飯島一孝ブログ「ゆうらしあ!」

ロシアを中心に旧ソ連・東欧に関するニュースや時事ネタを分かりやすく解説します。国際ニュースは意外と面白い!

メドベージェフ次期首相、「リベラル派ではない」と明言、保守派を宣言!?

2012年04月30日 13時21分19秒 | Weblog
 プーチン氏が5月7日、大統領に復帰するのに伴い、メドベージェフ氏が首相と与党「統一ロシア」の党首を兼任することが内定している。そのメドベージェフ氏はこのほど、与党幹部との会談で「私はリベラルだったことは一度もない」と発言、さらに「私は保守派の価値観を持っている」と述べ、政界に波紋を投げかけている。

 与党幹部との会談は4月27日、モスクワ郊外で行われた。5月26日の党大会を前に、幹部らとの顔合わせの会談だったが、リベラル派とみられているメドベージェフ氏を快く思わない幹部が質問を浴びせ、はからずも“査問会”のような雰囲気になった。

 これに対し、メドベージェフ氏は次のように答えた。
 「しばしば私はリベラル派といわれているが、率直に言うと、一度もリベラルとの信念をもったことはない。自分の信念では、保守的な価値観を持った人間だ。私の価値観は、欧州の基準からすればリベラルから大きく離れている」

 この発言は、出席していた幹部の大半から歓迎された。だが、リベラル派の幹部が「リベラルの観念を忘れないことも重要だ」と発言すると、メドベージェフ氏は我が意を得たというように「あなたの発言に全面的に賛成だ。与党にはリベラル派も社会民主派もいるのがいい」と答えたという。

 メドベージェフ氏が突然「保守派」と言い出したのは、プーチン次期大統領の入れ知恵とみられている。与党の党首になるからには、前党首のプーチン氏の意見を聞かなければならず、彼の信念からすれば「妥協を強いられた」ということになるだろう。だが、プーチン次期大統領に仕える首相に就任するからには「妥協」もやむを得ないと思っているのかもしれない。

 しかし、これまでメドベージェフ氏の下で働いてきたリベラル派官僚などからは「変節」との批判が強まるのは必至だ。もともとプーチン大統領の下での首相就任に反対していた側近のユルゲンス現代発展研究所長は、親分の発言に批判的で「新内閣は根源的な改革よりも安定を優先することになろう」と、皮肉っぽく語っている。

 メドベージェフ氏の今回の保守派宣言は、双頭体制が大きく変質した印しともいえる。ツートップからナンバーツーに格下げされたことは明らかだ。このままメドベージェフ氏がプーチン氏の言いなりになるのか、それとも一時的に屈辱を甘受するのか。大学の先輩後輩のこの二人の関係をこれからも注意深く見守っていきたい。(この項おわり)

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第2次プーチン政権スタート: 双頭体制はいつまで続くか?

2012年04月27日 11時01分56秒 | Weblog
 プーチン氏は5月7日、大統領に復帰し、第2次プーチン政権がスタートする。大統領のメドベージェフ氏が今度は首相に就任し、ツートップが入れ替わって再び双頭体制が続く形となる。だが、プーチン氏のカリスマ性はすでに失われ、メドベージェフ氏の権威も失墜したため、双頭体制が崩壊するのは時間の問題との見方が強い。

 プーチン氏が24日、与党「統一ロシア」の党首辞任を明らかにし、後任にメドベージェフ氏を推薦したことで、プーチン氏の現在のポストをすべてメドベージェフ氏が継承することが決まった。これにより、大統領と首相の地位がすっかり入れ替わり、4年前の双頭体制の“逆バージョン”が続くことになる。

 だが、実態はすっかり様変わりした。昨年暮れの下院選挙で与党の議席数が3分の2の絶対過半数から単純過半数にダウン。さらに、圧倒的だったプーチン氏の支持率も大幅に低下し、第1次プーチン政権時に「国民的指導者」とまで崇められたカリスマ性が消えたといってもいい。

 最近のプーチン氏の支持率は、全露世論調査センターの調べでは68%に戻ったものの、フョードロフ同センター代表は「数字は変わらないが、中身は違う。大統領選でも国民は候補者のなかから、よりましな候補を選んだだけだ」と分析する。もはや絶対的な指導者とはみなされていないというのだ。

 メドベージェフ氏はもっと評判を落とした。大統領として実績を上げられなかったばかりか、今春の大統領選でプーチン氏にあっさり立候補を譲り、プーチン氏の操り人形というイメージが定着したといえる。今後、首相として主に経済を統括し、エネルギー依存の経済からハイテク中心の経済への転換を指導することになるが、法律の専門家で経済運営の経験が乏しいことから、うまくコントロールできるか心配する声が強い。

 これまでのプーチン流人事をみると、各方面から批判が出ても、いきなりクビを切るというような恨みを買う手法はとらない。どうしようもないと周りが判断するまで我慢して使い、時期を見て更迭する形をとることが多い。エリツィン初代大統領が指名したカシヤノフ首相の場合も、就任から3年以上たって更迭している。

 ロシア経済も今は原油高の恩恵を受けているが、原油価格が下がるとたちまち実体経済がうまく回転しなくなる脆弱性を持っている。その際、首相のクビを切って政権の生き残りを図ることも十分考えられる。

 プーチン氏はこれまで、メドベージェフ氏と分担して国政を運営するため双頭体制を構築したと強調してきた。だが、今回の流れを見てみると、双頭体制はプーチン氏が大統領に復帰するための方便に利用されてきたといっても言い過ぎではない。その意味でも、双頭体制は、もはや歴史的役割を終えたといえるのではないだろうか。(この項おわり)

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プーチン次期大統領、与党「統一ロシア」の党首辞任へ!

2012年04月24日 10時38分11秒 | Weblog
プーチン首相は5月7日、3期目の大統領に就任するのに伴い、与党「統一ロシア」の党首を辞任することになった。与党の支持率が低下傾向にあることから、政党を超越した“国民的指導者”を目指すのが狙い。与党そのものの改編も視野に入れているとされ、今後政界全体の再編につながる可能性もある。

 インタファクス通信によると、プーチン首相は24日、与党の活動家と会談し、5月の大統領就任後に党首を辞任する意向を明らかにした。プーチン氏はその後任に、メドベージェフ大統領を推薦した。メドベージェフ氏は5月上旬、下院で首相に選出されることが事実上決まっている。これを受け、与党は同月25、26日ごろ、党大会を開催し、メドベージェフ氏を新党首に選出する見通しだ。

 プーチン氏は「大統領は党と距離を置くべき」との考えから第1次大統領時代(2000-08年)は党首を引き受けなかった。08年5月、メドベージェフ氏に大統領を禅譲、自らは首相に就任した際、党首就任を受け入れている。与党幹部はこれを「ロシアの伝統」と解説している。初代大統領のエリツィンも党首の地位にはつかなかったが、いずれも大統領は政党の上にあるべきとの考えからだろう。

 とくに今年3月の大統領選では、与党組織があまり活発に動かず、プーチン氏は自ら立ち上げた選挙委員会を基盤に、もっぱら個人票を掘り起こし、1回目の投票で当選にこぎつけた。一時は決戦投票にもつれ込むことも覚悟したプーチン氏だが、当初の予想を上回る6割を超す得票を得て勝利宣言の際、思わず涙が溢れ出たというのが真相だろう。

 それだけに、プーチン氏の与党への不信感が強く、大統領選直後から与党に頼らない政権運営を考えていたようだ。このためプーチン氏は今後、下院選挙対策のため昨年設立した運動体「全露国民戦線」をベースに新政党を立ち上げるか、あるいは政党再編を行うのではないか、との見方も出ている。

 そもそも「統一ロシア」は大統領の権力基盤を支える組織で、党員も中央、地方の有力者や官僚が主体である。西側諸国の政党のように草の根政党ではなく、まさに政権党といっていい。プーチン氏はこういう政党を今後どう変えていくのか。政権と政党との新たな関係構築が第2次プーチン政権の課題の一つになることは間違いない。(この項おわり)
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プーチン次期大統領、シベリア・極東開発のため全権付与の国策会社設立へ!

2012年04月20日 11時16分16秒 | Weblog
プーチン次期大統領がシベリア・極東開発に全力を挙げて取り組むため、近く設立する国策会社に前例のない“超法規的権限”を付与する方針であることが明らかになった。天然資源活用のためなら、既存の連邦法を無視しても良いとする内容で、新会社のトップにはシュワロフ第1副首相の就任が有力視されている。

 ロシア有力紙コメルサントは20日付けの紙面(電子版)で、東シベリア・極東発展国営会社の設立計画を掲載した。プーチン首相の指示で経済発展省が作成したもので、アルタイ、ブリヤーチア、沿海地方など16共和国・州が開発の対象となる。新会社の目的は対象地域への投資導入と天然資源の効果的利用とされる。そのために鉱物や森林資源に関する連邦法を逸脱する権利が認められている。コメルサント紙は「すべての権力をソビエトへ」のロシア革命のスローガンになぞらえて、「すべての権力をシベリアへ」との見出しを掲げている。

 さらに、政府は新会社に直接の経済的支援を行うほか、「連邦あるいは地方機関は新会社の業務に干渉してはならない」と定めている。ただし、会計検査院の検査はうけるとしている。事実上、大統領直属の組織になると同紙はみている。つまり、プーチン次期大統領が人事権や予算配分権も握る形になるというのだ。

 注目される新会社の会長には、誰が選任されるのか。プーチン氏は「シュワロフ氏らの中から選ばれるだろう」と語っており、第1副首相のシュワロフ氏が最有力候補とみられている。

 プーチン次期大統領はアジア・太平洋地区への経済本格参入を目指し、今年9月開催のAPEC首脳会議を誘致、それを起爆剤にシベリア・極東の開発を推進する方針だ。そのために大統領に復帰したとの見方もあるくらいに入れこんでいる。その推進機関がこの新会社であり、開発の成否はこの会社にかかっているともいえよう。

 プーチン氏の頭の中では、シベリア・極東の開発を成功させ、「ロシア帝国の復活」を狙う青写真が描かれているに違いない。その中で、日本などアジア諸国との関係強化も含まれている。この計画に対し、日本はどうコミットしていくのか。日本政府としても真正面から向き合い、エネルギー開発などにできるだけ協力すべきだ。その先に北方領土問題の解決も見えてくるだろう。   (この項おわり)
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ハルビン学院の記念碑祭に『草原のラーゲリ』に描かれたモンゴル人同窓生の未亡人が出席!

2012年04月16日 18時08分59秒 | Weblog
 (写真はハルビン学院同窓生=右=と語り合うオヨンフー未亡人)
 終戦と共に廃校になったハルビン学院の同窓生とその遺族が一堂に会する記念碑祭が16日、桜吹雪の舞う東京・八王子の高尾霊園で行われた。出席者の中に中国・内モンゴルのフフホトから出席したモンゴル人の同窓生・ソヨルジャブさんの未亡人オヨンフーさん(75)の姿があった。

 ソヨルジャブさんはホロンバイルの草原で生まれ、旧満洲のハルビンに設立されたハルビン学院に入学した。日本の内地から選抜された日本人と一緒にロシア語を学び、昭和19年に卒業した。成績優秀で日本人と同様に日本語ができたソヨルジャブさんは、郷里のハイラルの官公署に勤務、将来を嘱望されていた。

 ところが、昭和20年8月9日のソ連軍侵攻によって人生は一転、苦難の連続となった。機銃掃射の中をなんとか生き延びたが、ソ連の衛星国となったモンゴル人民共和国の首都ウランバートルに留学すると、そこで見たものは社会主義にはあるまじき略奪だった。ソヨルジャブさんが抗議すると「反革命」の烙印を押され、懲役25年の刑を言い渡された。

 中央ラーゲリ(強制収容所)で7年収容され、さらに中華人民共和国に囚人のまま移送、フフホトの監獄に。1年後、今度は青海省の強制収容所に移され、さらに10年収容された。苦難はそれだけでは終わらなかった。1966年に文化大革命が起き、今度は西の最果ての地といわれるツァイダム盆地に追放され、10年間一人暮らしを強いられた。

 1981年、56歳になってようやく名誉回復され、晴れて自由の身になった。拘束生活は都合34年間にわたったのである。そこで、かつて習った日本語で生計を立てようと決心、ハルビン学院同窓生を探して日本にもやって来て援助を受け、フフホトに日本語学校を設立した。ちょうど改革開放の時代に入り、学校は大成功し、生徒数は600人を超えた。1991年には、モンゴル人民共和国にも日本語学校を設立し、モンゴルでの日本語ブームの火付け親になった。
 
 この波乱万丈の半生を本人から聞書した本が細川呉港さん著の『草原のラーゲリ』(文藝春秋社)である。ソヨルジャブさんは昨年3月、がんとの闘病の末、亡くなった。86歳だった。オヨンフー未亡人は今回、記念碑祭が行われると聞き、単身来日して出席した。この日は同窓生や遺族約100人が参列、最近亡くなった方々の分骨や遺品の収納などが行われた。

 式の最中、目を真っ赤にしていた未亡人は小学校時代に覚えたという日本語で「主人は偉い人です。日本人よりずっと日本人でした。式では皆さんの話を聞きながら、34年間の主人のラーゲリ生活を思い起こしていました」と語った。子供は娘と息子の2人だが、すでに2人とも独立し、今は一人暮らし。「きれいな桜と主人を知る方々と会うことができ、いい思い出ができました」。そう言ってにっこり笑った。

 国策で潜在敵国・ソ連に対処できる人材育成を求められたハルビン学院の卒業生は約1470名。ソ連軍の侵攻で多数の若者が命を失った。廃校からすでに67年たち、生存する同窓生は170人を切っている。「あと10年、15年たつとみんな整理されるが、まだ10年もあるという気持ちで生きていきたい」。記念碑祭を取り仕切る麻田平蔵さんはそう語る。五族協和の精神が今も受け継がれているハルビン学院の伝統を間近に見た思いがした。

 
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プーチン次期大統領、2期12年間務める意向示すが、野党は多選禁止に動くか ?

2012年04月13日 11時12分17秒 | Weblog
プーチン次期大統領は5月7日から3期目に入るが、さらに6年後に再選を目指す意向を示した。プーチン氏はすでに2期8年間、大統領を務めているが、さらに2期12年間務める意思を明らかにしたのは初めて。これに対し、野党から大統領の多選を禁止する動きが出ており、新政権はスタート早々から難問を抱え込むことになりそうだ。

プーチン氏は11日、下院で首相として最後の決算報告を行なった。この席上、共産党のボルトコ議員から、大統領の任期に関し「3期以上を禁止する提案が出されたら、どう対処するのか」との質問が出された。憲法では大統領任期は「連続2期まで」とされており、大統領を2期務めた後、1期置けば再び2期務めることができる。このため同議員は憲法の規定から「連続」を削除、3期以上務められないようにすべきとの意見を持っている。

これに対しプーチン氏は「賢明な考えだ。議員各派と協議しよう」と賛意を示しながら、こう続けた。「法律は過去に遡及(そきゅう)しない。法案が採択されても、私は2期まで務められる。何の問題もない」。つまり、憲法が改正されてもプーチン氏の任期には影響しないので、予定通り2期12年間大統領を務められる、との考えを披瀝したのである。

このサプライズ発言は、あっという間にロシア政界を駆け巡った。大統領の任期を米国などと同様、2期までとし、3期以上を禁止することにプーチン氏が賛成したと受け止められたからだ。首相の広報官は急きょ、「質問は共産党議員から出されただけで、プーチン首相がそれに賛成したわけではない」とのコメントを出した。その一方、「任期は2期まで」とすれば、今度3期目となるプーチン氏にも適用されるとの専門家の意見もある。

大統領の多選を制限しようという提案は、これまでも何度か行われている。とくに昨年暮れの下院選不正疑惑に関し、不正究明を求めて街頭行動に立ち上がった「反プーチン派」は多選禁止を要求。各派代表がメドベージェフ大統領と会談した際、ネムツォフ元第一副首相が多選禁止案を提案、大統領も支持したとされる。ネムツォフ氏は野党各派に対し、プーチン氏の大統領就任前に憲法改正案を作成するよう提案している。

だが、与党「統一ロシア」だけでなく、野党側も憲法改正を急ぐ様子がない。というのも、今回の共産党議員の提案は党の意見として集約されたものではなく、あくまで個人の提案にすぎないからだ。しかも、憲法改正には3分の2以上の議員の賛成が必要だが、与党は今も過半数の議席を保有しており、与党が賛成しない限り、採択できないからである。

当面はリベラル派の議員や議員以外の民主派がどう動くかが焦点となる。リベラル派とされるメドベージェフ大統領も政党の登録緩和や選挙制度の改革に賛成しても、今すぐ大統領の任期問題にまで動くとは思えない。長期独裁を防止する国家元首の多選禁止は、その国の民主主義度を測るバロメーターでもある。その意味では、国民全体の民度が問われる問題といえよう。           (この項おわり)

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ロシアで政権交代を巡り、旧KGB幹部らがパニック!?

2012年04月11日 13時59分25秒 | Weblog
プーチン大統領復帰を1ヵ月後に控え、「シロビキ」と呼ばれる旧KGBや軍隊の幹部がパニックに陥っているようだ。プーチン次期大統領が長期政権を目指し、軍などの機構改革や人事刷新に取り組んでいるとの情報が乱れ飛び、疑心暗鬼を深めているためらしい。

政権が交代するときに、政府機関の幹部がガラリと変わることはどこの国にも起こりうることだ。だが、今回はプーチン次期大統領の人気が急降下し、“プーチン離れ”が進行する中での政権交代のため、人気回復策としてドラスチックな変化が起きるとの報道がしきりに流れているからだ。

英字紙モスコー・タイムズの11日付け電子版によると、軍などの幹部が自分たちの地位が守られるかどうか不安なため、しきりにリークをしているという。その内容がバカバカしいほどよく、その反応を見て評価しているのだという。そして、その具体例として同紙は2つのリークを上げている。

その1つが、プーチン次期大統領が創設を検討しているという親衛隊設立話である。この話は筆者も「事実かどうか定かではない」として4日にアップしたブログで取り上げた。この話は中立系とされる独立新聞に掲載されたもので、30万人から40万人規模の部隊とし、空輸機なども装備する大掛かりな計画という。

このモデルはイランの革命防衛隊とみられ、大統領の警護だけでなく、治安維持の任務も担うことになる。だが、同紙は「このような部隊創設は物理的に不可能だ」と一蹴している。というのも、ロシアでは人口減が続いていて、軍隊に加えて親衛隊まで維持するのは無理だと断定している。

もう一つは、セルジュコフ国防相とマカロフ参謀総長が次期政権で交代するという報道だ。これについても同紙は、国防相本人はプーチン側近の一人で、国防相を解任されても次のポストをあてがわれるのは間違いないとし、問題は国防省幹部が大臣の後任を知らず、自分がこの先どうなるかも分かっていないことだ、と分析している。

要は、これらの報道はいわゆるアドバルーン記事で、誰がどのように否定するかをチェックしているのだという。問題は、こうした情報で政府機関が混乱していて、きちんと機能していないことだと同紙は指摘している。国家に緊急事態が起きたらどうするのだ、とハッパをかけているのだ。

いずれにしろ、プーチン新大統領が就任する5月7日までには新政府の布陣が決まる。国民から強権政治の改革や選挙制度の公平化が求められており、新政権がどれだけ大ナタを振るえるかだ。そのためには、肥大化したシロビキの勢力をどれだけ減らせるかが鍵となろう。
(この項おわり)



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脳血栓から復帰した「六本木の赤ひげ」アクショーノフ医師の近況報告!

2012年04月06日 10時04分17秒 | Weblog
 (写真はアクショーノフ医師と看護師の山本さん)

 白系ロシア人で「六本木の赤ひげ」として知られるアクショーノフ医師は昨年暮れ、脳血栓で倒れ、入院・加療中だったが、すでに職場に復帰し、診療を続けている。5日、東京・六本木のインターナショナル・クリニックを訪れ、近況を聞いたのでご報告する。

 アクショーノフ医師は戦時中の1943年、中国東北部のハルビンから留学のため来日。東京慈恵医大で医師免許を取得し、飯倉片町交差点でクリニックを開業して半世紀以上、診療を続けている。歌手のマイケル・ジャクソンら有名人を診察する一方、貧しい外国人には無料で診療し、1998年には吉川英治文化賞を受賞している。昨年3月、多くの知人を招いて米寿を祝う会を開いた。

 ところが昨年12月、脳血栓で倒れ、東京慈恵医大に1ヵ月余り入院した。今年1月に退院し、現在は週3日ほど診療を行なっている。5日午後、クリニックを訪ねると、アクショーノフ医師がにこやかに迎えてくれた。外国人の患者が次々やってきては診察を受けており、入院以前と変わらず、忙しそうだ。

 「以前に比べ、口が思うように回らなくなった。足も弱くなったが、耳は以前よりよく聞こえるようになった」。医師はそう説明して「体調は悪くない」ときっぱり。だが、以前のように毎日出勤せず、他の医師の助けを借りながら週3日程度働いている。医師は「私の出勤日は山本院長が決めている」と冗談を言い、傍らの看護師、山本ルミさんを見上げた。山本さんは英語が堪能で、医師の良きパートナーとしてクリニックを切り盛りしている。
 
 アクショーノフ医師は山本さんとのコンビで「インターナショナル・クリニック物語」の出版を計画している。漫画でクリニックの過去と現在を描き、山本さんが文章を綴るのだという。「まだまだドクターには頑張ってもらわないと」。そう言って山本さんはアクショーノフ医師に目配せした。医師も「クリニックは体力が許す限り続ける」と言い切り、そのあとのことは考えていないという。

 医師は戦後の一時期、米軍病院で働き、A級戦犯の診療をするなど、主に外国人の診察に当たってきた。日本在住の外国人だけでなく、外国人旅行者にも英語やロシア語、中国語を駆使して診察し、大使館やホテルなどから感謝されている。文字通り、外国人患者の受け入れ体制が不十分な日本医療の隙間を埋めてくれている貴重な存在だけに、いつまでも元気で診療を続けて欲しいと願わずにいられない。(この項おわり) 

 

 

 
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プーチン次期大統領が大掛かりな「親衛隊」を創設する!?

2012年04月04日 11時40分21秒 | Weblog
ロシアのプーチン次期大統領が私的な「親衛隊」を創設する意向を持っていることが明らかになった。ロシアの独立新聞が伝えたもので、40万人規模の部隊を想定しているという。「アラブの春」の民衆の反乱に触発されたのだろうか。

 プーチン氏は3月の大統領選の結果、6割強の得票率で当選し、5月に3期目に就任する。それに向けて現在、プーチン氏の周辺で新政権への準備が進んでおり、その過程で出てきた話とみられるが、真偽の程は定かではない。

 4日付けのモスコー・タイムズ紙(電子版)に掲載されたラティニナ女史の解説によると、親衛隊は第一義的には大統領を警護するが、国内の脅威から国家を防衛する任務も担当するとみられる。イランには大統領の親衛隊的な性格を持つ革命防衛隊(約12万5000人)があり、要人警護から対テロ作戦まで受け持っているとされるが、それを真似たものかもしれない。

 この計画が本当だとすれば、昨年からアラブ諸国で起きている、民主革命とも言われる「アラブの春」に触発され、大統領を守ると共に、内戦に機動的に対処できる特殊部隊を作ろうということではないか。アラブの春では、エジプトのムバラク大統領、リビアのカダフィ大佐ら長期独裁政権が民衆の怨嗟の的になっていた。プーチン氏は、これまでの2期8年間に加え、さらに2期12年間、大統領を務めることを目指しているとされ、今から長期政権を維持する方策を講じているのだろうか。

 プーチン氏は2000年に初めて大統領に就任したあと、青年組織「ナーシ」(我々の意味)を設立した。この組織は大統領支持をうたい、政権支持集会やデモを行っているが、最近活動が不活発になったとして、それに代わる新組織の立ち上げを計画しているらしい。新組織設立にかかる費用はオイル・ダラーで潤っている新興財閥などに負担させる目論見のようだ。

 プーチン氏は3日、大統領選対策で創設した組織「全露国民戦線」を選挙後も残す方針を示しており、与党「統一ロシア」と合わせて自らの権力基盤にする考えだ。それに加えて「親衛隊」を創設すれば、新大統領の権力は一層盤石になるという発想かもしれない。

 だが、昨年暮れの下院選挙以来、プーチン流の強権政治に国民が嫌気をみせ、「プーチン離れ」が進んでいる。国民の支持がなければ、いくら自前の武装組織を作っても政権維持の支えにならないことはアラブの春が証明している。親衛隊を創設するなどという馬鹿げた話にプーチン氏が乗らないことを信じたいが…。
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