飯島一孝ブログ「ゆうらしあ!」

ロシアを中心に旧ソ連・東欧に関するニュースや時事ネタを分かりやすく解説します。国際ニュースは意外と面白い!

鳩山由紀夫次期首相の息子がモスクワ大学で働いている!

2009年08月31日 10時09分40秒 | Weblog
 ロシアは30日の総選挙で民主党が圧勝し、親露派である鳩山由紀夫代表の首相就任が確実となったことで、鳩山氏に対し大きな期待を寄せている。

 総選挙で民主党が圧勝したニュースは、ロシアのマスコミで大きく取り上げられた。これらの報道から、ロシア側の関心は、自民党から民主党への政権交代が初めて実現するということと同時に、新首相となる鳩山由紀夫氏個人に向けられていることがはっきりしてきた。

 ロシアの有力紙コメルサントは、ロシア国営タス通信の東京支局長を長く務めるゴロブニン氏の特別寄稿文を掲載し、鳩山由紀夫氏の経歴と政財界の人脈を詳しく紹介している。この中で、由紀夫氏の祖父一郎氏が1956年、老体に鞭打ってモスクワへ出向き、旧ソ連と交渉、終戦処理を取り決めた「日ソ共同宣言」に署名したことを強調している。
 
 さらに、由紀夫氏が日ロ協会会長としてロシア側の要人と何度か会談しており、そのなかでもルシコフ・モスクワ市長やサドブニチ・モスクワ大学総長と親しいことをあげている。

 ここで特に注目されるのは、由紀夫氏の長男紀一郎氏がモスクワ大学で働いていることに言及している点だ。モスクワ大学のビジネススクールで講義する傍ら、技術者としてモスクワの交通渋滞緩和基本プロジェクトに携わっているという。このことは日本でもあまり知られていない事実で、鳩山氏がロシアと特別な関係を持っていることを示唆しているように受け取れる。。

 ロシア側も由紀夫氏が北方領土問題解決に取り組む意欲を見せていることを熟知しているが、といって簡単に解決できるとも考えていない。それでも親露派の首相就任への期待は大きく、具体的にどんな手を打ってくるか見守っている。
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エルミタージュ美術館を「ばら色」に塗り替える計画が浮上!?

2009年08月26日 22時51分48秒 | Weblog
 サンクトペテルブルクで最も有名な観光スポットといえば、もちろんエルミタージュ美術館。その美術館の壁の色を「ばら色」に塗り替える計画が浮上し、市民を二分した論争に発展している。

 ロシアの中立系新聞「独立新聞」によると、ピオトロフスキー・エルミタージュ美術館長が「創建されたときの色に塗り替え、歴史的事実を復元したい」と提案したのが発端。もともとこの美術館は18世紀に帝政ロシアの冬宮(冬用宮殿)として建設され、19世紀初め帝室美術館となった。エカテリーナ2世が欧州の画商などから買いあさった絵画や彫刻が多く、合計260万点収蔵されている。

 創建当時、宮殿の壁には天然の染料を混合して得られた塗料が使われ、優美なばら色だった。その後、緑色や黄色に塗り替えられ、約2百年前、いまと同じ「海の波の色」と呼ばれる色になったという。

 今年初め、美術館側が市民や識者に塗り替え案を説明し、意見を求めたところ、賛否が半々だった。賛成意見の大半は美術館長の「歴史的な色を再現したい」という考えに同調したもの。これに対し、反対意見は「色が剥げ落ちたら塗り替える必要があるが、そうでなければ今の困難な時期にわざわざ塗り替える必要はない」という現実的意見が大勢を占めた。意見が大きく割れたため、サンクトペテルブルクのマトビエンコ市長と文化省が決めざるを得ないとの見方が強まっている。

 私もモスクワ特派員時代、何度かこの美術館に足を運んだが、今の色が「エルミタージュ(日本語では隠れ家)」という呼び名にマッチしていると思う。もしかしたら美術館長は壁の色を「ばら色」に替えて、文字通り華やかな帝政時代を復活させたいと思っているのではないだろうか。
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いまモスクワでスクーターがブームだって、ホントウ?

2009年08月20日 23時12分30秒 | Weblog
 映画「ローマの休日」でオードリー・ヘップバーンがグレゴリー・ペックと相乗りして登場、一躍有名になったスクーター。それがいま、モスクワでブームになっているのだという。いま、なぜなんだろうか。

 モスクワはいま、交通渋滞がひどく、朝のラッシュアワーともなると、幹線道路は車の流れがストップしてしまう。ところが、その隙間を縫ってスクーターがスイスイ走り、車を追い抜いていくのだそうだ。英字新聞モスコー・ニュースが伝えている。

 スクーターがモスクワにお目見えしたのは1999年ごろ。そのころはまだ少なかったが、3年前くらいから増えだし、今年は大ブレーク。「今年中に1千台売れるのでは」と販売店は皮算用している。

 大ブレークしている最大の理由は、メイド・イン・チャイナの安いスクーターが入ってきたからだ。新品は1台約26万円するが、中古だと6万円程度で買える。これが若者に受けているのだ。

 その一方で、スクーターによる事故も増えている。はっきりした統計は無いが、大ケガしたり死亡するケースも少なくない。というのも、運転免許証が無くても乗れるからで、猛スピードでぶっ飛ばすティ-ンエージャーが増えているという。

 ともあれ、交通渋滞の深刻なモスクワでは、渋滞に巻き込まれなくてもすむスクーターは人気がある。もっとスクーター愛好家が増えれば、渋滞緩和に役立つこと請け合いなのだが…。
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ソ連崩壊に導いたクーデターから18年、余りに遠くなりにけり!?

2009年08月19日 11時12分33秒 | Weblog
 70年余続いたソ連があっという間に崩壊したのは1991年暮れ。その引き金になった同年8月のクーデター未遂事件から18年経つ。当時、毎日新聞社の特派員としてモスクワに派遣されたばかりの私は歴史的大事件に動転しながら無我夢中で取材に走り回った。それだけに忘れられない思い出だが、いまや大半のロシア人にとっては「その後の歴史に否定的影響を与えた、悲劇的な事件」と映っているらしい。

 「1991年夏の偽りの夢の後」という見出しで18年前のクーデターを取り上げたのは中立系の「独立新聞」。事件が発生した8月19日に合わせて掲載したもので、いまやこの事件を取り上げる新聞も少なくなっている。

 この記事では、世論調査機関「レバダ・センター」の調査結果を元に、この事件をロシア人が今どう見ているかをまとめている。世論調査によると、一番多かったのは「国家最高幹部の権力闘争のエピソードに過ぎない」と見ている人で、42%にのぼった。次いで「国家と国民にとって致命的な結果をもたらした悲劇的事件」と見る人が33%だった。「ソ連共産党権力に終止符を打った民主革命の勝利」と見ている人は9%足らずだった。残る16%は無回答。

 レバダ・センターでは、クーデター事件だけでなく、その後の自分の人生を考慮に入れてアンケートに答えているとみており、過去の不満を投影した結果だという。それにしても、ロシア人の8割近い人が否定的に見ているとは驚きだ。

 だが、カーネギー財団モスクワセンターのマラシェンコ科学会議員は「それほど驚くべきことではない。人々はこの事件後、アメリカのような完全な民主主義と豊かな生活を期待したが、実際は苦難の時代が続いたので、昔はよかったと思うようになったのだ」とコメントしている。

 別の専門家は「事件当時、希望を持った人々も、その後苦しい時代が長く続き、夢は実現しないものと思い知らされ、当時の記憶が逆にストレスになったのだろう」と分析している。

 去るもの日々に疎し、ということわざがあるが、20年近くたてば人間の記憶が薄らぐのも当然だ。年配のロシア人が「ソ連時代はよかった」と思うのもわからないではない。だが、大局的に見れば、ロシア人は今の生活にそれなりに満足していて、20年近く前の出来事を懐かしく思い出す必要がないともいえるのではないか。
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ロシアはウクライナとの「外交戦争」で何を狙っているのか?

2009年08月17日 15時20分38秒 | Weblog
 ロシアのメドベージェフ大統領が、ウクライナのユーシェンコ大統領に反露姿勢を非難する書簡を送れば、ユーシェンコ大統領がメドベージェフ大統領に対し「反友好的書簡」と反論するなど、両国間の「外交戦争」がエスカレートしている。これを仕掛けたロシアの狙いを探ってみた。

 ロシア側は、グルジア戦争からちょうど1年たった時期に「外交戦争」を仕掛けている。しかも、ウクライナの大統領選が来年1月に行われることになっており、大統領選に向けての高等作戦であることは間違いない。外交官追放合戦をはじめ、両国の外交をめぐるトラブルをまとめて取り上げ、新任の駐ウクライナ大使の派遣延期を条件にしているところがあやしい。

 ロシアとウクライナとの関係悪化はグルジアと同様、NАΤO(北大西洋条約機構)への加盟問題が直接のきっかけだった。グルジアに対しては軍事介入という強硬手段で対応したが、フランス並みの「大国」のウクライナに対してはそういうわけには行かない。そこで来年の大統領選で親欧米派のユーシェンコ大統領を政権から引きずり下ろし、親露派の大統領をすえるのが最終的な目的である。

 だが、複雑なのは親露派の大統領候補が2人いて、どちらも立候補を目指していることだ。一人は元首相のヤヌコビッチ氏で、最近の世論調査ではトップの24%の支持率がある。もう一人は現首相のティモシェンコさんで、支持率は14%と2位につけている。ちなみに現大統領の支持率は4%で一番低い。問題はロシアの現政権がどちらの候補を支持するかだ。

 タンデム(双頭)政権としては、操縦しやすいほうを選びたいと思うのは当然だ。このところプーチン首相と最もよい関係にあるのは、今年初めの天然ガス紛争でプーチン首相と交渉し、合意したティモシェンコ首相である。そこで、今回も同首相をモスクワに呼んで交渉し、合意を演出してウクライナ国民に次期大統領に最適任と印象付けたいのではないだろうか。そのための「呼び水」が外交戦争ということになる。

 だが、こうした演出が失敗すればティモシェンコ首相に傷がつき、逆にユーシェンコ大統領の支持率を上げる結果になりかねない。謀略的な仕掛けは諸刃の剣だ。策士、策におぼれるということわざもある。この外交戦争の結末や、いかに。

 
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北方四島住民への人道支援停止はロシア政府のごり押し!?

2009年08月13日 15時16分55秒 | Weblog
 ソ連崩壊直後から北方四島住民に日本政府が行ってきた人道支援は、ロシア政府からの申し出で打ち切られることになった。ロシア側は「経済が安定してきたから」(ロシア外務省)としているが、住民は先行きに不安感を募らせているようだ。自ら「不要」と判断したロシア側の真意はなんだろうか。

 この人道支援は、1991年末のソ連崩壊でロシア国内が大混乱し、北方四島住民の生活がこれまで以上に苦しくなったため、日本政府が92年に砂糖やバターなどの食料品を贈ったのが始まり。93年からは日本と旧ソ連諸国の間で支援委員会を設立し、94年に北方四島が地震に見舞われたこともあってプレハブ倉庫や桟橋改修などにバージョンアップした。

 その後、鈴木宗男衆院議員が逮捕される事件があり、大幅に縮小されたが、救急患者の受け入れや医薬品の供与は続けられ、この17年間に98人の住民の命が救われたと住民側は感謝している。ロシア政府も「人命に危険が生じる事態が起きたら双方が人道支援を実施する」としているものの、人道支援を通じた両国民の交流は今後大幅に縮小に向かうだろう。

 この背景には、まず第一にプーチン政権の8年間にロシアが英国に迫るほどの経済大国に成長したことがある。「大国ロシアが日本から人道支援を受ける必要はない」というロシア側の本音が透けて見える。

 第二に、日本側が今も係争中の北方領土を「わが国固有の領土」と明記した特別措置法を成立させるなど、領土問題で強硬措置を取っていると見て、それへの抗議の意味もあるだろう。ロシア側がわざわざ「今回日本で成立した法律とは関係ない」との声明を出しているのもおかしいといえる。

  ロシア政府は強気なコメントを出しているが、地元では相当当惑しているようだ。ロシアの有力紙コメルサントによると、北方四島で日本とのビザなし交流を推進している責任者は「人道支援打ち切りについてうれしい事はない。外務省が日本政府に通知したのなら、我々は受け入れるしかない」と、中央のごり押しを認めたような発言をしている。さらに、日本側の救急患者などへの対応に感謝しつつ「我々は遠隔地に住んでいるので、日本の病院で高度な医療を受ける以外方法はない」と語り、今後への不安を隠していない。

  そもそも人道支援は、たとえ敵といえども貴重な塩を送るという強い善意の気持ちから発したものだ。それを国家が豊かになったからといって一方的に打ち切るのはおかしい。しかも、これまでずっと軽視してきた北方四島住民を心から助けたい気持ちがロシア政府にあるとも思えない。ロシア側が今回の措置を後々後悔しないことを祈りたいものだ。
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グルジア戦争から1年、ロシアは思わぬ誤算に悩んでいる!

2009年08月10日 22時56分40秒 | Weblog
 昨年夏、北京五輪の最中に起きたグルジア戦争から1年たった。ロシアは圧倒的な軍事力で短期間に勝利したものの、肝心のサーカシビリ大統領の「打倒」はいまだにできず、南オセチアとアブハジアの親露地域の独立承認もロシア以外ではニカラグア1カ国にとどまっている。

 戦争勃発から満1年を迎え、ロシア側、グルジア側とも大統領が出席して追悼式典を開いた。7日に演説したグルジアのサーカシビリ大統領は「グルジア統一を当分は平和的手段で実現する」と”領土奪還”を強調した。これに対し、メドベージェフ露大統領は軍事介入を決意した理由をしきりに述べたが、今後の展望についてはほとんど触れなかった。前者のほうが威勢がよく、どちらが「勝者」かわからないような感じだった。

 それというのも、戦後の国際社会がロシアの思うように動かないからだ。
 第一に、グルジア2地域の独立承認の追随国が中南米のニカラグアしかなく、ロシアの友好国であるカザフスタンやキルギスでさえ同調していないことが上げられる。旧ソ連諸国からすれば、国内の親露派が独立を主張した場合、ロシアが軍事介入してくる先例を示したことになり、自国でこんなことが起きてはたまらないという思いが強いからだ。
 
 第二に、ロシアは米国からの帰国組で、米国の支援を受け、ロシアの政策にすべて反対してきたサーカシビリ大統領を倒そうとグルジアの野党勢力にテコ入れしたが、成果が上がらなかった。有力な野党指導者がいないこともあるが、愛国主義でグルジア国民が結束したことが大きかったと見られる。

 第三に、南オセチアとアブハジアの住民が求めるロシアへの編入計画が進んでいないこともあげられる。ロシアは今、予想以上に深刻な経済危機に苦しんでいるうえ、2地域の編入は国際社会の支持が得られそうもないからだ。

 ロシアはいま、グルジア問題で今後どう対応すべきか真剣に検討中と見られる。米国が湾岸戦争でフセイン政権を倒せなかったのと似たような状況で、再びイラク戦争を起こすのか、それともサーカシビリ大統領の任期切れを待つのか。「大国ロシア」の看板を背負うメドベージェフ大統領は就任以来、最大の試練に立たされている。
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「権力者プーチン10年」の評価分かれる!?

2009年08月08日 10時39分03秒 | Weblog
 ロシアのプーチン氏が初めて首相に指名され、権力者になってから9日で満十年を迎える。ロシアのマスメディアは今も実力者として君臨するプーチン氏について特集しているが、「巨大な権威者」と絶賛するメディアと「エリツィン初代大統領の大いなる間違い」とけなすメディアに分かれている。

 プーチン氏が故エリツィン氏から首相に指名されたのは1999年8月9日だった。当時は連邦保安局長官を務める閣僚だったが、国内でもほとんど無名に近い存在だった。世界中が「プーチン、フー?」(プーチンって誰?)と驚いた、異例の首相指名だった。

 ところが、4ヵ月後にはエリツィン氏が突如大統領を辞任、プーチン氏を大統領代行に任命、3ヵ月後には大統領選に当選したのだ。それから2期8年間、大統領を務め、ロシアを文字通り復活させたのだ。任期満了を機に側近のメドベージェフ氏を後任に指名、自分は首相に戻って二人体制で国政を運営している。

 プーチン氏を絶賛する独立新聞は「プーチンの最初の十年―分離主義の断末魔から国家神話へ」というタイトルの署名論文のなかで、長期政権の要因として歴史的な好条件のめぐり合わせと、有権者の気分に合わせる類いまれな勘の良さを挙げている。具体的に言うと、どんなときでも相手に即応できる能力を持っていて、役者に負けない感動的な場面を生み出せると、べた褒めしている。これがいまだに政治家の中で一番高い支持率を維持している秘訣らしい。

 ところが、モスコー・タイムズ紙に掲載された政治アナリスト・キセリョフ氏の論文よると、プーチン氏は内政面では権威主義を推し進め、汚職と民主主義では世界最低レベルの国に入っており、外交面では日露戦争前夜のような「戦争と革命」が迫っている状況にある、ということになる。

 プーチン氏がソ連崩壊を「歴史的な誤り」と決め付け、「大国ロシア」復活に向けて献身的に働いていることは間違いないが、その影で民主主義や国民の基本的人権が犠牲になっていることも明らかだ。今後、プーチンとメドベージェフの二人体制で現在の経済危機を克服し、次のステージに上がれるかどうかが正念場だ。
 
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なぜ今、ロシアとウクライナで「スパイ追放合戦」?

2009年08月01日 11時23分51秒 | Weblog
 ロシアとウクライナで、スパイ活動をしていたとしてウクライナ外交官とロシア外交官各二人が追放される事件が起きた。今でこそ、NАΤO加盟問題などで対立している両国だが、もともと同じスラブ民族で隣国同士なのに、なぜ外交官の追放合戦までするのか、その背景に関心が集まっている。

 ロシアの有力紙・独立新聞によると、最初に動いたのはウクライナ側だった。ウクライナ領のクリミヤ半島にある黒海艦隊に駐在していたロシア外交官と、ウクライナ・オデッサ駐在の総領事館員がスパイ行為を働いたとしてロシア側に密かに通告した。すると、ロシア側はこれを表ざたにし、ラブロフ外相が対抗措置としてウクライナ側に二人の外交官を「好ましくない外交官」としてロシア国内での勤務停止を求めたのだ。ソ連時代、「兄弟国」とまで言われた国同士が、手回しよく、鏡に映したような対抗措置をとったことが国際社会の注目を集めた。

 なぜ、こういう事態になったのか、色々憶測を呼んでいるが、主にロシア側から出ているのは「挑発説」だ。ラブロフ外相は「いま欧州の政治情勢は好転し、ロシアとウクライナの関係も悪くない。こういう状態を好ましくないと思う人がいるかもしれない」と語っている。また、国際問題専門家は「ユーシェンコ大統領は来年の大統領選に向けて選挙運動を開始したが、いい兆候が見えない。そこでロシアとの関係を緊迫化し、西ウクライナの有権者を煽ろうとしているのではないか」と見ている。

 一方、ウクライナ側は「われわれは友好的に解決しようと内密に行動したのに、ロシア側はなぜ表ざたにしたのか、訳がわからない」と反論している。両国ともいまや近親憎悪に似た感情にとらわれているだけに、まずはじっくり頭を冷やしてから行動してほしい。

 
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