自然保護活動家らと会った際、この問題を支援すると約束していた。

 2011年の下院選、12年の大統領選を控え、このところ各地で市民運動が活発化している。とくにロシア西部の飛び地であるカリーニングラードでは、交通税の値上げを契機にプーチン首相の辞任を求める1万人規模の反政府集会が発生。メドベージェフ大統領は、この責任を取らせる形でボース州知事を再任せず、与党の地区指導者を新知事に任命している。

 この背景には、「政治の季節」を前に市民運動を沈静化させようというメドベージェフ政権の配慮がある。その一方では、環境や自然保護を重視しようという大統領らリベラル派の意向も感じられる。いずれにしろ、何でも力で押させつけようという、プーチン政権以来の強権主義に変化が見られることだけは確かなようだ。

 

 

 
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旧ソ連の保守派クーデターから19年たって思うことは・・・

2010年08月22日 10時35分47秒 | Weblog
 1991年8月19日早朝、ソ連のKGB議長や国防大臣が軍隊を動員して起こしたクーデターから19年たった。ソ連を崩壊しかねない新連邦条約締結を阻止しようと、ゴルバチョフ大統領を軟禁したが、大統領は説得に応じなかったため非常手段に訴えた。だが、ソ連からの独立を目指していた共和国や改革派市民らがクーデターに抵抗、わずか3日でクーデターはつぶれてしまった。

 この事件をきっかけに始まったソ連国内の権力闘争は4カ月後にソ連を解体に導き、長かった東西冷戦を最終的に終わらせたのである。いわば20世紀最後の国際的大事件だったが、大学の国際時事やメディア論の講義でこの事件を取り上げても「私が生まれる前の話なので分かりません」とあっさりいわれ、がっくりくることが少なくない。

 ロシア国内でも、いまやメディアで取り上げられることはほとんどなく、クーデター未遂事件は歴史の中に埋没しかねない状況だ。しかし、モスクワ特派員として赴任した直後に起きた事件で、ソ連崩壊など当分ありえないと思っていた私にとっては驚天動地の大事件であり、今も当時の帝国崩壊のドラマが頭から消えない。

 大半のロシア人は、社会主義のくびきから解放され、KGBの24時間監視体制からも脱することができ、一時は興奮状態だったが、準備もなく市場経済に移行した反動で社会が大混乱に陥り、市民の生活も苦しくなったことから一気に熱が冷めた。プーチン大統領時代に入ってようやく社会が落ち着き、経済も上向きになってほっと安堵したというのが実感だろう。つまり、クーデターからソ連崩壊への変動は思い出したくない歴史の一こまといえる。

 大統領がプーチンからメドベージェフに代わり、欧米との貿易や人的交流がさかんになり、冷戦から国際協調に移った今、改めてロシアでは欧米と本当に仲良くなれるのかという問題が浮上している。昔から親欧米派とスラブ派との対立があったが、今でも欧米とアジアのはざ間で「ロシアはどこと向き合うべきか」の論争が絶えない。

 バザノフ・ロシア外務省付属外交アカデミー副学長は20日付けのモスコー・タイムズ紙(電子版)に寄稿した論文で、西側との親密な関係を阻んでいる要因を五つあげている。第一に「西側は敵だ」と教え込まれた冷戦時の記憶、第二に世界一大きい国であるロシアの地政学的問題、三つ目にロシアの権威主義、四つ目にエネルギー供給大国、五つ目に汚職と組織犯罪だという。

 だが、パザノフ副学長はこうした障害はあるものの、ロシアはいま経済の現代化と多様化を迫られており、歴史上初めてロシアと西側の政治・経済・社会のモデルが反目していない状況にあると指摘している。それだけロシアと西側が一体化してきたということで、パザノフ副学長は「ロシアは今後二度とソ連型の孤立化政策は取らないだろう」と断言している。

 一方では、ロシアの民主主義を巡って西側には依然「ロシア異質論」が根強く残っていて、今後ともロシアをEUやNATOに加えることは考えられない。ロシアにも「ロシアはロシアだ」という意見が強く、欧米に擦り寄ることはありえない。ロシアは今後何を目指し、どういう国を作っていくのか。それが見つからなければ、クーデター未遂事件の本当の意義も分からないだろう。

 
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ロシアの森林火災でプーチン首相を名指しする批判飛び出す!

2010年08月20日 09時44分20秒 | Weblog
 ロシアで今夏起きた猛暑による森林火災は下火になりつつあるが、ここにきてプーチン首相を名指しして批判する意見が出てきた。全体としてプーチン人気は依然高いが、その人気にもほころびが目立つようで…

 プーチン批判を掲載したのは、18日付けのモスコー・タイムズ紙(電子版)だ。この新聞は英字紙ということもあって、政権側に耳の痛い批判でも臆せずに掲載することでモスクワっ子の信頼を得ている。

 批判記事を書いたのは、女性記者のユーリア・ラティニナさん。「プーチンの優先事項」というタイトルで、次のように書いている。

 モスクワ近郊のある地区では1千件以上の火災が起きたが、犠牲者も家屋の被害もなかったことをあげ、今回の森林火災とスモッグは自然災害というよりも「人災」だと主張する。そして災害対策には①被害を予測するシステム②すばやく反応する能力③専門家を現地に派遣する能力、の三つが必要だと指摘する。

 ところが、災害対策の先頭に立つべきプーチン首相は、この時期にリゾート地のクリミヤ半島に旅行して大型オートバイのハーレー・ダビッドソンを乗り回したり、飛行機を操縦して火災現場の上空から放水したりしていて、政府の責任者として本来、優先すべき事項が違っていると批判している。

 プーチン首相は、このところ人気取りのパフォーマンス的行動が目立っている。夏休みになると、上半身裸で戸外でスポーツに興じている写真などが通信社から流され、新聞で大きく取り上げられている。だが、ラティニナ記者は、今はそんなことをやっている場合ではないとして、政府は災害の実態を早急に調査すべきだと主張。①モスクワやその近郊に妊娠中の女性が何人いて、胎児にスモッグがどんな影響を与えるのか②スモッグで何人死んだのか③肺がんなどで今後何人死亡する危険性があるのか、の三つについて回答を求めている。

 プーチン首相は前任のエリツィン大統領に首相として指名されてから11年たつ。その間、大統領を2期8年、その後、メドベージェフ氏に大統領職を譲って自らは首相に就任して3年目になる。国を操縦する術には長けたが、国民目線からは離れすぎてきた感じがする。ロシア国内では12年の次期大統領選に再度立候補するのではという見方が依然として強いが、そろそろ政治の表舞台から離れる時期に来ているのではないだろうか。

 
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ロシアの森林火災は報道されている以上にひどい状態!?

2010年08月16日 15時17分58秒 | Weblog
 7月半ばから始まったロシアの森林火災は約1ヶ月たったが、予想以上に被害が拡大しており、行政が対応できていない現状が次第に明らかになってきた。ロシアのブロガーは、テレビをはじめ大手メディアが事実を伝えないことに憤慨し、ネットを通じて真実を伝えようと発信しているためだ。

 英字紙モスコー・タイムズが16日までに掲載した寄稿文によると、国家の統制を受けているテレビ局は森林火災とそれによって生じたスモッグについての情報をできるだけ伝えないようにしている。それは国民に間にパニックが起きるのを防ぐためだとし、ソ連時代の1986年に起きたチェルノブイリ原発事故に関するソ連政府の対応を思い起こすものだと指摘している。

 その具体的な事例として、寄稿文では森林火災による死傷者数がはっきりしないことをあげている。政府当局はマスメディアに対し「死亡率が少しづつ増えている」というようなあいまいな発表しかしていない。唯一、モスクワ市の保健責任者は「普段は死者は1日当たり360人から380人の間だが、今は約700人にのぼっている」と増加振りを説明している。ところが、ネットでは「死者は数倍に達し、死体置き場は満杯になっている」と伝えている。

 さらに、寄稿文では、首都モスクワ市当局は給水車を街頭に出して老人や子供に水を配るなどの措置を取っていないと非難している。これはルシコフ市長が欧州で夏休みをとっていて、スモッグの被害が深刻化しても帰国しなかったことが響いていると断罪している。しかも市当局は市長が欧州で夏休みを取っていた事実を隠していたという。

 このほか、モスクワ近郊のトベリ市では、火災の警報装置や消化機材が不足し、森林火災の拡大を防げなかったという。こうした状況はそのほかの地域でも同様で、消化対策が国全体としてお粗末だと指摘している。

 寄稿文の中で、筆者が厳しく糾弾しているのは州知事や市長が公選制から任命制に変更され、地方住民の意向が軽視されてきたことだ。これはプーチン首相が大統領時代に中央集権を強化するため取った政策で、間接的に首相を批判していることになる。

 この寄稿文の通りだとすれば行政の責任とともに、国家の統制に従っている大手マスメディアの責任もある。ソ連時代、当時のゴルバチョフ書記長はチェルノブイリ事故を契機にグラスノスチ(情報公開)を実現したが、メドベージェフ政権は今回の過を転じて福とすることができるだろうか。
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ロシアの猛暑で環境汚染止まず、首都移転論まで出始める!?

2010年08月12日 09時43分02秒 | Weblog
 ロシアで今夏、異常な猛暑から始まった天候異変は森林火災の拡大で、首都モスクワの環境汚染にまで及んできた。このため、モスクワから避難する外交官が急増し、ロシア政府内でも首都移転論が出始めている。

 モスクワ周辺の環境汚染は日ごとに進んでいて、森林火災による煙が首都に充満、煙幕でかすむクレムリンの映像をメディアが連日伝えている。まるで19世紀の産業革命期に煤煙で曇ったロンドンのセピア色の写真を見るようだ。

 11日付けの独立新聞(電子版)によると、外交官避難の直接のきっかけをつくったのは、ショイグ露非常事態相の「ブリャンスク州の火災で放射線値が上がっている」という発言だった。ブリャンスク州はモスクワの南にある州で、危険を察知した国々があわてて避難を始めたのだ。

 最初にドイツ政府がロシア駐在の大使館一時閉鎖を決定、外交官を引き上げさせた。続いてブルガリア政府が避難を決めると、オーストリア、ポーランド、カナダなどが次々に外交官の妻子を本国に帰還させた。一方、米国政府は自国民のロシア渡航を自粛するよう警戒警報を出している。

 こうした状況に、ロシア政府内でも「このままでは外交関係にも支障が出る」として首都移転論が出始めている。プーチン政権からメドベージェフ政権に移っても主流派を占めるサンクトペテルブルク人脈(略してピーテル人脈という)を中心に、サンクトペテルブルク移転論が出ているが、そのほか、シベリアの中心地ノボシビルスクやボルガ川支流のサマラなども移転候補地に上がっている。

 今回の環境汚染は少なくともあと3週間くらい続くとみられている。9月に入ると、メドベージェフ大統領が世界各国の首脳を招いてヤロスラブリ・フォーラムを開催するなど、国際行事が目白押しだ。この状態がいつまでも続くと「大国ロシア」の沽券に関わる。夏休み返上どころか、飛んだところでメドベージェフ大統領に正念場がやってきた。

 
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ロシアの警察「ミリツィア」を帝政時代の名称に戻す改正案!

2010年08月09日 09時31分29秒 | Weblog
 ソ連時代の警察名称「ミリツィア」を帝政ロシア時代の「ポリツィア」に戻すことなどを盛り込んだ改正案が、メドベージェフ大統領のイニシアチブでまとまった。今後議会の審議などを経て来年1月から施行される。

 警察官の汚職や犯罪が多発し、国民の警察不信が頂点に達していることから、大統領主導で警察法の改正作業が進められてきた。その中でも一番の目玉が警察名称の変更である。

 現在の名称「ミリツィア」は1917年のロシア革命後、帝政ロシアの「ポリツィア」に代わるものとして採用された。基本的には地方ソビエトに直属する組織(民警)としてつくられた。それと平行して国家保安機関(政治警察)も設立された。その後、連邦内務人民委員部(NKVD)が設置され、民警も内務省機構の一部となった。スターリン時代の粛清時には、深夜の呼び出しや拷問が頻繁に行われ、「恐怖の警察」というイメージが染み付いた。

 今回の改正では、名称の変更とともに警察活動の範囲を明確化し、法の抜け穴を封じる方策が取られているという。メドベージェフ大統領は「新しい法律によって警察はプロの専門集団になる。改正案を読めば警察のすべてを知ることができる」とコメントしている。

 この法案は7日、ロシア政府のウエブサイトにアップされ、国民からのコメントを受け付けている。国民の意見を吸い上げて議会審議の参考にしようというもので、アップから24時間で2000件以上のコメントが寄せられたという。

 法律専門家などから「警察に対する国民のコントロールをどうやって行うかがはっきりしない」「あいまいな表現が多い」などの意見も出ており、議会審議ではかなり修正される可能性もある。

 今回の改正案は、法律家出身のメドベージェフ大統領が力を入れて進めてきたもので、懸案の司法改革に直結する重要な法案だ。リベラル派の大統領はプーチン流の強権主義を脱却し、本来の民主主義実現を目指しており、この法案はその試金石となるだろう。 
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ロシアでも新聞の時代からインターネットの時代へ!?

2010年08月06日 10時23分05秒 | Weblog
 ソ連時代、新聞の発行部数は世界最高水準にあったロシアだが、このところ部数も売上高も大幅に落ち込み、インターネットが主流の時代になりつつある。

 6日付けの有力経済紙コメルサント(電子版)によると、昨年の新聞購読率は5年前に比べ17・4%ダウン、広告売上高はもっとひどく35%も減った。世界中では前者が0・8%ダウン、後者は17%の減だった。欧米では最近倒産したり廃業に追い込まれる新聞が増えているが、ロシアでも新聞業界の危機感が募っている。

 とくに変化が目立つのは、新聞広告の落ち込みだ。これまで広告収入は全体の20・8%あったのに昨年は16%にダウンした。これに代わってインターネットの広告が年30%近く伸びていて、新聞業界を脅かしている。

 ロシアで最も人気のあるサイトは、コムソモーリスカヤ・プラウダ紙のサイトで、月に12万6000人の閲覧者があるという。同社のスンゴルキン編集長は「今ネット広告は広告収入の約8%だが、今後5年間で35-40%に増えるだろう」と話している。

 この新聞は、ゴルバチョフ書記長がソ連末期に始めたグラスノスチ(情報公開)当時、軟派系の新聞として人気を集め、一時は発行部数が1320万部に膨れ上がった。ところが、ソ連崩壊後、部数が激減し、今は20万部前後に落ち込んでいる。今ロシアで一番売れている新聞でも200万部台で、共産党機関紙プラウダの部数が1千万部以上もあった時代が夢のようだ。

 今日本でもインターネットが幅を利かせ、「紙の新聞はまもなく消えるのでは」という悲観論も出ている。ロシアの新聞が振るわないのは、市場経済への移行期に経営難から大資本の傘下に入り、大資本の言いなりになって読者の信頼を失ったことが響いている。今度はネットに追い込まれている新聞業界だが、なんとかこの逆境を跳ね返してほしいものだ。
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リベラル派・パンフィーロワ人権会議議長の辞任、波紋広がる!

2010年08月02日 09時39分22秒 | Weblog
 ロシア大統領会議の人権会議議長を8年間努めてきたリベラル派のパンフィーロワ議長が7月30日、辞任した。与党「統一ロシア」や保守系青年組織「ナーシ」との確執が原因と見られ、2年後の次期大統領選に向け、保守派とリベラル派の対立が激化するとの見方が出ている。

 パンフィーロワ議長はウズベキスタン出身で56歳。エリツィン初代大統領時代には、数少ない女性閣僚の1人として社会保障相を3年間務め、下院議員を経て02年、プーチン大統領から人権会議議長に任命された。先月、独立系ラジオに出演し、保守系青年組織を「スピンドクター(メディア戦略家)に飼いならされた動物」「悪魔に魂を売った」などと批判、与党議員らから議長辞任要求が出ていた。

 議長自身は辞任理由について「私の活動を一新するためで、私個人が決めたものだ」と外圧を否定している。だが、人権活動家の大御所、アレクセーエワ女史は「辞任の最大の理由は親クレムリン派の青年組織に追い掛け回されたためだ」と語っている。

 メドベージェフ大統領はパンフィーロワ氏の辞任を了承し、後任探しを始めた。だが、その裏では後任をリベラル派にするか、保守派にするかを巡り両勢力の間で暗闘が繰り広げられているという。人権活動家の間では、この人事が次期大統領選の事実上の始まりとなるのではないかという見方が出ている。

 政界は「一寸先は闇」と言われるが、とりわけロシア政界は予想が難しいというのが私の偽らざる実感である。今回の辞任劇も今後どう転ぶか分からない。先走って予想して間違うという愚をこれ以上重ねたくない。虚心坦懐に見守ろうと思う。
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