飯島一孝ブログ「ゆうらしあ!」

ロシアを中心に旧ソ連・東欧に関するニュースや時事ネタを分かりやすく解説します。国際ニュースは意外と面白い!

単行本『国境を超えたウクライナ人』を読んで!

2022年04月07日 17時32分25秒 | Weblog
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ロシアとウクライナの戦闘が始まってから、間もなく2ヶ月になろうとしているが、依然として停戦の見通しが立っていない。こうした最中に、ウクライナ人の著者による単行本『国境を超えたウクライナ人』が群像社から出版された。外国に飛び出し、それぞれの分野で活躍した10人の生き方、考え方を描いており、ウクライナ人の思考傾向をつかむのに大いに参考になりそうだ。

著者のオリガ・ホメンコさんは、首都キーウ(キエフ)生まれ。キエフ国立大学文学部を卒業後、来日し、東京大学大学院地域文化研究科で博士号を取得した。その後、、ハーバード大学ウクライナ研究所客員研究員、キエフ経済大学助教授を経て、現在はキエフ・モヒラ・ビジネススクールの助教授を務めている。日本語に通じていて、『ウクライナから愛をこめて』などの著書がある。

ホメンコさんによると、ウクライナは日本と違って海という自然の壁に囲まれていない平地なので、常に自分たちの土地を守る必要があった。古くは遊牧民がうろうろしていた地で、中世には東からやってきたタタール・モンゴルに占領されたし、トルコ、ポーランド、ロシアなどに占領された過去がある。ウクライナ人は「私の家は一番端っこ」という言い方をよくするが、そこには自由に暮らしたいからほっといてほしいという思いも込められているという。

ウクライナにとり「国境」は東と西で全く違い、西の国境は堅固だったが、東はそれほどしっかりしたものではなかった。トルコ領まで広がっていたコサックがいい例で、拠点をロシアによって破壊されると、コサックはドン川からさらに極東にまで移って行った。それは、ロシア帝国の裏を突いて、その影響力から抜け出し、自由に生活できる「国境」のない方向に動いて行った結果とも言える。

ウクライナの地図は16世紀にできているが、19世紀までは他の国によって作られた地図が使われていた。厳しい環境の中では、国境を無視するか、それを乗り越えるかという二者択一しかなかった。権力者が決めたルールを「追い越す」のもうまくなった。不自由を自由に変えるのが得意なのはウクライナ人の気質だともいう。

この本で取り上げられた10人中9人はウクライナ生まれで、国境を超えて異郷の地で活躍し、大きな実績を残した。どの人物も柔軟性、コミュニケーション力などを兼ね備えた人たちだったが、国境というものの存在感のため、緊張感が和らぐことがなく、そこからウクライナ人の特質も生まれてきた、とホメンコさんは分析している。

ウクライナで生まれて日本にやってきた人の中では、昭和の大横綱、大鵬幸喜が一番有名である。彼の父親は、ウクライナから樺太にやってきた。ホメンコさんは最後に「この本で紹介した人はそれほど有名ではないかもしれないが、国境を超えたウクライナ人として、どうしても私が日本に伝えたい人たちである」と書いている。この本を読めば、きっとその意味を理解してもらえるだろう。
 (群像社刊、定価1500円+税、ISBN978-4-910100-22-7 C0022) 
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