ソ連崩壊後のウクライナでジャーナリストが殺害された事件の判決公判が29日にあり、犯人の内務省高官に終身刑が言い渡された。当時のクチマ大統領が殺害に関与したとされ、一時は大統領の弾劾騒ぎへ発展したが、判決では大統領への言及はなかった。
この事件は、00年9月16日、反大統領系のネット新聞を発行していたゴンガッゼ記者(当時31歳)が突然失踪したことから始まった。2ヵ月後、ウクライナ社会党のモロス議長が「記者の失踪事件はクチマ大統領の仕業だ」と爆弾発言、その証拠の盗聴テープを持っていると明言した。大統領はこの発言を全面的に否定したが、反大統領側は大統領選挙中に起きた野党候補への爆弾事件なども秘密警察の仕業と糾弾、大統領の弾劾手続き開始を呼びかける事態になった。
ゴンガッゼ記者の遺体はキエフ郊外の森で見つかり、検察庁が捜査した結果、09年7月、内務省のプカチ中将が記者殺害に関与したとして逮捕・起訴された。検察庁はプカチ被告が遺体を埋めたと自供した場所から頭蓋骨が発見されたとしている。裁判は非公開で行われたが、「命令を受けて殺害した。記者のスパイ活動を食い止めるためだった」と証言したとされる。
30日付けのコメルサント紙(電子版)によると、判決でメリニク裁判長は「被告は警察官でありながら権限を越えて犯行に及んだ」と断定し、終身刑を言い渡した。だが、ウクライナ保安局の元少佐が仕掛けたとされる盗聴テープについては「不正な手段で得られたもの」として証拠採用しなかった。このテープは、大統領執務室のソファーの中に隠され、大統領が内相らに記者の“始末”を命じたやりとりが録音されている。
判決文は、大統領の発言には言及していないが、被告に「判決に同意するか」と聞いたところ「ここにクチマ大統領が一緒にいたら同意する」と答えたという。これは被告が大統領の命令で殺害したことを示唆している。記者の母親の弁護士も「判決は社会を安心させなければならないが、記者殺害の動機は不明のままだ」と判決に不満を述べた。
この事件は、クチマ大統領が99年に再選された翌年に起きたもので、親ロシアのクチマ大統領支持派と親欧米のユーシェンコ元首相支持派が激しく対立していた時期に当たる。その後、04年に親欧米派が政権を奪回する「オレンジ革命」に至るもので、極めて政治的な事件と言える。
10年の大統領選では、親ロシアのヤヌコビッチ前首相が親欧米のティモシェンコ首相を破って政権を奪回するが、その後もティモシェンコ氏を職権乱用罪で収監するなど、骨肉相食む争いが続いている。ウクライナが初めて自らの国家を得てから22年余が経つが、国内を二分する対立は収まりそうもない。ソ連時代の負の遺産のせいなのか、それとも自国を統治できないからなのだろうか。(この項終わり)