飯島一孝ブログ「ゆうらしあ!」

ロシアを中心に旧ソ連・東欧に関するニュースや時事ネタを分かりやすく解説します。国際ニュースは意外と面白い!

半世紀前の「チェコ事件」を想起させるロシアの暴挙!

2022年03月12日 07時48分47秒 | Weblog
ロシアのウクライナ侵攻は、今やロシア軍によってウクライナ人が皆殺しにでもされかねない事態に至っている。学生時代にロシア語を学び、ロシア語を使って30年前、ソ連解体を毎日新聞特派員として報道した一人として残念としか言いようがない。この事態を前にして思い出すのは、約50年前に「プラハの春」に沸き立つチェコに、ソ連を中心とするワルシャワ条約機構の軍隊が進攻し、民衆の声を戦車で弾圧した「チェコ事件」である。

この事件は1968年4月、チェコスロバキア共産党のドプチェク第一書記を中心に自由化が進み、「党の権威を押し付けてはならない」とする<党行動綱領>が採択された。特に注目を集めたのは、自由化推進を要求する知識人・青年の「2000語宣言」が発表され、自由化が国民レベルにまで広がったことだ。この事態を危惧したソ連のブレジネフ政権は6月、チェコ領内でワルシャワ条約機構による軍事演習を実施。8月には軍事介入して自由化を力で押しつぶした。

当時、私は東京外語大に入学したばかりだったが、ロシア文学者の原卓也先生(その後、学長に就任)らがロシア語やロシア文学研究者に呼びかけ、ソ連政府に対する抗議声明を発表したことをよく覚えている。当時はまだ、改革派のゴルバチョフらが登場する前で、外国の研究者がそろってソ連への抗議声明を出すことは勇気のいることだったと思う。だが、この事件と同じ頃、全国的に学園闘争が広がり、東外大でも全共闘が結成されて学園闘争が始まり、原先生らもこれへの対応に追われることになった。

東京外語大の自治会では民青が主導権を握っていたが、その後、全共闘が主導権を奪い、全学ストを打つなど、学生運動は過激になっていった。その過程で原先生らは大学執行部の強硬な対応に抵抗し、辞表を提出する事態になった。この経緯については『東京外国語大学史』(2000年発行)に掲載された原先生の「辞表を書いたころ」に詳しい。この学園闘争は結局、翌年4月の機動隊導入で終局に向かうことになった。

今回のロシアの暴挙に対し、東京外語大の先生らがロシアへの批判声明を出しており、私もOBの一人として賛同する。だが、今回のプーチン政権の対応は、半世紀前のチェコ事件を想起させるどころか、それ以上の過酷さで目を覆いたくなる。このままでは、世界を破滅に追い込む危険性すら感じられる。今こそ、米国や欧州諸国だけでなく、日本を含む国際社会が一致してプーチン政権を厳しく批判し、1日も早く戦闘を停止させなければならない。(この項終わり) 


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欧州第二の大国・ウクライナを見直す良い機会だ!

2022年03月01日 09時02分12秒 | Weblog
プーチン露大統領が隣国・ウクライナへ軍事侵攻して以来、ウクライナが色々な意味で脚光を浴びている。ウクライナ人からすれば、欧州ではロシアに次ぐ大国(面積では2番目の広さ)なのに、何を今さらという思いがあるだろう。逆にいうと、ウクライナを見直し、身の丈のウクライナを世界が見直す良い機会である。ソ連崩壊前の1990年代からウクライナを訪問して来た筆者の体験を元に「ウクライナの実像」を考えてみたい。

筆者がモスクワ特派員としてロシアに赴任したころ、ロシア人の間では、ウクライナは「ウクライナ」という国名よりも、「小ロシア」あるいは「辺境の国」と呼ばれていた。「クライ」はロシア語で「端」とか「地方」を指す言葉で、いわば辺境の国という意味の一種の差別語だった。1991年暮れのソ連崩壊でウクライナは正式に独立国になったが、大半のロシア人からすれば、いわば「端っこの国」にすぎなかったのだ。

その後、何度かウクライナへ取材に行っているうちに、そんな小さな国ではない、欧州の大国の一つだと見直すようになった。その理由は第一に、面積が日本の1・6倍で、人口も約4千万人の大国である。第二に、石油資源こそないが、世界有数の穀物輸出国であること。第三に、欧州ではロシア、フランスに次いで3番目に大きな軍隊を保有している。ロシアの陰に隠れて目立たないが、欧州では紛れもなく大国である。

筆者は独立後の1994年2月、ウクライナに長期出張し、首都キエフのほか、北東部のハリコフ、工業都市のドニエプロペトロフスク、東部のドニエツクなどを約2週間かけて回った。それまで日本ではほとんど紹介されなかったウクライナの実情をルポしようという試みだった。若者らを中心に多くのウクライナ人と話をしたが、みんなまじめで、実直な人たちだった。日本同様、資源の少ない国だけに「国のために頑張ろう」という意欲を強く感じた。ウクライナは「ロシアの弟分」と言われることが多いが、兄貴分と言われるロシアへの反発を内に秘めている印象だった。

今回のウクライナ侵攻で強く感じるのは、プーチン大統領のウクライナを見下ろすような言動である。特に、ゼレンスキー大統領をコメディアン出身の軽い人物とみなし、「ロシアのいいなりになれ」と命じているような感じさえ与える。だが、ゼレンスキー大統領はウクライナの将来を見据え、西側諸国と一緒にウクライナを豊かにしようという意欲に燃えている。大物大統領の高圧的な態度に対し、一歩も引かない姿勢には力強ささえ感じる。

対するプーチン大統領は、核大国の威信を振りかざし、力づくでウクライナを屈服させようという態度がミエミエだ。だが、米国や独仏など西側諸国から総スカンを食い、これまで培って来た実績も評判も地に落ちつつある。このままでは、ロシア国民からも見放されかねない情勢である。今後ロシアが国際社会で生き残るには、プーチン大統領を下ろして出直すしかないだろう。今や世界は、ロシア国民のこれからの対応に目を凝らしていると言っても過言ではない。(この項終わり)
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