飯島一孝ブログ「ゆうらしあ!」

ロシアを中心に旧ソ連・東欧に関するニュースや時事ネタを分かりやすく解説します。国際ニュースは意外と面白い!

ロシアのプーチン政権は今どうなっているのか?

2020年10月31日 20時34分57秒 | Weblog
ロシアで憲法が改正され、プーチン大統領は2024年の任期満了後も大統領を続けることができるようになってから4カ月。隣国ベラルーシで大統領選挙の結果をめぐり、反体制派の抗議行動が激化、プーチン大統領がルカシェンコ大統領と反体制派との仲裁に乗り出したが、事態解決のメドは立っていない。さらに、ロシア国内でも反体制派指導者、ナワリヌイ氏が意識不明の重体に陥る事件が起きている。順風満帆のはずのプーチン政権内で、いま何が起きているのだろうか。

ロシアの政治情勢が不透明な今、それを解き明かすカギとも言える記事が10月28日付けの毎日新聞「記者の目」に掲載された。すでにこの記事をご覧になっている方には余計なことかもしれないが、まだ読んでいない方には貴重な情報を与える記事と思い、ご紹介したい。記事を書いたのは、私の元同僚の大木俊治・元モスクワ支局長で、9月半ばに日本のロシア専門家グループの一員として、ロシアの高名な政治学者や評論家とのオンライン会見に参加し、その内容をまとめたものだ。

プーチン大統領は2024年の任期満了を控え、昨年あたりから大統領退任後の去就が注目されていた。今年1月、突然憲法改正を提起し、紆余曲折を経て続投を可能とする条項が加えられた。これにより、プーチン体制は盤石になったかと思いきや、このところ指導力に疑問を抱かせるような事態が続いている。このため、オンライン会見では大統領周辺で何が起きているのかが大きな話題になった。

ある識者は、ベラルーシの反体制運動がロシアにも波及し、大規模な抗議行動が起こることを恐れ、プーチン政権はナワリヌイ氏の「排除」を決めたとし、体制が揺らいでいると主張した。これに対し、プーチン政権はベラルーシ情勢に危機感は抱いておらず、政権交代のあるべき姿を考える参考にしているに過ぎないとみる識者もいた。ただ、プーチン氏が憲法の認める2036年まで大統領を続けるかどうかについては、ほぼ全員が否定的だったという。また、憲法改正の狙いについては、プーチン氏の側近たちが退任後も「プーチン体制の継続」を狙ったことから迷走し、任期を延長することになったとの見方をする識者もいた。それに同調して「プーチン氏もまたプーチン体制の人質だ」とみる学者もいたという。

大木記者は今後の見通しについて「穏やかに後継体制に進むのか、どこかで急激な体制転換が起きるかはまだ見通せない。ただ、ロシアの政界や知識人が『プーチン後』を強く意識し始めたのは確かのようだ」と指摘した。さらに、「プーチン政権がまだ続くとは考えないほうが良さそうだ。日露関係の今後を考えるにあたってはもう『プーチン頼み』では通用しなくなると考えるべきだろう」と結論づけた。北方領土問題の早期解決を求める政治家や外交官にとって、大いに参考となる見方と言えるだろう。(この項終わり)
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ナゴルノカラバフ紛争の原点はロシア帝国以来の民族問題!

2020年10月04日 16時52分27秒 | Weblog
9月下旬から始まったアゼルバイジャンのナゴルノカラバフ自治州を巡る紛争は、アゼルバイジャンとアルバニアに加え、トルコが介入して国際的軍事衝突に発展しつつある。このため旧ソ連の盟主・ロシアが懸命に停戦を呼びかけているが、軍事衝突は収まるどころか、拡大に向かっている。この紛争の原点は、ロシア帝国時代からの複雑な民族問題で、それを探らないと根本的な問題が見えてこない。

黒海とカスピ海に囲まれたカフカス地方は、古来から民族構成が複雑。ロシア帝国・ソ連時代は為政者の命令で国境が決められ、民族分布と一致していないところが多かった。その中でも特に、キリスト教信仰の国・アルメニアと、イスラム教信仰の国・アゼルバイジャンとは、古くから民族衝突を繰り返してきた。最大の対立点は、ナゴルノカラバフ地方をどちらの帰属にするかだった。アルメニアがソ連に加わった1920年には、アルメニア人が94%を占めていたことから、アゼルバイジャンもいったんは、アルメニアへの帰属を認める宣言を出した。ところが、1年後、スターリンの介入により逆転決定がなされた。

1923年7月、ナゴルノカラバフ自治州が正式にアゼルバイジャン共和国に帰属となった。だが、その後、アルメニア人の民族的権利が度々無視されたことから、アルメニア人は帰属替え要求を繰り返し出してきた。1988年6月、アルメニア共和国最高会議がナゴルノカラバフ自治州編入要求を決議したため、アゼルバイジャン共和国と対立、両共和国の間で大規模な軍事衝突が相次いだ。多数の死傷者が出たため、ソ連最高会議幹部会は同自治州を中央直轄にしたが、その後も衝突が続いたことから、幹部会は中央直轄を解除した。それでも対立が収まらず、1990年1月、ついに非常事態宣言が発令される事態となった。

1994年、ロシアの仲介でようやく停戦を迎えたが、紛争が長期化した結果、死者3万人以上、負傷者約5万人がでた。その上、アルメニア人約34万人、アゼルバイジャン人約100万人が難民及び国内強制移住者になったとされる。その後も双方とも自国領を主張して、「戦争でも平和でもない状態」が続いていた。今回はさらに、アゼルバイジャンと民族的に近いトルコの軍隊が軍事衝突に介入しと見られている。この紛争はすでに1世紀城も続いているだけに、当事国はもちろん、国連加盟国全体が和平に向けて積極的に行動すべき時を迎えている。(この項終わり)
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旧ソ連のナゴルノカラバフ紛争、死者100人超え戦闘拡大!

2020年10月01日 10時36分07秒 | Weblog
旧ソ連南部のアゼルバイジャンとアルメニアが領有権を争っているナゴルノカラバフ自治州で9月下旬、軍事衝突が起き、民間人を含む死者数が100人を超えた。両国とも戒厳令を敷き、軍隊を動員していて1994年の停戦以来、最大級の衝突になりつつある。両国と友好関係にあるロシアが戦闘停止を呼びかけているが、アゼルバイジャンの友好国、トルコも加わり、戦闘はさらに拡大する勢いだ。

今回の衝突は9月27日朝始まったが、原因ははっきりしない。アゼルバイジャン、アルメニアの双方が「相手が先に攻撃してきた」と主張しているからだ。今回の戦闘は今年7月、アゼルバイジャン北西部のトブス周辺で起き、十数人が死亡したのが始まりだ。これに対し、アゼルバイジャンのアリエフ大統領は「アルメニアが新たな戦争の準備をしてる」と非難、緊張が続いていた。

そもそも両国の紛争はソ連時代末期の1988年に始まり、それ以降、紛争が続いている。ナゴルノカラバフ自治州はアゼルバイジャン共和国内にあるが、多数派を占めるアルメニア人住民がアルメニア共和国への編入を求めたのがきっかけだった。それがアゼルバイジャンとアルメニアの国家同士の紛争に発展し、約2万人の死者がでた。ソ連崩壊後の94年にようやく停戦したが、その後はアルメニアが実効支配している。

今回はアルメニア側が積極的で戦闘が始まった27日、パシニャン首相がいち早くナゴルノカラバフの独立を承認する可能性を公式に言明した。これに対し、アゼルバイジャンのアリエフ大統領も「アゼルバイジャン領の占領を終わらせる」と失地回復への意欲を示した。このため両国とも本気で領土紛争の武力解決を目指して動いていると言えそうだ。

これに対し、ロシアのラブロフ外相は27日、両国やトルコの外相と相次いで電話会談を行い、戦闘停止を呼びかけた。さらに、プーチン大統領もロシア主導の「集団安全保障条約機構」(CSTO)に加盟するアルメニアのパシニャン首相と電話会談を行い、戦闘激化を防ぐよう要請した。だが、トルコ軍のF16戦闘機が29日、アルメニア軍のスホイ25戦闘機を撃墜、パイロットが死亡したことから、軍事衝突が拡大している。このため国連安全保障理事会は29日、非公式に協議し、議長国が武力行使を非難する談話を発表するなど、波紋が広がっている。今後、戦闘拡大防止に向け、国際社会がどう動くかに注目が集まっている。(この項終わり)
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