飯島一孝ブログ「ゆうらしあ!」

ロシアを中心に旧ソ連・東欧に関するニュースや時事ネタを分かりやすく解説します。国際ニュースは意外と面白い!

ウクライナの記者殺害犯に終身刑下すも「主犯」には触れず!

2013年01月30日 15時56分54秒 | Weblog

 ソ連崩壊後のウクライナでジャーナリストが殺害された事件の判決公判が29日にあり、犯人の内務省高官に終身刑が言い渡された。当時のクチマ大統領が殺害に関与したとされ、一時は大統領の弾劾騒ぎへ発展したが、判決では大統領への言及はなかった。

 この事件は、00年9月16日、反大統領系のネット新聞を発行していたゴンガッゼ記者(当時31歳)が突然失踪したことから始まった。2ヵ月後、ウクライナ社会党のモロス議長が「記者の失踪事件はクチマ大統領の仕業だ」と爆弾発言、その証拠の盗聴テープを持っていると明言した。大統領はこの発言を全面的に否定したが、反大統領側は大統領選挙中に起きた野党候補への爆弾事件なども秘密警察の仕業と糾弾、大統領の弾劾手続き開始を呼びかける事態になった。

 ゴンガッゼ記者の遺体はキエフ郊外の森で見つかり、検察庁が捜査した結果、09年7月、内務省のプカチ中将が記者殺害に関与したとして逮捕・起訴された。検察庁はプカチ被告が遺体を埋めたと自供した場所から頭蓋骨が発見されたとしている。裁判は非公開で行われたが、「命令を受けて殺害した。記者のスパイ活動を食い止めるためだった」と証言したとされる。

 30日付けのコメルサント紙(電子版)によると、判決でメリニク裁判長は「被告は警察官でありながら権限を越えて犯行に及んだ」と断定し、終身刑を言い渡した。だが、ウクライナ保安局の元少佐が仕掛けたとされる盗聴テープについては「不正な手段で得られたもの」として証拠採用しなかった。このテープは、大統領執務室のソファーの中に隠され、大統領が内相らに記者の“始末”を命じたやりとりが録音されている。

 判決文は、大統領の発言には言及していないが、被告に「判決に同意するか」と聞いたところ「ここにクチマ大統領が一緒にいたら同意する」と答えたという。これは被告が大統領の命令で殺害したことを示唆している。記者の母親の弁護士も「判決は社会を安心させなければならないが、記者殺害の動機は不明のままだ」と判決に不満を述べた。

 この事件は、クチマ大統領が99年に再選された翌年に起きたもので、親ロシアのクチマ大統領支持派と親欧米のユーシェンコ元首相支持派が激しく対立していた時期に当たる。その後、04年に親欧米派が政権を奪回する「オレンジ革命」に至るもので、極めて政治的な事件と言える。

 10年の大統領選では、親ロシアのヤヌコビッチ前首相が親欧米のティモシェンコ首相を破って政権を奪回するが、その後もティモシェンコ氏を職権乱用罪で収監するなど、骨肉相食む争いが続いている。ウクライナが初めて自らの国家を得てから22年余が経つが、国内を二分する対立は収まりそうもない。ソ連時代の負の遺産のせいなのか、それとも自国を統治できないからなのだろうか。(この項終わり)

ロシアの州知事任命制復活法案に市民の7割近くが反対!

2013年01月25日 14時26分16秒 | Weblog

 プーチン政権は昨年、中流層などの強い抗議を受け、州知事の選任を任命制から公選制に戻したが、事実上任命制の復活を目指す法案を今下院に提案している。この問題の是非をめぐり、レバダ・センターが世論調査を実施したところ、68%が公選制を支持すると回答した。

 新しい法案は与党「統一ロシア」のスタルシノフ議員らが下院に提案したもので、「立法・執行機関の一般原則について」と名付けられている。全国一斉に州知事を公選制とする現法律を改め、地方自治体に公選制廃止の権限を認めるもので、事実上任命制復活を狙った内容だ。24日の下院審議では、与党のほか、公正ロシア、共産党も賛成に回り、この法案は原則的に承認された。また、自由民主党はこれを一歩進めて、公選制廃止案を提案した。

 一方、25日付けのコメルサント紙(電子版)によると、レバダ・センターがこの問題で世論調査を行った結果、任命制復活を支持すると答えた人は21%にとどまり、公選制支持が68%と、任命制支持を大きく上回った。地域別では、カフカス地方やシべリヤ地方で公選制支持派が多かった。この調査は、全国45地域で1600人を対象に行われた。

 この調査結果について、最高裁のバルシェフスキー政府全権代表は「ひとつの国家の中で異なった州知事選出法を認めるのは許されない。国家の統一を侵害するもので、憲法に違反する」と指摘している。これに対し、法案提案者のスタルシノフ議員は「この法案により、地方の議会が任命制か公選制かを正しく選択できる」と主張している。

 州知事の公選制はロシアの初代大統領、エリツィン氏の時代に始まったが、プーチン政権になってから権力の垂直構造を強化するため大統領の任命制に改められた。昨年、公選制に戻されたのは、下院の不正選挙糾弾運動がきっかけで、プーチン政権の「見せかけの民主主義」への批判が強まったためだ。これを再びひっくり返そうという試みは、プーチン政権に不満を募らせている中流層(あるいは中間層)の手厳しい反発を受けるのは必至だ。(この項終わり)


外務省はロシア側の“秘密提案”を明らかにせよ!

2013年01月18日 10時33分53秒 | Weblog
 
 北方領土問題をめぐり、ロシア側が1992年3月の日露外相会談で日本側に大幅譲歩の秘密提案を行ったと東郷和彦・元外務省欧亜局長が提案の詳細を証言したことが話題になっている。これまでも断片的には伝えられていたが、これほど詳しい内容が公けにされたのは初めてだ。それ以上に、外務省がこの提案を握りつぶそうとしていたことに驚かざるを得ない。

 東郷証言はすでに各紙で報道されているが、要点は平和条約の締結を待たず、歯舞、色丹の2島を引き渡すという譲歩をロシア側がしていたことだ。これは日ソ共同宣言(1956年)よりも進んでおり、なおかつ国後、択捉の2島についても返還の可能性を残している。こんな画期的提案を受けたのに、外務省は今日まで一切なかったことにしようとしていたのだ。

 東郷証言の背景については、佐藤優・元外務省主任分析官が16日付けの毎日新聞朝刊「異論反論」で説明している。昨年12月24日付け北海道新聞朝刊に、秘密提案を知っているクナーゼ元ロシア外務次官が事実と異なる話をしたため「事実と違う内容がひとり歩きすると、今後の北方領土交渉に悪影響を与える」と東郷氏から相談を受け、佐藤氏が真実を証言するよう勧めたのだという。

 この秘密提案については筆者も問題の日露外相会談出席者に取材したことがあるが、「コズイレフ外相の個人的な考えで、きちんとした提案とは思っていない」「外務省は当時、四島返還を主張しており、ロシア側提案は検討に値しなかった」などと発言、“問題外”との態度をとっていた。しかも、そんな重要な提案だったのに、記録は残っていない、などと曖昧にしていた。ところが、佐藤氏の話では日本側の通訳が作成した手書きの記録が今も外務省ロシア課に残っているという。

 秘密提案が行われた92年3月は、ソ連が崩壊、エリツィン政権が発足した直後で、ロシアは市場経済に移行したものの、ハイパーインフレで大混乱が起きている最中だった。当時筆者はモスクワにいたが、餓死者が大量に出るとの見方もあり、ロシアにとっては最悪の状態だった。そのため日本側には「ロシアは待っていればもっと譲歩してくる」との見方もあったと聞く。

 そういう状況下だけに、日本にとっては領土問題解決の千載一遇のチャンスだったと言える。そのチャンスをみすみす逃した責任は第一に外務省にあり、さらにはそれを放置した日本政府にもある。この際、外務省、日本政府はこの間の経過を明らかにし、きちんと国民に説明するべきではないか。

 日本政府はこれまで重要な外交問題については一貫して秘密主義をとっており、外交文書も公開していない。とりわけ領土交渉については一切を封印したままだ。安倍政権が北方領土交渉に本腰を入れて臨むというのなら、まず重要な事柄をきちんと国民に公表すべきだろう。(この項終わり)

ロシアでも「ソ連は遠くなりにけり」!?

2013年01月14日 12時45分13秒 | Weblog

 ソ連への郷愁を感じている人々が、ロシアでも過半数を割ったことがロシアの世論調査機関レバダ・センターの調査で明らかになった。ソ連が1991年に崩壊してから、今年は満22年となる。ロシアでも「ソ連は遠くなりにけり」ということだろう。

 有力紙コメルサント(11日付け電子版)に掲載されたレバダ・センターの調査結果によると、ソ連崩壊を残念がる人は49%で、00年の75%から26ポイントも低下した。逆に「残念ではない」と答えた人は35%で、00年の19%から16ポイント上がった。また、ソ連崩壊を残念がる理由として最も多かったのは「大国への帰属意識を失ったこと」という回答だった。

 一方、全ロシア世論調査センターの調査では、ソ連に郷愁を感じると答えた人は56%で、02年に比べ9ポイント下がった。郷愁を感じる人のうち最も多いのは、45歳以上でインターネットを使っていない人だった。逆に郷愁を感じない人は、若者でネットを頻繁に使っている高学歴の人が多かった。

 レバダ・センターのグラジダンキン副所長は「ソ連時代に生きていた人々の数が減れば減るほど、ソ連崩壊を残念がる人が減っていくだろう」と語っている。これは一般的な見方だが、政治評論家のチェルニャエフスキー氏は「見たことがない天国を失ったと思う時に、ソ連への郷愁が強まる。だから、子供や孫の世代で郷愁が弱まるが、ひ孫の世代には逆に強まるだろう」と分析している。これも一面の真理かもしれない。

 かつてプーチン氏は「ソ連の崩壊は世紀の地政学的カタストロフィーだ」と語った。大統領2期目の05年のことだったが、3期目のいま、プーチン氏はどう思っているだろうか。今回も「ユーラシア同盟」の構築を目標に掲げていることから、大国復活の夢を追い求めているに違いない。

 だが、今回の世論調査結果からも分かる通り、すでに過半数の人にとってソ連は遠い存在になった。現実も夢とは逆の方向に動いていることは明らかだ。プーチン氏の夢は早く覚めたほうが、本人にとっても国民にとって望ましいことではないだろうか。(この項終わり)


森元首相の北方領土「現実的解決案」を歓迎する!

2013年01月10日 10時11分16秒 | Weblog

 森喜朗元首相が9日夜のテレビ番組で、北方領土問題について「3島返還論」で解決すべきとの見解を明らかにしたと各紙は伝えている。首相経験者が北方領土問題で現実的な解決案を提案したのは異例で、勇気ある提案と評価したい。

 各紙によると、森元首相は番組で示された地図上で「単純に線を引けばこう引くのが一番いい」と言いながら、択捉島と国後島の間に国境線を引き、「3島か」との質問に「そうだ」と答えたという。日本側の四島返還要求、ロシア側の2島返還案の間を取った3島返還論である。

 森氏は首相当時の01年3月、プーチン大統領とイルクーツクで会談し、2島を返還、残る2島は交渉を継続するとの「並行協議方式」で合意したとされる。それ以来、森氏は四島返還にこだわらず問題を解決しようという柔軟な解決論者として知られているが、3島返還の具体的な解決案を示したのは初めてだろう。

 プーチン氏が昨年3月の大統領選直前、外国人記者団と会見した際、「引き分けで解決しよう」と発言、解決への意欲を示したが、日本政府の方からの具体的な解決案の提示がなく、ロシア側の解決機運もしぼみがちだった。昨年暮れの衆院選で自民党が圧勝、安倍政権が誕生して日本側にもようやく解決機運が高まりつつある。

 問題は、森元首相のような現実的解決案をたたき台に、より望ましい解決案を国内で十分議論できるかどうかである。これまでの経緯をみると、せっかくいい案が出されても政府が否定し、議論が封印されてきたからだ。鈴木宗男議員(当時)の2島先行返還論しかり、谷内正太郎外務次官(当時)の面積等分論しかりである。今度こそ、これを機に国内で大いに議論すべきだ。

 森元首相の発言がとりわけ注目されるのは、森氏が安倍首相の特使として2月にロシアを訪問し、プーチン大統領と会談する予定になっているからだ。森氏とプーチン大統領とはイルクーツク会談以来、親密になり、しばしば会って懇談している仲である。今回の訪ロでは解決に向けた、踏み込んだ話し合いを期待したい。

 北方四島は第二次大戦終了直前、ソ連軍の侵入により占領されてからまもなく68年目に入ろうとしている。四島から追い出された元島民の方々もすでに半数が亡くなり、もはや待ったなしである。日本政府は、今年こそ解決するという強い意志を持って、現実的解決に向け全力を挙げるべきだ。(この項終わり)



クドリン元ロシア財務相、2013年のロシア政治を予測する!

2013年01月07日 11時35分50秒 | Weblog

 プーチン大統領が復帰して2年目のロシアはどう動くのか?この質問に答えられる適任者は、プーチン氏をよく知っているクドリン元財務相(52)をおいて他にはいないだろう。2013年のロシアを予測するため、同氏の会見から、その答えを探ってみよう。

 この会見は昨年暮れ、モスクワのインタファクス通信本社で行われた。この中で、クドリン氏はまず11年暮れから12年にかけて盛り上がった「反プーチン街頭行動」について「12年を『市民社会動員の年』と名づけたい。政治の転換は社会の要請であり、国家の発展にとって必要なものだ」と指摘した。続けて「今後、政治活動と政治体制の変更は紆余曲折があっても、後戻りはしない。その結果、より現代的な社会が形成されるだろう」と、楽観的な評価をした。

 その一方、クドリン氏はプーチン政権の対応について「11年暮れの下院選のあと、政権側は社会の緊張を緩和する機会があったが、それを逃してしまった」と批判した。そして政権側が行った選挙法や政党法の改正などについて「改革は小規模にとどまった」と述べ、もっと本格的な改革を行うよう求めた。

 さらに同氏は「プーチン大統領は市民の抗議の声を聞いたが、彼を支えている多数派の支持を失わないことを重視したため、抜本的な政治改革を行う気持ちにはならないだろう」と語り、プーチン政権の改革姿勢に悲観的な見方を示した。

 また、同氏はさらなる政治改革について「新たな改革は現代社会での生活を望む中間層や起業家、インテリなどに支えられている。だが、政権側は抗議行動後、こういう人たちと一線を画しており、このままでは改革が中途半端で終わってしまう恐れがある」と述べ、政権側に改革を急ぐよう促した。

 クドリン氏はプーチン大統領と同じサンクトペテルブルク出身。1990年代、プーチン氏と一緒にサンクトペテルブルク市役所で仕事をして以来の友人で、お互いに相手を知り尽くしている。そのクドリン氏は「プーチン大統領はまだ3期目の政治目標を決めておらず、探している段階」とみている。2年目の今年こそ、プーチン氏は目標を立てて国政に取り組むに違いない。それはいったい何なのか、彼のこれからの言動に注目したい。(この項終わり)

今年こそ「日ロ新時代の幕開け」となるか?!

2013年01月01日 11時16分17秒 | Weblog
 
 新年あけましておめでとうございます。
今年も「飯島一孝ブログ」をよろしくお願いします。
  

 さて、昨年は指導者交代の年で、日本をはじめ、中国、ロシア、韓国などのトップが代わりました。今年はこうした指導者がどう動くかが焦点となりますが、中でも昨年夏以来、緊迫している日本周辺の領土問題で、新指導者がどういう方針を打ち出すかが注目されます。

 尖閣諸島、竹島、北方領土のうち、最も静かだった北方領土問題は、父・安倍晋太郎氏(故人)から引き継いだ北方領土への関心を持ち続ける安倍晋三首相の登場で動きが活発になるかもしれません。これに対し、3期目の大統領に返り咲いたプーチン氏も領土問題解決の意欲をみせており、状況次第では大きく展開する可能性があります。

 北方領土問題が他の二つの領土問題と大きく異なるのは、日ロ両政府とも領土問題の存在を認め、双方が受け入れ可能な解決策を見つけることで合意していることです。すでに両国の首脳は昨年12月28日の電話会談で、領土問題を解決して平和条約を締結するための作業を活発に行うことで意見が一致しています。あとは両国が納得できる解決策を提示できるか否かにかかっているのです。

 最近のロシア情勢をみていると、日本で政権交代が行われ、安倍自民党総裁が首相になったことをロシア側が歓迎しているフシがあります。安倍首相が保守派で、安保・軍事問題で強硬路線を取っていることから、現実的な対ロ政策を行うのではという期待があるからです。安倍首相とプーチン大統領は互いに相通じるものがあると見ているのかもしれません。

 すでに安倍首相とプーチン大統領は先日の電話会談で、今年中に首相が訪ロする方向で調整することが確認されています。野田前首相との間では昨年12月訪ロの約束がありましたが、今年1月以降に延期されていました。安倍首相訪ロの時期は未定ですが、今年春以降になると思われます。

 問題は、首相訪ロまでに安倍政権の基盤が固まり、領土問題の解決方針が定まっているかどうかです。政権基盤は7月の参院選で再び自民党が勝利すれば固まるでしょうが、解決方針は事前に政府が十分検討し、国内で受け入れられることが肝心です。その場合、現実的な解決案をまとめることができるかどうかがカギとなるでしょう。

 日本政府は、すでに冷戦時の四島一括返還要求は降ろしましたが、あくまで四島返還にこだわっていてはロシア側が乗ってきません。3島返還か、あるいは2島返還プラス2島共同管理などの譲歩案を提示しなければ解決機運は再び遠のいてしまいます。政府に国内の強硬派と正面から向き合って問題を解決する腹があるかどうかが問われることになります。

 プーチン大統領とすれば、今必要なのは台頭する中国と粘り強く対決する強い意思を持った日本なのです。日本側にその意思があることがわかれば、日本に領土を返還してもそれ以上のメリットがあると言えましょう。安倍首相が中国などとの領土問題収拾に動き出し、自公両党がその安倍政権を支えることができれば、ロシア側も北方領土解決に積極的になるでしょう。安倍政権が1期目と違って現実的でタフな政権になれるかどうか、まずはお手並み拝見とまいりましょう。(この項終わり)