飯島一孝ブログ「ゆうらしあ!」

ロシアを中心に旧ソ連・東欧に関するニュースや時事ネタを分かりやすく解説します。国際ニュースは意外と面白い!

米副大統領のグルジア訪問に”お土産”なし!?

2009年07月24日 15時58分11秒 | Weblog
 グルジア戦争からまもなく1年が経つ。この間、米大統領が共和党のブッシュから民主党のオバマに代わり、オバマ新大統領は7月6日にロシアを訪問したが、グルジアには立ち寄らなかった。その代わりに訪れたのがバイデン副大統領だった。大統領と副大統領との違いが、米国の対グルジア政策の温度差を暗示していることは明らかだ。

 オバマ大統領はロシアを3日間訪問、ロシア側と関係を「リセット」したうえ、新しい核軍縮条約の枠組みに合意した。一方、バイデン副大統領はウクライナを訪問した後、首都トビリシに入り、2日間滞在。サーカシビリ大統領、野党指導者らと会談したが、「グルジア支援を継続する」という言葉だけで、具体的な支援の約束は何もなかった。NАТO加盟問題で米国の代理としてロシアと戦った形のグルジアからすれば「ひどいじゃないか」との声が出るのも当然だろう。

 前のブッシュ政権は、イラク戦争に軍部隊を派遣したグルジアへの”恩賞”としてNАТO加盟を強引に推進した。結果的に加盟は先送りになったが、熱意は十分伝わった。ところが、オバマ政権に代わってからはグルジアに具体的なメッセージを出してこなかった。グルジアでは「米国に見捨てられるのでは」という不安の声も出ていた。それだけに、バイデン副大統領が国会演説で「ロシアとの関係修復にあたってはグルジアを犠牲にしない」と明言したため、グルジア国民はホッと胸をなでおろしたといえる。

 アメリカ帰りのサーカシビリ大統領からすれば、せめて野党の攻勢で大統領の地位が危うくなっている状況を一変させるような”救いの手”がほしかったに違いない。だが、バイデン副大統領はそういった問題にはきわめて慎重だった。オバマ政権とすれば、国内ばかりか欧州からも総スカンを食らっている大統領の延命策に手を貸して「内政干渉」などと批判を浴びたくなかったのだろう。こうしたオバマ政権の対応から判断すれば、ロシアを追い詰めるNАТO加盟問題には当分関与しないとみていいだろう。
 
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ポリトコフスカヤ記者の同志だった人権擁護活動家が殺害!

2009年07月16日 17時15分32秒 | Weblog
 06年に殺害されたモスクワの女性記者、アンナ・ポリトコフスカヤさんとともにチェチェン共和国の不正と闘ってきた人権擁護活動家、ナターリア・エステミーロワさんが15日、死体で発見された。

 ナターリアさんは1959年、ボルガ河沿岸のサラトフで生まれた。大学で歴史学を学び、学校で歴史を教えた後、人権擁護センター「メモリアル」(覚書)の職員になった。15日朝、チェチェンの首都グローズヌイの自宅から事務所に行く途中誘拐され、隣のイングーシ共和国で午後、死体で見つかった。この日朝、モスクワから来るジャーナリストと面会する約束だったが、約束の時間が来ても事務所に現れなかったため同僚が探していた。頭部と胸部に凶弾を受けていた。

 同僚の一人は「彼女は何者も恐れず、人々のために働いてきた。人権擁護活動のために殺されたのは明らかです」と語っている。また、同じ人権擁護運動をしている「ヒューマン・ウオッチ」の職員によると、ナターリアさんは最近、チェチェンで起きた軍人らによる拉致やリンチ殺害事件を調査しており、しばしばチェチェン当局の神経を逆なでするような「危険な調査」だったという。

 チェチェンの人権擁護担当者によると、ナターリアさんとポリトコフスカヤ記者、それに今年1月殺害されたマルケロフ弁護士の3人は同じ目的を持った同志で、なかでもチェチェン紛争当時、ロシア軍大佐らによって誘拐・殺害されたチェチェン人少女の事件を積極的に調べていたという。

 ロシアで頻発している不条理な殺人やジャーナリスト殺害は、民族紛争が続いているチェチェン共和国のカディロフ政権に絡んだものが多い。今回の事件でメドベージェフ大統領も「人権擁護活動に関係する犯罪だ」との異例のコメントを出し、真相究明を指示した。チェチェンの「闇の世界」を徹底的に解明しなければ、ロシアの民主化はいつまでたっても進展しない。
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北方領土問題は再び”冬の時代”に逆戻り!

2009年07月10日 10時52分03秒 | Weblog
 9日、イタリアのサミット会場で行われた日露首脳会談では予想通り、北方領土問題で進展がなく、今後の見通しもないまま終わった。このところのロシア側の動きを見れば結果は明白であり、理由なく日本側に期待感を持たせた日本政府の失態といってもいい。

 こうなった理由は大きくいうと2つに集約される。第一は、麻生首相の「北方領土不法占拠」発言、議会の改正北方領土問題等解決促進特別措置法成立と、相次ぐ日本側の対応が強硬姿勢と受け取られ、ロシア議会や国民の反発を呼んだからだ。こうした事態を利用して北方領土返還阻止勢力が動いた面もあるが、日本側が「これまでと方針は変わっていない」といい続けるだけで十分な説明を行わなかったため、ロシア側に間違ったメッセージが伝わったことは明らかだ。

 第二は、最近の日本の政局をみていれば麻生政権は死に体同然で、ロシア側がとても国家の根幹に関わる領土問題を解決できる力はないと見たことは十分想像できる。このこと自体は日露双方にとっての不幸ともいえ、「日本の政権が磐石なときはロシア側が弱体化し、逆にロシア側がいいときは日本側がだめということの繰り返しだった」(日本外務省)という事情もある。

 ロシアの有力紙コメルサントは10日付けの新聞で「今回は日露首脳会談が行われないとの見方が日露間で出ていたが、結局行われた」と書いており、ロシア側から今回は会談をやめましょうという打診があったのかもしれない。それほどロシア側は冷めていたといえよう。

 ところが、日本外務省高官は「今回はロシア側がボールを返す番だ」と強調し、大きな期待感を振りまいていた。これに乗った形のマスコミもマスコミだが、日本側の”外交べた”を露呈したことは明白だ。

 この結果、麻生政権での領土問題の解決はもうなくなった。あとは総選挙後の新政権が引き継ぐことになるが、今予想されている選挙結果では民主党政権となることが有力視されている。だが、民主党政権になれば当分政権基盤が弱い状態が続き、領土問題を提起するまでには相当な時間がかかるだろう。残念ながら北方領土問題は当分の間”冬の時代”に入ることは避けられない。
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