飯島一孝ブログ「ゆうらしあ!」

ロシアを中心に旧ソ連・東欧に関するニュースや時事ネタを分かりやすく解説します。国際ニュースは意外と面白い!

ロシアの不正選挙抗議集会さらに拡大、プーチン大統領復活に「ノー」!!

2011年12月25日 13時59分30秒 | Weblog
 ロシア下院選のやり直しを求める大規模集会は24日、モスクワのサハロフ通りで開かれ、前回(10日)よりも多い8万人以上が参加し、プーチン首相の大統領復帰に反対することなどを決議した。参加者はティーンエイジャーから高齢者まで幅広く、「プーチン流政治」を拒否する運動がさらに広がっていることを裏づけた。

 参加者数については様々な見方があり、最大は集会を主催した民主派野党が発表した12万人、最低は警察調べで3万人、英字紙「モスコー・タイムズ」は8万人と推定している。10日のボロトナヤ広場での集会参加者は2万5千人(警察)から10万人(主催者)までだったので、前回より参加者が増えたことは間違いない。インタファクス通信によると、参加者は13,4歳の少女、学生、中年から年金生活者まで多種多様。しかも、大半は組織に所属していない人々だったという。

 参加者のなかには、ゴルバチョフ元ソ連大統領、ヤブリンスキー元「ヤブロコ」指導者、クドリン前副首相兼財務相、抗議集会の立役者でブロガーのナバルニー氏ら有名人多数がいた。中でも記者団を驚かしたのは、メドベージェフ大統領に最近解任されたクドリン氏が参加したことだ。プーチン首相の財務相を長年勤め、首相の信望が厚く、次期大統領選の候補にも挙げられている。記者団の質問にクドリン氏は「下院選では私の考えにあった政党がなく、与党『統一ロシア』にも反対票を投じた。今後、選挙法を改正し、未登録の政党を加え、1年後に繰り上げ下院選を行うべきだ」と述べた。

 抗議集会では、10日の集会で採択した①政治犯の釈放②選挙結果の再集計③反政府政党の登録などの大会決議に加え、次期大統領選でプーチン首相に投票しないこと、選挙監視のための有権者連合を設立することを決議した。抗議集会で「反プーチン」を決議に加えたのは初めてで、プーチン批判を一層強めたといえる。また、年明けに抗議集会を開催することも決めたが、期日は指定せず、今後様子を見て決める予定だ。

 プーチン政権は抗議集会の規模が拡大していることを警戒し、州知事の公選制復活や選挙制度の改革を提言している。だが、下院選挙の再集計や再選挙の要求には応えず、この日の集会でも参加者から厳しい批判の声が上がった。今後、政権側がどこまで妥協するかだが、選挙のやり直しについては断固拒否するとみられ、抗議運動がさらに拡大するのは必至だ。

 この運動の参加者は大半が中産階級で、「革命は求めない」と過激な運動を否定している。だが、ブロガーのナバルニー氏は「詐欺師(政権与党を指す)が我々を騙し続ければ、我々は自己の権利を行使する」と演説、いざとなれば実力行使に訴えることを示唆した。こうした参加者の意思に政権側はどう応えるのか。真摯に対応しなければ、プーチン首相は大統領選で手痛いしっぺ返しを食うだろう。



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ロシア大統領評議会、「石油王」ホドルコフスキー元ユコス社長らの再捜査を検事総長に勧告!

2011年12月22日 22時40分15秒 | Weblog
 ロシアのプーチン首相(当時は大統領)と対立、脱税などの罪で服役中のホドルコフスキー元石油大手ユコス社長について、大統領評議会付属人権部会は21日、「判決に誤りがあった」として検事総長に捜査のやり直しを勧告する方針を決めた。強権的な「プーチン流政治」が国民から批判を浴びている時だけに、政権側がこの勧告にどう対応するか注目される。

 この事件は、プーチン大統領時代の03年、「石油王」と呼ばれたホドルコフスキー・ユコス社長(当時)が経済事犯で摘発され、プーチン政権の“新興財閥つぶし”の最大の標的となった。裁判所は05年、ホドルコフスキー社長とレベジェフ・メナテップ銀行頭取(当時)を脱税の罪などで禁固8年を言い渡した。さらに、刑期切れ間近の10年、横領罪などで懲役14年を言い渡し、2人は現在服役中である。

 とりわけ、懲役14年の追加判決を強いたプーチン政権に対し、西側だけでなく、国内からも批判の声が巻き起こった。リベラル派とされるメドベージェフ大統領も暗にプーチン氏を批判した一人だ。このため、何らかの緩和策を打ち出すのではとの期待感もあったが、その後、大統領は沈黙を守り、国民は肩透かしを食った形だ。

 この日の人権部会では、追加の判決について「判決の事実関係に多くの誤りがあることが分かった」とし、検事総長と捜査委員会に捜査をやり直すよう勧告することを決めた。人権部会メンバーによると、ユコスの経済行為は判決で違法と判断されたが、人権部会で専門家に捜査資料を鑑定してもらった結果、完全に適法との結論に達したという。

 ホドルコフスキー元社長側は2人の仮釈放を求めているが、当局側はこれをなんとしても阻止しようとしている。その背後には、自分に代わって大統領になろうとした男を許そうとしないプーチン首相の意志が働いていることは間違いない。今後、勧告を受けた検察当局がどういう判断を下すかだが、実権を握るプーチン首相の意向に逆らってまで再捜査に踏み切るかどうかは不明だ。

 今月4日に行われた下院選挙の不正抗議集会は全国に波及し、10日には各地で10万人以上の市民が参加した。これまで押さえつけられていたプーチン流強権政治への反逆が始まったとみられ、市民の厳しい目は今後、不正選挙から強権政治そのものに向けられよう。そうなれば、まっ先にユコス事件がやり玉にあがることになろう。不正選挙抗議運動の盛り上がりによっては、プーチン氏の大統領復帰までに「政敵」ホドルコフスキー元社長の社会復帰が実現しないとも限らない。(終わり)



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プーチン首相、ロシア下院選の不正疑惑や再選挙についてまともに答えず!

2011年12月16日 12時32分55秒 | Weblog
 ロシアのプーチン首相は15日、テレビを通じて「国民との対話」を行ったが、全土で大規模な抗議集会が開かれた下院選挙(4日投票)の不正疑惑ややり直し選挙については「はぐらかす答え」を繰り返し、明言を避けた。下院選挙後の世論調査で首相の支持率はさらに低下しており、このままでは来春の大統領選に大きな影響が出そうだ。

 国民との対話は、プーチン氏がテレビで国民の質問に即答する形式で行われ、いかに国政に通じているかを見せつける絶好のパフォーマンスである。プーチン氏の大統領時代(2000年から08年)から毎年恒例の行事になっている。今年は4時間26分も続けられ、これまでの最長記録を更新した。

 当然ながら、国民からの質問は下院選の不正問題と選挙をやり直すのかどうかに集中した。驚いたのは、プーチン氏が2万5千人以上参加した10日のモスクワ・ボロトナヤ広場の抗議集会について、とんでもないことを言ってのけたことだ。集会参加者の大半が白いリボンを胸につけていたが、彼はこのリボンを反エイズ・キャンペーンのシンボルと誤認したというのだ。

 「正直にいえば、失礼かもしれないが、(リボンは)反エイズ闘争の宣伝で、彼らは避妊支持者かと思った」と、のたまったのだ。このリボンは、与党「統一ロシア」のシンボルマークにバツ印を付けたもので、一連の抗議運動の象徴になっている。彼もそれを知らなかったはずはない。それなのに、反エイズ運動のシンボルなどというのは彼独特の“茶化し戦術”で、庶民の失笑を狙ったものに違いない。

 さらに、プーチン氏は抗議集会に多数参加した学生について「お金をもらって参加した」と断言したのだ。この発言は、主催した野党系組織以外に何らかの組織が介在し、学生たちを金で動かしているとほのめかしたものだ。ソ連時代に、こうした運動が起きると「海外の団体が裏で操っている」と外国に敵を求めたKGBの常套句である。KGB中佐だったプーチン氏は、今もこの言い回しを使っているのである。

 結局、4時間以上も対話しながら、民主化の具体的な改革案は示さず、肝心なことははぐらかす戦術に終始した。その一方で、抗議運動に若者が多数参加したことについて「それがプーチン体制の結果なら、私は嬉しい」と述べ、政治に関心がある若者が増えたのは自分の成果と言わんばかりだった。まさに自信たっぷりの発言と受け取れた。

 一方、16日のコメルサント紙に掲載された世論調査(全国で1600人対象)によると、プーチン首相とメドベージェフ大統領の支持率は下院選挙前の11月3日にはともに60%だったが、選挙後の12月10日には51%になり、9ポイントも低下した。不支持率はプーチン氏が27%から33%に6ポイントアップ、メドベージェフ氏も28%から34%に6ポイント増えたという。昨年同時期のプーチン氏の支持率からすれば、30ポイント近くも落ち込んでいる。

 現政権を厳しく批判する抗議集会が開かれたにもかかわらず、プーチン氏が落ち着いていられるのは、あと3ヶ月後に迫った大統領選で有力な対抗馬がいないからである。だが、過半数ギリギリの支持率がこれ以上ダウンすると、大統領選の1回目の投票で過半数を取れず、決選投票に持ち込まれてしまう。そうなると当選しても以前のようなカリスマ性を発揮できなくなる。プーチン氏が今一番恐れているのは、決選投票にもつれ込むことだろう。さて、プーチン氏はどんな作戦でこの危機を切り抜けようとするのだろうか。
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ロシアで下院選の不正に抗議する2万人集会、「プーチン党」への批判はどこまで広がるのか?

2011年12月11日 14時45分16秒 | Weblog
ロシア下院選(4日実施)の不正に抗議する集会が10日、モスクワ中心部で行われ、少なくとも2万5千人の市民が参加した。これほどの大規模集会は20年前のソ連崩壊前後の混乱期以来のことだという。ロシア紙は、初めてデモに参加した人や若者が多く、お祭りの雰囲気だったと伝えている。それだけ与党「プーチン党」批判の裾野が広がっているといえ、政権側が思い切った打開策を打ち出さない限り、民衆の怒りは収まりそうもない。

 今回の集会は、投開票日の翌日からリベラル派組織「連帯」などの呼びかけで連日続いている抗議集会の大きな節目となった。集会はこれまでクレムリンそばの革命広場で行われていたが、この日はモスクワ市当局の指示で、クレムリンから約1キロ南のボロトナヤ広場で行われた。広場の名前は「沼沢」あるいは「不潔な場所」の意味で、当局の警備のしやすい場所に押し込まれた形。

 集会参加者は、手作りのプラカードを持ち、抗議活動のシンボルである白いリボンと白いカーネーションを着けて集まった。この日の集会は「アラブの春」の起爆剤になったとされる交流サイト「フェイスブック」などで広く伝えられ、サイトへのアクセス数は3万5千人を超えたという。

 集会では、「連帯」代表のネムツォフ元第一副首相、民主派野党「ヤブロコ」のヤブリンスキー氏らが演壇に立ち、「虚偽の選挙を取り消すまで闘う」などと、不正選挙のやり直しを政権側に強く要求した。会場からは「選挙のやり直しを!」というスローガンと共に「プーチンは泥棒だ」「ロシアはプーチンから自由に」などと、プーチン首相を批判するシュプレヒコールがあがった。なかには「クマよ、去れ!」と、メドベージェフ大統領の名前の由来(メドベージはクマの意味)に引っ掛けて大統領の辞任を求める声も上がった。

 集会参加者が問題にする選挙不正とは、中央選管が発表した与党「統一ロシア」への投票数が実感より多過ぎるというものだ。選管発表では与党の得票率は過半数にわずかに及ばない49%だが、ある学生は「最大でも20%程度だった」と述べ、政権側が不正に集計していると主張していた。集会の最後に大会の要求が決議されたが、その中にチュロフ中央選管委員長の解任も含まれているのはそういう理由からである。
 
 また、プーチン政権が統制しているテレビの全国ネット3局は、これまで不正選挙に抗議する集会の報道を抑えていたが、10日の集会から一斉に報道を開始した。集会参加者が大幅に増えたため、抑えきれなくなったとみられ、当局側の指示に従った可能性が大きい。

 プーチン首相は来年3月の大統領選に向け、準備を進めているが、今回の事態を収拾するメドが立たず、頭を抱えていよう。とりあえ選挙本部を与党ではなく、自らが設立した組織「全ロシア国民戦線」に置くことを決めたという。批判の矢面に立っている与党から距離を置くことで、沈静化を図る作戦とみられるが、そんな小手先で国民の怒りが静まるだろうか。選挙不正を糾弾する抗議運動から政権打倒につながったウクライナのオレンジ革命(04年)の二の舞にならないという保証はない。

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ロシア下院選で、与党「プーチン党」はなぜ敗北したのか?

2011年12月06日 14時34分39秒 | Weblog
 ロシアの下院選挙は、政権与党「統一ロシア」の得票率が過半数に達せず、事実上与党の敗北に終わった。党首のプーチン首相は結果が判明してからも「議席は過半数を超えており、問題ない」と強弁しているが、前回同様、絶対多数の3分の2の議席獲得を狙っていただけに、敗北感を抱いているのは間違いない。なぜ、与党はこんなに敗けてしまったのか。その敗因を探ってみたい。

 第一の敗因は、プーチン首相が来春の大統領選に出馬、当選することが確実となり、「プーチン流強権政治」がさらに6年(任期6年)、あるいは12年(連続2期まで可能)続くことへの拒否感が有権者の間で強まったからだろう。その証拠に、プーチン首相の支持率と与党「統一ロシア」の支持率が、次期大統領選の候補を決めた9月下旬の党大会後の世論調査で大幅に下がっている。とりわけ、一貫して70%台の高支持率を維持してきたプーチン氏が60%台に下がったのが印象的だった。

 プーチン氏は2000年から2期8年大統領を務め、その後、大学の後輩のメドベージェフ氏に大統領を譲り、自分は首相として大統領を支える「双頭体制」(別名、タンデム=2人乗り自転車)を敷いた。これは憲法で連続3期務めることが禁止されていたための便法だったが、国民からみると、メドベージェフ氏が大統領職に習熟し、プーチン氏に代わって独り立ちするまでのモラトリアムと考えられていた。

 ところが、メドベージェフ大統領が1期4年務めたところで2人が交代し、大統領と首相が入れ替わることになった。プーチン氏から見れば、メドベージェフ氏が大統領としての実績を残せず、これ以上国政を任せるわけにはいかないとして入れ替わったのかもしれないが、国民からすれば「冗談じゃない。また元の政治体制にもどるのか」という思いがしたに違いない。そこで「プーチン、帰れ」コールが起きたということではないか。

 第二の敗因として、プーチン流の政治に対する反発がここにきて強まっていることが挙げられる。プーチン流とは、形式的には民主主義を掲げ、法律も制度も民主主義を基盤にしているが、実態はソ連型の政治を踏襲している「見せかけの民主主義」である。共産党書記長にあたる最高権力者が後継者を指名し、直接選挙で大統領を決める形になっているが、プーチン氏が絶対多数を占める与党の党首なので指名した時点で事実上大統領は決まってしまう。つまり、選挙は一党独裁のソ連時代と同様、形式的になっているのだ。

 民主主義の根幹である「言論の自由」にしても、最大の影響力を持つ全国ネットのテレビ局の「言論の自由」を封じ込め、政権批判をする野党指導者はテレビに登場させない。とくに大統領選にでもなると、政権与党の候補者ばかりをテレビに登場させ、野党側の候補者は形ばかりの紹介しかしない。これでは、有権者が野党の意見を知るのは事実上不可能だ。

 また、野党が選挙に参加しようとしても、政党の登録に難くせを付け、新規登録を拒否するケースが多い。やっと登録を受け、選挙運動に参加できても、下院選挙で議席を得るには得票率が全体の7%を超えないといけない。このため、リベラル派の政党は今回も議席を獲得できなかった。少数派の切り捨てである。

 第三の敗因は、貧富の格差が拡大していることへの不満が鬱積していることが挙げられよう。プーチン氏が大統領に就任した2000年ごろから原油の価格が高騰し、国家財政が豊かになり、年率7%前後の経済成長を達成できた。その半面、大都市と地方都市、さらには金持ちと貧者の格差が年々拡大している。この背景には、エネルギー資源に依存する経済の体質改善が進まないことが響いている。メドベージェフ大統領は、ハイテク経済への転換を推進しているが、プーチン氏の国家主義的経済がそれを阻んでいるのが実情だ。

 政権側は今回の選挙で首都モスクワに治安部隊を配置し、投票日の集会を一切禁止する強硬措置をとった。だが、投開票日の翌日、野党側がモスクワで開いた抗議集会には5000人以上の市民が参加し、「新しい選挙を実施せよ」「プーチン抜きのロシアを」などと、シュプレヒコールをあげた。これほどの数の市民が街頭行動に参加するのは近年なかったことだ。今後、プーチン政権がソ連流の政治を改めないと、「アラブの春」のような民衆の反乱が起きないとも限らない。プーチン時代の、終わりの始まりかもしれない。


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ロシアの下院選挙で政権側、必死の追い込み、治安当局は厳戒態勢に!

2011年12月02日 11時27分33秒 | Weblog
 ロシア・プーチン政権の信任投票ともいえる4日の下院選挙を控え、プーチン首相は1日、メドベージェフ大統領と共に政権与党「統一ロシア」の集会に出席、安定多数の議席獲得に向けて“最後の追い込み”を続けた。一方、首都モスクワでは治安当局が選挙当日の集会を一切禁止し、混乱に備えて厳戒態勢に入るなど、緊張が高まっている。

 プーチン首相は政権与党から来春の大統領選の候補者に正式指名され、今回の下院選挙をその前哨戦と捉えている。前回(07年暮れ)の下院選挙では、与党は絶対多数の3分の2以上の議席を獲得して圧勝、その勢いで08年春の大統領選も大勝した。しかし、今回は与党の支持率が大きくダウンし、3分の2の議席獲得は難しいとみられている。

 1日の党員集会では、プーチン首相とメドベージェフ大統領がそろって出席し、票の掘り起こしに全力を挙げるようハッパをかけた。投票日直前に党員集会に2人揃って出席するのは異例で、それだけ票の上乗せに必死になっていることがうかがえる。

 政権側は選挙戦の終盤に入り、統制下にある全国ネットのテレビを駆使した選挙キャンペーンを強化するとともに、政権に批判的なウェブサイトや中立系選挙監視団体の取締りを強めている。だが、前回と違ってプーチン人気が低落し、今ひとつ盛り上がりに欠けている。今回の選挙運動で象徴的だったのは、先月下旬、プーチン首相が格闘技戦を観戦し、試合後、リングに上がった際、会場からブーイングが沸き起こったことだ。支持率80%もあった去年までなら考えられなかったことで、この光景に側近たちも頭を抱えたという。

 このため、野党側は投票後、政権側が投票の偽造や集計の捏造を行うのではないかと警戒感を募らせている。選挙管理委員会や治安当局に選挙運動の不正を訴える投書類が多数寄せられており、すでに選挙の不正が組織的に行われている可能性もある。これまでもロシアの国政選挙で組織的な不正の噂があったが、ほとんど摘発されていない。

 こうした事態に治安当局はモスクワ市民に対し、投票日の集会をすべて違法とするとの異例の検察庁命令を出している。1日には、内務省がモスクワの野党や反体制運動の指導者を一堂に集め、投票日の街頭活動を一切禁止するよう言い渡した。これに対し、指導者たちは「集会の自由は憲法で認められている権利だ」と反発、いくつかの団体は集会を開催することを明らかにした。このため集会を強行すればデモ隊と治安部隊の間で衝突が起きる可能性もある。

 こうした背景には、プーチン首相が来春の大統領選で復活を果たし、再び強権主義体制を敷くとの見方が強く、これへの反発が強まっているからだ。これまで政権の安定を望んでいた市民の間でも、統制色の強い「警察国家」が今後も続くことへの不満が広がりつつある。下院選挙の結果は5日中にも明らかになるが、政権側の思惑通りにはいかないのではないか。                              (終わり)



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